記事提供:LITALICO 発達ナビ

発達障害のある息子が不登校になって1年。学校に行っていたころは、親子でとにかく周りに迷惑をかけないことに必死な毎日でしたが、息子の行動をありのまま認めてもらえる出来事がありました。

学校という環境になじむことに必死だった私たち親子

発達障害のある我が家の息子が不登校になってから、1年が経ちます。

学校に通っていた頃は、親子ともにとにかく「学校」という環境になじむことに必死でした。

私は面談で学校を訪れるたび、医療機関で受けた様々な検査結果を学校へ伝えたり、「担任の先生には何と言えば息子の特性を分かってもらえるのだろうか?」と考えたりと、日々悩んでいました。

息子のほうも、字を書くのが苦手で通級で指導を受けたり、聴覚過敏を軽減するためにイヤーマフを持参したりと、自分を学校という環境に合わせようとがんばっていました。

しかしどうしても、例えば鉛筆を噛んでそのカスが机の周りに散乱してしまうことや、授業中のそわそわとした動き、机をたたいてしまう行動などが抑えられず、私は先生から面談のたびに「周りの子から苦情が来ているので、どうにか止めさせていただけませんか?」と言われていました。

息子は本当に「問題児」なのだろうか?

しかし、息子の行動の何がどう学校で不都合なのか、すっきりしませんでした。

確かに、他の子どもたちに迷惑をかける行動をしてしまう息子は、学校の中では「問題児」だとみなされるのでしょう。

集団の輪を乱すこともあるため、「息子は発達障害である」ということを学校側に伝えて、それを前提とした理解や配慮をしてもらう必要があるのかもしれません。

ですが、少し立ち止まって考えると、それが本当に正しい対応なのか、分からなくなるときがあります。

障害のあるなしにかかわらず、息子は「私の息子」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

それなのに、息子はどうして周囲からこんなにも問題と言われるのか?

「集団の中の息子」だけではなく「個人としての息子」も本当に「問題児」なのだろうか?

家族の中で過ごす彼の様子を見ていると、とてもそうは思えないのです。

息子の「問題行動」を指摘されるたび、私は学校に頭を下げながらも葛藤していました。

ありのままの息子を認めてもらえた、フリースクールでの出来事

やがて息子は学校に行かなくなり、フリースクールに通うことになりました。初日に私は、いつも学校にしていたように息子の特性についてあれこれ説明して、迷惑をかけてしまうかもしれないことをあらかじめ伝えておきました。

音楽が好きな息子は、フリースクールで高校生向けに行われている、音楽に関するゼミ形式の授業をとることにしました。

通い始めて数回目のある日のこと。私は授業中の息子の様子を話す先生方に衝撃を受けました。

「難しい話も、鉛筆を噛みながら一生懸命聞こうとしていたね」

「お前よくずっと座ってられたなぁ!

10歳の子どもが高校生の中でひとり授業を受けていれば、先生がそれをほめるのは当然のことかもしれません。

それよりも私が感動したのは、きっと先生は「息子に障害がある」ということを私が事前に話していなかったとしても、同じように声をかけてくれていただろうということです。

先生は、これまで「問題」とされていた息子の行動の理由を見抜いて、息子の本質を捉えてくれていたのです。

いろいろな行動には息子なりの理由があり、それを含めて息子なのだ、と他人に認めてもらえた初めての経験と、「発達障害」という前提を抜きにして、ただただごく普通に、一人の人間としての息子をそのまま見つめて接して下さった先生の対応に、私は嬉しくて涙してしまいました。

環境が変われば、「障害」は「障害」ではなくなる

そのとき私の頭に浮かんだのは「障害は環境が作る」という言葉です。

その言葉について私は今まで、例えば車椅子を使う人は階段を登れなかったけれど、スロープを設置すれば段差も上がれる、というように「環境」は目に見えるものを指しているとばかりと思っていました。

しかし「環境」というのは、場所や状況のことだけではなく、その場にいる人や雰囲気、自分が関わる人や求められる事柄など、全て含めて「環境」なのだと感じました。

そして「息子に障害がある」という説明が要らないほど、ありのままの息子の姿を、「そういう人もいるよ」と自然に認めてもらえる環境は、私たち親子にとってとても過ごしやすく、素晴らしいものでした。

息子に発達障害があることは、今も昔も変わらぬ事実です。しかし自分たちに合った環境に身を置くことで、障害は障害でなくなる。なくならないにしても、今まで以上に意識する必要がなくなる。そう感じた出来事でした。

学校ではつらそうだった息子も、今は楽しそうにフリースクールに通っています。私も日々の生活の中で息子の「障害」を感じることはほとんどありません。

環境に合わせて無理に自分を変えることはとても難しく、また環境を自分に合わせようと変えることも、ときには難しいことです。

だれもが生きやすいよう、環境や社会を変える努力をする必要はもちろんあると思いますが、まずは誰もが自分にあった環境を自由に選べるようになればと願ってやみません。

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