実力派の女優として活躍されている沖縄出身の比嘉愛未さん、10月2日に行われた映画「カノン」公開記念舞台挨拶で、作品の内容にちなんだ質問として「家族から聞いてびっくりした事は?」との問いに「101歳のひいおばあちゃんから比嘉家は琉球王朝の末えいだった」と聞かされビックリしたと明かした事が話題になっております。

比嘉愛未さん、ひいおばあちゃんと一緒の姿が嬉しそう!

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筆者は1年前まで沖縄に8年間程住んでいたので、沖縄の話題にはどうしても首を突っ込みたくなる性分。今回、明かされた比嘉愛未さんの琉球王朝末えいの話にも少し興味が湧いたので、再度沖縄をひも解いてみたくなりました。

そもそも、沖縄県民としては当たり前に知ってはいるものの、皆さんは、「沖縄は日本じゃなかった」という事実はご存知でしたでしょうか?
沖縄は今から407年前の1609年に薩摩藩が侵攻するまでは、「琉球国」といったれっきとした独立した国だったのです。

2012年にNHKで放送された仲間由紀恵さん主演の「テンペスト」をご覧になった方なら琉球王朝がどのようなものかイメージできるかも知れません。

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よって、比嘉愛未さんは、「琉球王国の国王の末えい」例えて言うなら場所が日本本土であれば、「徳川家の末えい」「天皇家の末えい」と、同じくらいすごい事になります。ちなみに筆者は歴史研究家ではないので、あくまでも本土から沖縄に移住した事のある沖縄マニアという立場でお話します。

まず、「本当にここは日本じゃなかったのね」と感じるのが、「お墓」の形。
現在は小さな家型をしているが昔のものは「亀甲墓」(かめこうばか)と呼ばれる形のものでした。

ひと昔前の沖縄のお墓は「亀甲墓」という女性の子宮をイメージした形をしている。

出典 https://ja.wikipedia.org

「人は母の胎内から生まれてまた母の胎内へ宿る」という意味を持つらしい。
日本本土にある四角柱型とはまったく異なる。

ここで、何を言いたいかというと、形が日本本土のものとまったく違うから「沖縄は日本ではなかった」と言いたいのではありません。このお墓の形が中国や台湾のお墓とそっくりなのです。

中国福建省にあるお墓

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まるで同じです。

これにはかつて琉球は中国とさかんに貿易を交わしていたという背景がある事を意味します。沖縄は琉球王国が出来る前の「グスク時代」に日本が鎖国をしていた時代から既に積極的に海外と外交貿易を行っており、中国や台湾、朝鮮、そして日本との取引が盛んだったのです。当時は日本本土よりも優れた外交スタイル持っていたと言えます。

このような外交の流れにより中国や台湾の文化が少しづつ入ってきたとも言われております。時々「昔、沖縄は中国の属国だった」と勘違いされる方もいるようですが、そうではなく国対国として外交を行っていたのです。

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しかし、島国である琉球にとって中国は大帝国、よって当時は周辺国と共に外交貿易などの恩恵を受けられるように中国へ貢物を捧げていたといいます。今の日本とアメリカの関係に少し似ていますね。この当時は「察度王(さっとおう)」が国を治めており「大交貿時代」と言われおおいに栄えていたのです。

そもそも琉球国の国王とは?

琉球国を栄華に導いた国王の祖とは、これも日本古事記と似ていて「天孫氏王統」と呼ばれている神話上の琉球最初の王統と言われおります。この「天孫氏王統」の一族は25代にもわたり1万7,802年間も続いたと言われておりますが、25代歴代の王の名前も伝わっていないため神格化されてしまったようです。

そして、「舜天王統(しゅんてんおうとう)3代」「英祖王統(えいそおうとう)5代」とつづき「察度王統(さっとおうとう)」の時代に中国、台湾、朝鮮、日本との外交が始まったようです。

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しかしこの栄華を築いた「察度王(さっとおう)」ですが息子の「武寧(ぶねい)」に王位を譲ったあと、この「武寧」は政務を怠り、民衆が反発、「尚巴志(しょう・はし)」という若者が指揮をとり「武寧王」を滅亡させたのです。

そして「尚巴志」は自分の父親「尚思紹(しょう・ししょう)」を王に即位させここで初めて「琉球王国」(琉球王朝)がはじまりました。「尚巴志」は首都を那覇にしてそこへ首里城を拡張再建築したのです。

今も沖縄で「尚巴志マラソン」と名前がついたマラソン大会がありますが、琉球国を築いた「尚巴志」から来ているんですね。

出典筆者購入素材フォトより

そこで、「第一尚氏王統」が7代が64年間治めていましたが農民による反乱がおき、当時指揮をとっていた「金丸」という若者が、農民の勝利を治めたあと「尚」の名前をそのまま引き継ぎ「尚円(しょう・えん)」と改名し「第二尚氏王統」が始まります。

ちなみに首里城のある那覇市首里地域は王族関係の子孫の方が多く住んでいると言われており、地元の女の子は「首里の長男とは結婚するな」(首里男児ごめんなさい)という言葉が交わされるくらい「首里の長男は大事にされすぎて旦那さんにするには難しい」と、沖縄の友人が教えてくれた事がありました。

ちなみにお笑い芸人のスリムクラブのお二人も「首里ボーイ」(笑)

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このように、すばらしい芸人を世に出した琉球王朝ですが(笑)もっとも直径である「尚一族」の末えいが気になったので調べてみました。
まずは最後の琉球国王である「尚泰(しょうたい)王の長男である「尚典(しょうてん)」が、のちに東京へ移住しているそうです。

尚典(しょう てん)の肖像写真

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1864年9月2日生まれ-1920年9月20日没

そして「尚典」の長男が「尚昌(しょう しょう)」

尚昌(しょう しょう)の肖像写真

出典 https://ja.wikipedia.org

1888年9月17日生まれ - 1923年6月19没

尚昌の長男が「尚裕(しょう ひろし)」とつづきます。

尚裕(しょう ひろし)の肖像写真

出典 https://ja.wikipedia.org

1918年9月18日生まれ-1996年8月30日没

そして現在は「尚裕」さんの長男である「尚衞(しょう まもる)」さんは東京杉並区にお住まいだそうです。

■写真肖像画と生年月日および没年月日はウィキペディア参考

この一連の内容から想定すると身近にいる苗字が「尚(しょう)」さんは、もしかして琉球国王の末えいなのかもしれませんね。

ちなみに筆者は沖縄に移住したばかりの頃にご年配の方が時々日本本土の事を「日本人は・・」とか「大和んちゅは・・」という言葉を口にするのですが、やはり、昔の歴史をよく知る方々からすると、沖縄にとって日本は別の国という感じが今だぬぐいきれないのでしょう。

ちなみに、あのお笑い芸人の「小島よしお」さんもお母さまから「琉球国王の末えいよ」と教えられているそうです(笑)今回のご紹介で沖縄の歴史に興味を持ってくれたらうれしいです。10月の今頃は程よい暑さとビーチは水温も高く海もとても綺麗です。東京から飛行機で2時間半の南の島へ皆さん足を運んでみて歴史を堪能してみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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