新垣仁絵上原多香子今井絵理子島袋寛子、この誰かのニュースがテレビで流れた時、思わず目を留めてしまう人は、きっと同じ年代ではないだろうか。

今からちょうど20年前。1996年に平均年齢13歳でデビューした人気女性グループのSPEEDは、大人顔負けの歌唱力とダンスパフォーマンスで圧倒的な支持を集め、わずか3年でシングル総売上1000万枚を記録している。あっという間に世間を魅了していった彼女たちの活躍ぶりは、特に当時の10代には強烈なインパクトであり、憧れの対象でもあった。

たった4人の女の子が巻き起こした熱狂的な“SPEEDムーブメント”は、メンバーそれぞれに華やかな魅力が備わっていたのはもちろん、“すべての楽曲に共通している1つのこと”に理由があったのかもしれない。

実は、デビュー作から2000年に解散するまでのすべての楽曲は、ある一人の男性が制作している。作詞・作曲だけでなくプロデュースをもつとめていた、音楽プロデューサー・伊秩弘将(いぢち ひろまさ)。伊秩は80年代後半に渡辺美里や森高千里など女性アーティストの楽曲を複数手がけていた経験があり、その後、ソングライターとしての実力を見込んだ事務所スタッフからSPEEDの音楽プロデュースを託されたという経緯がある。

伊秩のプロデューススタイルは基本的に全曲の作詞作曲を自身で手がけるというもので、これはAKB48における秋元康や、ハロー!プロジェクトにおけるつんく♂と共通点が多いのだが、この3人の中で伊秩が特に優れているのは「メンバーと同世代の少女の世界を描くのが抜群に上手かった」という部分だ。

男性目線で新鮮味を打ち出したAKB、ファミリー目線で小さな子供も取り込んだハロプロなどと並べると、メンバーを通して徹底的に少女のリアルを描いたSPEEDは、特に同性からの支持が突き抜けている

SPEEDが駆け抜けた90年代後半、それは当時の10代にとっては「私たちの時代」でもあった。今、SPEEDの楽曲を丁寧に振り返ると、そこには忘れかけた青春の光が見えてくる。

あの時、あの曲。

#17 一人の男性が紡ぎ続けたSPEEDの楽曲に重なる「当時の自分のリアル」

1. 「Body & Soul / SPEED」(1996)

“Body&Soul 太陽浴びて Body&Soul 踊り出そうよ”

出典SPEED『Body & Soul』

2. 「STEADY / SPEED」(1996)

“変わり始めてる 私を誰も知らない きっと...”

出典SPEED『STEADY』

1995年に行ったグループ名の公募で「SPEED」と名付けられた4人の少女は、1996年8月に『Body & Soul』でCDデビューを果たす。デビュー当時のSPEEDは最年長の新垣でもまだ中学3年生、最年少の島袋に至っては、まだ12歳の小学6年生だった

1996年にリリースされた全2作のシングルの内、デビュー作の『Body & Soul』は、とにかく最初から最後まで全てが溢れんばかりのパワーに満ちている。この明るさはプロデューサーの伊秩がSPEEDのメンバーに初めて会った時の印象をそのまま投影したことで生まれたそうなのだが、当時のメンバーの年齢を考えれば、この無垢な明るさにはすごく納得がいく。

しかし伊秩はこの時、すでにSPEEDに“ある予感”を感じていたという。

「本人たちに会い、ヴォーカルを聴いてみたら、その頃コギャルブームで、スピリットの感じられないティーンエイジャーの多い中、非常にニューエイジ感を感じたんです。そこをすごく出したいなあと。」

出典 http://ameblo.jp

1996年当時、世の中では10代の象徴として安室奈美恵に触発された“アムラー”や“コギャル”が世の注目を集めていたが、安室を筆頭としたブームの中心が70年代後半生まれに集中していたのに対し、SPEEDは全員が81~84年生まれで、少し下の世代になる。

茶髪全盛期の世の中で髪を染めることもなく、黒髪で歌い踊る4人の女の子たちの姿は、だからこそとびきりの新鮮味を帯びていたのかもしれない

そしてその姿はそのまま80年代生まれの新しい世代像として、時代の変化と共に成長を遂げていくことになる。

3. 「Go! Go! Heaven / SPEED」(1998)

“良い娘の振る舞いもいつか 進化しすぎて 本当の自分が最近わからなくなる”

出典SPEED『Go! Go! Heaven』

4. 「White Love / SPEED」(1998)

“果てしない 星の光のように 胸いっぱいの愛で 今あなたを包みたい”

出典SPEED『White Love』

前年の2ndシングル『STEADY』で早くもミリオンセラー歌手の仲間入りを果たしたSPEEDは、デビュー2年目の1997年も快進撃を続ける。この頃になると歌番組の常連にもなり、さらに多忙な毎日になっていくが、一方で実生活では、81年生まれの新垣が中学を卒業、84年生まれの島袋は小学校を卒業。楽曲面でもそれとリンクするように、3rdシングル『Go! Go! Heaven』あたりからは、歌詞に“自我”が芽生え始めていく

注目したいのは4thシングル『Wake Me Up!』を経た、5thシングルの『White Love』で、SPEEDは追いかける恋ではなく初めて「永遠の愛」を歌っているという点だ。同世代の男子よりも少し早熟に「女性」への変化を見せたこの歌は、世代を越えた反響も呼び、SPEED最大のヒットシングルとなる。

ところで、SPEED全員が本格的な思春期に突入した1997年は、PHSの契約数がピークを迎えた年でもあるのをご存知だろうか。当時のPHSには携帯電話よりも安く維持できるというメリットがあり、特にSPEEDと同年代の中高生は、このタイミングで自分だけの電話機を持ち歩くようになっていった。若者が自由に電話を使えるようになったことは、これ以降の若者コミュニティに劇的な変化をもたらすことになる。

5. 「my graduation / SPEED」(1998)

“続いてく 時はいつも止まらずに 変わってく 街も人も愛もみんな”

出典SPEED『my graduation 』

6. 「ALIVE / SPEED」(1998)

“ひとりじゃない この胸に愛は生きてる”

出典SPEED『ALIVE』

White Love』で初めて本格的に成熟を見せ始めたSPEEDの4人だが、デビュー3年目の1998年になると、前年の新垣に続いて1つ下の上原も中学を卒業、SPEEDは高校生と中学生が半々のグループとなる。

ちょうどその上原の中学卒業時期にリリースされた『my graduation』は、タイトルそのまま“別れの曲”であり、このタイミングでシングルとして初めてSPEEDは「愛の終わり」を歌うことになった。続く7thシングル『ALIVE』も、それまでの作品にはなかった人の寂しさや愛の強さを真摯に表現する内容になっており、成熟していく少女たちの内面とどこかリンクしている

この時期になると中高生は完全にSPEEDと同じ80年代生まれが中心となり、キャミソールやファッションブランド・ROXYなどの新たなブームを牽引していくようになるが、一方ではいよいよ広く浸透し始めた“本格的なインターネットカルチャー”の第一世代という役割も併せ持つようになる。

1998年はWindows 98とiMacが相次いで発売されたタイミングでもあり、“SPEED世代”はその時代のターニングポイントを、ちょうど10代で迎えることになった。

7. 「Precious Time / SPEED」(1999)

“あなたがいてよかった ずっといつまでも...”

出典SPEED『Precious Time』

8. 「Long Way Home / SPEED」(1999)

“やがてあの闇の彼方から 照らし出す Long Way Home”

出典SPEED『Long Way Home』

8thシングル『ALL MY TRUE LOVE』の発売翌年。デビュー4年目となった1999年、83年生まれの今井も中学卒業となり、これでSPEEDはメンバーの半数以上が高校生になった。最年少の島袋も中3で進路選択の時期に差し掛かっており、全員がデビュー時期からは想像つかないほど大人の女性へと、その成長を遂げてきていた。

この時期になると『Precious Time』にしても『Long Way Home』にしても、歌詞はもちろんバックトラックも成長するSPEEDに合わせるように、どんどん大人びた雰囲気になっていく。

20世紀末、携帯電話の分野では「iモード」がサービスを開始。インターネットやメールなどのシステムが一気に浸透していく、そんな歴史的タイミングを日本社会は迎えることになる。

また音楽の世界では、宇多田ヒカルの1stアルバム「First Love」がCDアルバムセールスの歴代1位記録を樹立。本格的なR&Bで音楽業界を一変させた彼女も、実は日本とアメリカで育った80年代生まれの女の子だった。

そんな1999年10月、SPEEDは突然の解散発表を行う

平均年齢13歳という若さでデビューした時から、実は事務所は将来を見据え、発展的な解散をイメージしてSPEEDを育てていたのだという。実際には1998年夏の時点ですでに解散というゴールが告げられ、1999年春には具体的な話し合いも始まっていた。

島袋はその当時の心境を、後にこう表現している。

「“パーティー”がいつか終わる」

出典 http://news.livedoor.com

かつて無垢な明るさで歌い踊った少女たちは、いつの間にか出会いと別れを知る、4人の女性になろうとしていた。2000年3月31日、最年長の新垣が18歳になり、最年少の島袋が中学を卒業するタイミングでSPEEDは解散、それぞれが違う道を歩んでいくことになる。

…もっとも、彼女たちが解散後もそれぞれのソロ活動を経て、数回の再集結を行っていることを、21世紀の私たちはすでに知っている。特に2008年からの完全復活では、20代に成長した彼女たちが本格的に音楽作品のリリースや全国ツアーを展開し、ファンを再び魅了していった。

復活後のSPEEDが2009年に発表した16thシングル『S.P.D.』には、こんな歌詞がある。

“押し潰されそうだった色んな期待
今なら応えられる”

出典SPEED『S.P.D.』

2013年に結婚した新垣が芸能界を離れて以降、SPEEDは再び活動休止状態となっているが、10代から続いている4人の人生を考えれば、何も不思議な選択ではないように思う。90年代後半に共に青春を過ごした世代なら、特に理解できるはずだ。あの頃から地続きで、彼女たちも私たちも、今は仕事や家庭と向き合う30代になりつつある。

それでもまたいつか、今のSPEEDの歌が聴ける日も、私たちはずっとどこかで待ち続けるのだろう。彼女たちの存在は、今もなお「私たちの時代」なのだ。

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1983年生まれのフリーライター。アイドルと音楽と歴史が好きです。デビューから応援しているアイドルの再評価をきっかけに、新規 / ライトファンを意識したエンタメ記事を日々研究しています。

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