「家事、育児を手伝わない旦那なんて…」、「不倫していたなんて私はあなたのなんなの!?」と、人には言えない秘密や、お互いの不満など、夫婦間には何かといろいろあるもの。

でも、そんな人生のパートナーがある日突然、この世から去ってしまったら?悲しみに暮れるのだろうか。はたまた心が軽くなったように感じるのか。答えは実際に経験しないとわからない。

千夏(ちなっ)ちゃんが行く』(福本千夏/飛鳥新社)の「千夏ちゃん」の場合は、最愛の夫を45歳で亡くし、悲しみと絶望のどん底に。それでも“大阪のおばちゃん”である「千夏ちゃん」は、涙を流しながらも、自分よりも一回り年下の青年に恋をし、たくましく生きている。

著者は、結婚や出産、子育てに奮闘してきた、どこにでもいる大阪のおばちゃん。脳性まひを抱える「千夏ちゃん」は、夫からの愛情を一心に受け、息子も授かり、いたって幸せな日々を過ごしていた。その幸せな日々を打ち砕いたのは、がん細胞。

彼女の夫はがんに侵され、「千夏ちゃん」と息子を残し、先に逝ってしまったのだ。

最愛の夫を亡くした「千夏ちゃん」の、想像だにできない壮絶な日々はそれから始まる。「死にたい」と叫びながら、毎日涙を流す。涙を流すことで、身体の筋肉が普段以上に緊張し、少しでも弛緩した瞬間に激しい痛みを伴う。

そして、悲しみと痛みのせいで眠れなくなる。「千夏ちゃん」にとっては、文字通り傷だらけの毎日だったであろう。しかし「千夏ちゃん」の語り口は、大阪弁も交えているためか、その苦しみを感じさせないほど軽快だ。さらに「千夏ちゃん」は、恋をする乙女なのである。

恋のお相手は、息子と年齢が変わらないぐらいの鍼灸師。筋肉の痛みを少しでも和らげようと、接骨院を訪れたのがきっかけだが、「千夏ちゃん」は夫のことを忘れて恋に走っているのではない。

彼女は日々の些細なことから、夫を思い出し、最期のときを思い、涙を流し続ける。「千夏ちゃん」は、まだまだ若造の鍼灸師に怒ったり、支えられたりしながら、日々夫との死に向き合い、さまざまな人とのつながりを感じて生きていく。

そこにあるのは、悲しみを受け入れることができず、必死にもがき続けるおばちゃんの姿だ。しかしだからこそ「千夏ちゃん」の姿は、私たちにもがき続けることの意味と、“生きること”のつらさを教えてくれる。

「大切なものは失ってから気づく」と昔からよく言われるが、人は実際に体験してみるまで、その本質を理解することはできないのかもしれない。それでも本質に近づくことはできる。

彼氏や夫、時には家族など、近すぎてわからない存在のありがたみを、この本を通して改めて感じてほしい。

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