記事提供:ORICON STYLE

アニメソングのパイオニアであり、今や「アニメソング界の帝王」として“アニキ”の相性で親しまれている水木一郎。1971年、『原始少年リュウ』主題歌で初めてアニソンを歌ってから、今年でアニソンシンガーとして45周年を迎えた。

アニソンを取り巻く環境が変化してきたなかで、アニソン文化を国内外へと広めていくことにまい進し、生涯現役を誓う水木。そんな彼の45年とアニソンへの想いをたっぷり語ってもらった。

今まで歌った1200曲以上はすべて思い出すことができる

――45周年を迎えた水木さんから2枚のアルバムが届きます。まず1枚目はすでに発売されている『グレイテスト★ウルトラマンソングス』ですね。

水木一郎 
このアルバムには最新テレビシリーズである『ウルトラマンオーブ』の主題歌を筆頭に、これまで僕が歌ってきた様々なウルトラマンソングスが収録されています。

「ウルトラマン物語(ストーリー)~星の伝説~」などの劇場版主題歌や、幻の主題歌候補曲「帰ってきたぞウルトラマン」、『アンドロメロス』のオープン/エンド曲、また昭和のウルトラマン主題歌を新録させていただいたものまで幅広い内容になっていて。

三世代の方々に喜んでいただけるアルバムになったと思います。

――テレビの「ウルトラマン」シリーズで主題歌を歌うのは、意外にも今回の『ウルトラマンオーブ』が初めてだそうですね。

水木一郎 
そう。映画の「ウルトラマン」主題歌は何度か歌わせていただいているんですけど、テレビシリーズは初めてなんです。それが実現したことで、アニソン/特ソンにおけるすべてのジャンルの主題歌を手掛けることができたぞ、みたいな。

ましてや僕は過去に『おかあさんといっしょ』でうたのおにいさんもやってますんで、これはもう他の歌手の方には絶対マネできないだろうっていう思いはありますよね(笑)。

――そしてもう1枚、10月5日には『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』が発売されますが、この収録曲はどういったラインナップなんですか?

水木一郎 
これまで僕が歌ってきたレパートリーの中から、音楽的にも聴きごたえのある曲ばかりを選んだアルバムです。一流プレイヤーが演奏し、冒険的なアレンジが満載です。

各楽曲に様々な音楽的要素がたくさん詰まっているし、詳しい解説もついているので、聴けば聴くほどいろんな発見があるんじゃないかなと思いますね。「グルーヴィ&メロウ」をテーマに、ディレクターとライターさんに選曲してもらったものに対して僕なりの意見を言わせていただきました。

「あのアレンジ、面白いよね」とか「このバラードも入れたいよね」とか。アルバムに入りきらないくらいまだまだ候補はあったので、もしパート2が出せるのであればそのときに(笑)。

――これまで歌唱してきた1200曲を超える楽曲すべてをパッと思い出すことができるんですか?

水木一郎 
もちろんです。17年前に24時間で1000曲を歌うライブをやらせていただいたんですが、そのときもね、歌詞は少し抜けてる歌もありましたけど、メロディは全部覚えてました。

そこから200曲以上も増えてましたが、どの曲もすぐに思い出すことはできます。ありがたいことに僕は今まで「この曲はイヤだな」と思ってレコーディングをしたことが一度もないんですよ。どの曲にも思い出があるし、そのすべてが自分のこどもみたいなものなんです。

“まんがのうた”は自分が歌いたかった映画主題歌と同じだと思った

――今やアニソンの帝王と呼ばれている水木さんですが、そもそもは歌謡曲のシンガーとして1968年にデビューされているんですよね。その当時はどんなシンガーを目指していたんですか?

水木一郎 
僕は幼い頃からスタンダードジャズを聴いて育って、その後もアメリカンポップス、カンツォーネ、シャンソン、ロック日本で言えば演歌、詩吟などいろんな音楽を聴いてきたし、16歳からはジャズ喫茶で洋楽をたくさん歌ってきたんですよ。

その中で思うようになったのは、「モア」のアンディ・ウィリアムスや「ロシアより愛をこめて」のマット・モンローのような、スケールの大きい映画主題歌を歌える歌手になりたいなっていうこと。

ただ、当時は映画主題歌を歌うチャンスはあまりなかったので、20歳のときにカンツォーネ歌謡でレコードデビューすることになったんです。

――その3年後、1971年にテレビアニメ『原始少年リュウ』の主題歌で初めてアニソンを歌うことになりました。そのときはどんな気持ちだったんですか?

水木一郎 
当時はアニソンなんて言葉もなく、“まんがのうた”という言い方をしていましたけど、依頼を受けたときは正直どんなものかまったくわからなかったんですよ。ディレクターからは「レコードジャケットに顔もでないけど、いいか?」と念を押されました。

でも、考え方を変えれば、スクリーンとテレビのブラウン管という規模の違いはあるにせよ、それは僕がやりたかった映画主題歌と同じものなのかもしれないなって思えた。だから快く引き受けたんですよね。「ぜひやらせてください」って。

――そこから今に繋がる歴史がスタートしたわけですね。

水木一郎 
そう。僕の歌い方がこの新しいジャンルにちょうどマッチしたんでしょう。ちょうどその頃、東映さんと日本コロムビアさんが“まんがのうた”を専門に歌うアーティストを育てようと動き始めたこともあり、あれよあれよという間に、1日に1回はどこかで水木一郎の歌がテレビから流れるようなことになっていったんです。

小さい頃から様々なジャンルの曲を聴き、歌ってきた経験が、いろんなタイプのアニソンに生かされたところもあったと思いますね。歌謡曲を歌っていた時代は、「どうか1曲だけでいいのでヒットをください!」って神様にお願いしてたこともあったけど、アニソンではたくさんのヒット曲にも恵まれた。嬉しかったですよね。

赤いマフラーで「ゼェーット!!」する理由は?

――この45年を振り返ると、アニソンのシーンにも様々な変化があったと思います。水木さん自身はどう感じていますか?

水木一郎  
“まんがのうた”からアニソンに変わり、声優ブーム、アニメブームとともにアニソンシンガーを目指す人がどんどん増えていきましたよね。

楽曲に関してもジャンルの幅が広がり、いわゆるJ-POPとの境界がなくなってきたり、こどもだけではなく、大人が聴くものにもなった。そういう変化はいい面でもあるんだけど、一方ではシーンが盛り上がることでアニソン愛のない人たちが入ってくることもある。

僕は愛と誇りをもってアニソンというものを開拓してきたつもりだけど、アニソンが本来持っている役割や魅力が見失われつつあると感じることもありましたね。

――でも、水木さんはシーンをさらに盛り上げるためにまい進し続けましたよね。

水木一郎 
はい。2001年に初めて香港に行ったんだけど、そこでの経験がすごく大きかったんですよ。ライブではいきなりのスタンディングオベーションだし、日本語で会場中が一緒に歌ってくれるんです。報道の数もすごかった。

海外の人たちがいかに日本のアニソンを尊敬してくれているのかっていうことを初めて目の当たりにした瞬間でした。それによって、日本のお茶の間にももっともっとアニソンを理解してもらわないといけないなって思うようになったんですね。

そこからトレードマークとして赤いマフラーを着けて、「ゼェーット!!」と叫んだりしてテレビのバラエティ番組などにも積極的に出るようになったんです。変な人だな、と思われたとしても、覚えてはもらえますからね。

――そういった水木さんの思いは若い世代にもしっかりと受け継がれていき、今やアニソンは国内外を巻き込んだ大きな文化になっていますよね。

水木一郎 
盛り上がっていると思いますね。もともと日本では子守唄のように誰もが聴いて育ったものだし、海外では僕らが気付く何十年も前から人気があったものだけど、それが「日本の文化」として認められるようにまでなったのは感慨深いですね。

しょこたん(中川翔子)とか森口博子なんかとはよくご飯にも行くんだけど、そういう次の世代の子たちがファン層を広げてくれることも嬉しい限りです。30年やっている僕のボーカルスクールでは、生徒が持ってきた今のアニソンを僕が知らないっていうことは許されないので、それを頑張って勉強して歌うわけですよ。

そうすると新たな発見があったりもする。僕自身、新曲のレコーディングは常に挑戦の連続です。そういう意味では、自分にも、アニソンにもまだまだ可能性はたくさんあるなってすごく思います。

正直、この先のアニソンがどうなっていくかは僕にもわからないですけど、愛のある人たちが情熱を持って歌い続けていくことで、新たな道もどんどん開かれていくと思う。それがアニソンのおもしろいところでもあるから。

少年のように夢と情熱を持ってアニソンを歌い続けたい

――ご自身の今後についてはどう考えていますか?

水木一郎 
今や幅広い世代に聴いてもらえるようになったアニソンですけど、僕にとっては今も基本的には“こどものうた”なんですよ。「正義だ! 勇気だ! 希望だ!」みたいなことを歌えるのはアニソンならではだし、そこに僕はロマンをすごく感じる。

人として生まれた以上、国や文化も関係なく、誰もが大切に思うことだからね。だから、個人的な愛とか恋とかを歌うのは他の方にお任せして(笑)、僕はそのロマンをこれからもこどもたちにアニソンを通して伝えていきたいんですよね。

――パワフルなボーカルは衰えることを知りませんよね。

水木一郎 
ありがたいことに、僕はいまだに昔の曲もオリジナルのキーのまま歌えるんですよ。しかも、どれだけ歌っても声が出なくなることがない。レコーディングは3テイクほどで終わることが多いんですけど、たとえ声が嗄れてきても、コーヒーを飲んでちょっと休めばまたすぐ出るようになるんです。

それは若い頃に誰よりも練習したということが自信にもなっているし、いまだにレコーディングやライブという真剣勝負の機会に恵まれていることも大きいし、何よりもアニソンを愛して、1曲1曲魂を込めて歌を磨き続けてきた積み重ねによるものだと思っています。

――生涯現役として、ここからの活躍も楽しみになってきます。

水木一郎 
「水木一郎」っていう芸名は一生歌い続けていく名前なんですって。アニソンと出会ったことで、それがその通りになってきた。神様が与えてくれた運命なのかな。とりあえずはね、50周年を迎えるまで少年のように夢と情熱をもって突き進んでいこうと思ってます。

夢は最高齢現役歌手。僕の意志を継いだ下の世代のアーティストもたくさんいますけど、悪いけど僕はまだまだ新しいアニソンをどんどん歌っちゃうからね(笑)。まだ行っていない海外の国もたくさんありますし、歌える間はとにかくずっと歌い続けていきたいです。

(文/もりひでゆき 写真/草刈雅之)

水木一郎 動画インタビュー

出典 YouTube

水木一郎 アニソンデビュー45周年記念ライブ~GREATEST HERO SONGS~

・日時:2016年10月9日(日) 第一生命ホール
開場16:00/開演17:00
【出演】水木一郎 【ゲスト】ささきいさお

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