記事提供:LITALICO 発達ナビ


障害のある子どもを育てていると、いろいろな言葉に傷つくことも多いです。きっと相手の方は悪気がないのだからこそ、その一言を発する前に一度立ち止まってほしいのです。その言葉が当事者や親を深く傷つけているかもしれません。

子どもが発達障害と知って、こんな質問をされることがある

子どもに発達障害があると知ると、ときどき矢継ぎ早に、こんな質問をされることがあります。「テレビと発達障害との因果関係を調べている」「添加物がおよぼす弊害を調べている」「紙おむつをさせている子に発達障害が多い」

こんな風に、私の子育ての様子や我が子の小さい頃の様子を興味深く聞いてくるのです。質問してくる多くの人は、発達障害の因果関係を知りたいのだと言います。でもその調査が、私たちをどれだけ傷つけているか、想像してみてほしいのです。

その質問は誰のため?本当に知るべきことは何なのか

こんな質問をされたとき、以前は笑って済ませていました。ですが今は、勇気を出して思いを伝えることにしています。「それを調べて誰が救われますか?いま私はとても傷ついていますし、同じ質問をされた親御さんや当事者は深く傷つくと思います。

障害児を減らすことが、良い世の中なのでしょうか。私は、わが子が健常児だったら、より尊い存在だとは1度も思ったことはありません。今のままで十分尊い存在ですし、それに発達障害児に必要なのは中途半端な原因究明よりも目の前の支援です。」と。

必ずしも「障害=不幸」ではない。では、どう受け止めればいいのだろう

ちなみにテレビ諸々との因果関係、「発達障害児が増えている」等の議論について、諸説あること自体は私も知っています。でも、1度立ち止まって、考えて欲しいのです。障害や障害者は「減らすべきエラー」なのでしょうか?

障害がなければ「おめでとう。よかったね。」と喜び、障害があるから「残念ね。障害をなくすために原因を究明しましょうね。障害はないほうがいいのだから。」と考えるべきなのでしょうか?

では、障害のある人に幸せな人はいないのでしょうか?どのような理由があろうと、他者から「不幸だ」と決めつけられることに、私は違和感を感じます

私は、子どもに障害があったことで、障害福祉に興味を持ちました。それまで全く興味の無かった、新しい世界と触れあえたこと、それは決して不幸ではありませんでした。

障害があってもなくても、幸せな人もいれば、辛い人もいるでしょう。障害があってもなくても、社会に受け入れてほしいのです。障害者としてみるのではなく、多様性として見てほしい。

そうすれば、人と違う特性があっても、みんなが生きやすい社会になると思うのです。

誰もが輝ける未来のために

障害があってもなくても、それも含めて1人の尊い存在であるということを理解してほしいのです。そして安易な一言に傷つき、孤独になっていく当事者や家族が、いなくなりますように。

2020年、世界に胸を張ってパラリンピッックを開催できる、日本でありますように。

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