記事提供:TOCANA

戦後70年たってもいまだ反米感情が強い沖縄と違い、広島には不思議な親米感情がある。

平和記念公園を訪れたオバマ大統領を涙と感謝の気持ちで迎え入れる広島市民。アメリカ発祥のスポーツである野球で、25年ぶりの広島東洋カープのリーグ優勝にわく広島市民。

基地問題が大きいとはいえ、今も怒号が飛び交う沖縄との対比でその市民感情を眺めると、何か疑問が湧かないだろうか?

なぜ“ヒロシマ”のアメリカへの怒りは収まってしまったのか?そこにはある日本人スパイの政治工作が存在している。

ポダムというコードネームのCIAのスパイが戦後日本で活動をしていた事実が2006年に明らかになった。

米国国立公文書館でそれまで秘密だった外交機密文書が公開され、474ページにわたる膨大な秘密活動の様子が明らかになったのだ。

ポダムは戦後、A級戦犯として巣鴨拘置所に拘留され、その翌月には公職追放される。しかし裁判が行われることなく1947年に釈放される。利用価値が高かったからだ。

アメリカは、占領下の日本で反米感情が高まることを恐れていた。同時に、伸ばしつつある共産勢力への極東の防波堤としての日本の重要性が増す中、メディアとスポーツによる洗脳を通じて、日本国民を親米に変えることが急務だった。

ポダムは戦後日本では「プロ野球の父」「テレビ放送の父」と呼ばれている。

焼け野原となった日本に新たなプロ野球リーグを設立したり、ロカビリーなどの音楽を電波にのせて、日本中にアメリカ文化を浸透させるのに、CIAに従順な権力者としてポダムは重用された。

中でもCIAの指令として重要だったのが広島にプロ野球球団を設立することだった。野球という娯楽を通じて、「アメリカ支配になって日本が良くなった」ことを広島市民に実感させることができるとふんだのだ。

潜在的に日本最大の反米感情を持つはずの都市を親米化する――。それが朝鮮戦争や、その後の安保成立にとって重要な伏線になるとCIAは踏んでいたのだろう。

ポダムの尽力で1950年に広島カープが設立され、集客力のある巨人軍と同じセリーグに編入される。ところが設立初年度の6月には早くも資金切れとなり、給料の遅配がはじまり存続の危機に立たされる。

そこで翌シーズンに広島は大洋(現DeNA)への吸収合併が役員会で正式に決まるのだが、不思議なことにその翌日、その決定が白紙撤回される。

いや、当時は不思議なことだったのだが、今となってみるとCIAの戦略的意図で広島に設立させた球団を関東に移転させるというのはアメリカの意にそぐわない現場の浅知恵による決定だったということだろう。

この頃の球団後援会長として後の首相になる池田勇人、大平正芳らの名前があがっているところにも、アメリカの対広島工作の力の入れようを強く感じる。

その後、1968年には広島最大のメーカーである東洋工業(現マツダ)社長が筆頭株主となりオーナーに就任、広島東洋カープと改称し、経営が安定したかにみえたが、70年代にはそのマツダの経営が傾く。

すると即座にアメリカのフォード社の資本が入り、マツダは米国系企業となる。

このように、ただの地方都市だった広島に、野球文化を根付かせ、裏から資金供給を行うことで存続させ、結果として広島を親米都市として変えることができたのは、CIAスパイの功績といえるだろう。

カープ優勝に沸く広島市。その裏の立役者であるスパイ・ポダムの実名は正力松太郎(元読売新聞社社長であり日テレ初代社長)であることが、米国の資料から判明している。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス