記事提供:日刊大衆

かねてから野球に関する知識や愛が深いことで知られる中居正広。中居が野球にのめり込むきっかけは、今は亡き、父の正志さんの影響だ。

子どもの頃、父がよくテレビで野球を見ていて、一緒に並んでなにげなく見ていて夢中になった。それからは、自他ともに認める野球少年で、小学生のときは、生活のすべてが野球の練習だった。

当時の生活サイクルは、毎朝6時に起床、ニュースを観て、素振りと壁打ちをやる。出社前の正志さんが最後の一球を見て、「今の球はいい」と言ってから、家を出る。

その後、中居は朝食を済ませ、ランドセルを背負い、ランニングを兼ね走って学校へいく。

授業を受けた後、野球をして、帰宅するのは午後6時頃。それから午後9時ぐらいまでラジオでナイター中継を聴いて、その後は素振りをする。毎日がその繰り返しだった。

神奈川県内の鵠沼から辻堂に引っ越した後も、所属していた野球チームの練習に参加するため、自転車で30~40分もかけて練習に通っていた。そのかいがあってキャプテンになったが、ひじを故障してしまう。

手術すれば治るケガだったが、兄弟3人と両親合わせて5人の家庭は、常に経済的に切迫していたため、やむなく断念。

これで「大人になったらジャイアンツの選手になりたい」という夢を諦めたという。中居の左手の手のひらには、今でも小学生のときに作ったマメの痕が残っているという。

夢を断念した中居は、中学時代、不良グループとつるむようになった。そんな中学2年生のとき、ジャニーズ事務所に履歴書を送ると、合格。

履歴書に「野球好き」と書いたことが、同じく野球好きとして知られるジャニー喜多川社長の目に留まったようで、後楽園球場で開催されていた「ジャニーズ野球大会」に出ることになった。

「芸は身を助く」ではないが、野球をきっかけにジャニーズ生活をスタートさせた中居。SMAP結成後は、2013年の「第三回ワールド・ベースボール・クラシック」で、日本野球機構から史上初めての公認サポーターとして抜擢された。

中居は自分のハングリー精神や協調性は野球から学んだと語り、それがその後の人生の役に立ったと感謝しているという。SMAPが日本を代表するスーパーアイドルになったのも、野球で学んだ中居の采配があるのかもしれない。

「自分ではなく、木村拓哉がグループの要でいたほうがいい」「SMAPのエースは木村」と、かなり早い段階で事務所に提言していたのは、他ならぬ中居だったそうだ。

野球をしていた頃にも、「自分が4番ピッチャーじゃないほうが、チームは強くなる」と判断し、身を引いた経験もある。

その結果、SMAPというグループが大きく成長したのは、日本中が知る事実だ。そこまで深い信頼関係で結ばれていたグループがバラバラになってしまうのは、なんとも悲しい結末である。

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