大変かどうかを決めるのは周りじゃない。

当事者のその人自身です!

自分が一生懸命取り組んでいることを、誰かと比べられて「楽」なんて言われたら…。

私だったら相手の鼻毛10本まとめて抜いちゃう♡

もし旦那さんが、

「あなたの仕事は楽な仕事よ。同期の~くんの方が忙しくて大変だもの」

なんて奥さんに言われたら…どう思うかな。

自分に置き換えてみたら、言われたら嬉しいこと、言われたら悲しくなること、少し冷静に俯瞰して考えられると思う。

仕事の大変さ、子育ての大変さ、介護の大変さ…すべてにおいて、それはその当事者にしか分からない。

「楽」なんて相手に成り代わってその仕事を100パーセントしてみてから言って欲しいけれど、自分は自分であって誰かに代わることなんてできない。

だからこそ、相手への思いやりや感謝、相手の立場や気持ちを想像する力が大切なんだと思います。

ダメなママなんかじゃない。

全っっ然ダメなママなんかじゃないよ!!!!

毎日頑張ってるよ!!

毎日本当にお疲れさまです!!

楽な子だって言われるお子さんだって、ママの前ではイヤイヤもするし、たくさん泣いたりしたら大変だと感じることだってありますよね。

楽だと言われて、自分も心から「楽だ」と感じているなら、悲しくなんてならない。

だよねー!!

うちの子、本当楽だよねー。

なんて盛り上がれるかもだけど、悲しくなったり、悔しくなったり、落ち込んだりしちゃうなら、あなた自身が「楽だ」と心からは思えていなくて、それをわかって欲しい人にわかってもらえていないことが悲しいんだと思います。

誰かと比べられたら嫌な気持ちになること、

私は私で一生懸命頑張っていること、

「楽」と言われて悲しい気持ちになったこと、

旦那さんに伝えてみて下さい。

きっと悪気はなかったのかもしれないし、

もし自分だったら…という相手の気持ちを想像する作業に気付かなかっただけかもしれません。

気持ちは伝えないと伝わりません。

きっと旦那さんとより深く理解し合うための素敵なキッカケをもらったんですよ。

「疲れた」

「痛い」

「辛い」

「悲しい」

「さみしい」

「不安」

「大変」

これらは感じたその人にしかその全ては分からない。

それを誰かに訴えてみたのに、

「他にももっと辛い人たくさんいるよ」

「痛くないでしょ。早く泣き止みなさい」

「あなたは楽でいいわね」

と言われたら…。

苦しくて悲しくなる。

特に子ども時代にそれが積み重なると、自分の正直な気持ちを表現できなくなったり、相手に素直な想いを伝えられなくなったり、本音を押し殺してしまうことが癖付いてしまうかもしれません。

その人がその時に抱えた感情はその人のもの。その子のもの。

セクハラも、

パワハラも、

マタハラも、

子どものいじめも、

親子の確執も、

自分にそのつもりがあったかどうかではなく、相手がどう感じたか。相手がどう思ったか。

コミュニケーションの原点って、そこにあると思うのです。

それを他の人が「そんなことない」なんて判断していいものではないはずなんです。

だからどんな時も大切なのは『そうなのね』と共感し、寄り添う気持ち。

「疲れたのね」

「痛いのね」

「辛いのね」

「悲しいのね」

「さみしいのね」

「不安なのね」

「大変なのね」…

その後の話は気持ちを受け止めてあげた後でいい。

相手が抱えた感情を認め、共感してあげることは、相手そのものを認めてあげることと同じであると私は思います。

「私はこう思ったんだ」

「私はこう感じたんだ」

みんなもっと叫んでいいんだよ。

自分で自分の気持ちを認めて、それを誰かに渡すべきものであるならば、その時には相手に伝わりやすい言葉や伝え方で想いを伝えられたら、いいですよね。

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