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10月3日はイギリスの女性哲学者フィリッパ・フットの誕生日にして命日である。1920年10月3日に生まれ、2010年10月3日に90歳で人生を終えた律儀な彼女が世に投げかけたのが「トロッコ問題」だ。

「トロッコ問題」とは――「暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」

……つまり「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちは逃げられない状況とする)

1967年――今から約50年前、イギリスの哲学者フィリッパ・フットが考案した思考実験は、雑誌に掲載されると大反響を呼び、一大ブームとなった。

さらに、フットは「5人の病人を救うために、1人の健康な人間を殺して血清を作るのと何が違うのか?」と問うた。1人を犠牲にして5人を救うとき、暴走電車の場合は正当な行為だと感じ、血清の場合は不当だと感じる。

この「倫理的ジレンマ」は、長年にわたり議論が続いている。2009年には、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の『白熱教室』でも取り上げられたのは、記憶に新しい。(日本語版『白熱教室』の放送は2010年)

また、昨今では、就活のグループディスカッションでもトロッコ問題が用いられることもあるので、一度はこの問題の本質に触れておきたい。

人々の議論の根底にある「正義」とはなんなのか?考えれば考えるほどにわからなくなるこの「トロッコ問題」をストーリー仕立てで教えてくれるのが、『「正義」は決められるのか?』(トーマス・カスカート:著、小川仁志:監訳、高橋璃子:訳/かんき出版)だ。

舞台は2015年のサンフランシスコ。路面電車の進路を切り替えて5人の命を救った女性が、待避線にいた1人を殺した容疑で裁判にかけられる。

最初は、5人を救ったヒロインとされた女性が殺人犯として起訴されたことで、「トロッコ問題」の答え=「正義」は陪審員である一般市民たちに委ねられる。

弁護士や検察官による主張、新聞記事やラジオ番組といったマスコミでの扱い、大学の教授たちの井戸端会議などの語り口で、トロッコ問題は発展していく。

5人の重病人を救うために「健康な1人の臓器を分け与えて死に至らしめた医師は許されるか?」「歩道橋の上から1人を突き落として電車を止めるのは?」「出産すれば死んでしまう妊婦を救うために胎児を中絶するのは許されるか?」

ある場合は「善」で、ある場合は「悪」と感じるのはなぜか?そして、裁判の末、陪審員が出した答えは!?――これが、本書の「あらすじ」だ。

ドキュメンタリー風に視点が変わり、議論も時には揚げ足取りの応酬のようにも見えるので、読み進めるうちに少々混乱する。その上、5人を救うために1人を救うことは正義か否かという評決の内容は最後まで明示されない。読者の多くは「えっ、どっちなの?」と消化不良に陥ることだろう。

だが、監訳の小川仁志氏による巻末の解説を読めば、本書ではトロッコ問題を「3つのステップ」で語ろうとしていることが見えてくる。そのステップとは以下のようになる。

(1)「正義」を数で決められるのか?
(2)手段によって「正義」は変わるのか?
(3)対象が誰かによって「正義」は変わるのか?

(1)は「5人を救うために電車の進路を変えた」場合。アンケートでは89%の人が「正しい」と答えた。より大きな善が得られるほうを正しいと判断する「功利主義」の考え方だ。しかし、そこに異議を投げかけるのがドイツの哲学者イマヌエル・カントの「義務論」だ。

義務論では「人は手段ではなく、目的であるべき」で、「人の権利を尊重せよ」と考える。多くの人を救うためであっても、その手段として人を殺すのは「正しくない」となる。そこで議論は(2)へ進む。

「5人を救うために健康な1人を死なせて臓器を与える」や「太った人を橋の上から落として電車を止める」場合に、人は「手段として問題がある」と感じる。

トマス・アクィナスのいう「二重結果論」においては、「道徳的によい行為がたまたま悪い結果を生むのは仕方がないが、よい結果を得るためにわざわざ悪い行動をとるべきではない」と考える。

殺人という行為を正当化するのは、人間心理的に難しい、というわけである。そこで、ステップは(3)へ。

犠牲になる1人、あるいは助かった5人のうちの誰かが「自分の身内だったら」どうだろうか?また、本書内に例示されている「親の遺産で暮らす大金持ちの白人」と「貧しい移民の清掃員」だったら判断は同じだろうか?

3ステップ目のキーワードは「利他主義」だ。「他者の利益のために行動する」という利他主義では、「常に他者を助けるという判断をする」ため、自分が犠牲になる場合も含めて、相手が誰かによって区別せずに助けなくてはならない。

しかし、ニーチェの考え方では「それは健全ではない」という反論が生まれる。いくら利他主義でも、家族が1人で待避線にいるのなら、5人を犠牲にしてでも家族を救おうとするほうが健全である、と。

こうしたステップを経ることで「倫理的な問題に対し、なんとなくではなく、一貫した論理をもって結論付ける」ことが大切なのだと、小川氏は言う。原発問題、安保問題にもこれらは当てはまるし、あなたが裁判員に選ばれた場合にも役立つだろう。

そして、気になる結論は――「5人のために1人を犠牲にするのは間違いである」

あなたの「正義」が導き出した答えは?

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