記事提供:AbemaTimes

『中田語録』『イチロー・インタビュー‐Attack the Pinnacle!』『YOSHIKI/佳樹』『五郎丸日記』など多数の著書で知られる作家・小松成美氏がこのたび『それってキセキ~GReeeeNの物語~』を上梓した。

小松氏は、取材相手の懐に入り信用を得たうえで、長時間のインタビューを行い丹念に書籍を完成させる作家として知られている。

そんな小松氏が29日に放送された『芸能㊙チャンネル』(AbemaTV)に出演し、これまでに出会った数々の著名人についてと、自らの取材・執筆術について語った。小松氏は、ノンフィクション書くにあたり大切なことをこう語る。

「当然取材です。その人の言葉――インタビューですね。先入観を持って取材するとイメージを作ってしまいますが、今、その人から聞いた言葉こそ真実です。その時代、周辺こそ、彼らの姿を浮き彫りにすると思います。私は取材主義です。世界で一番そのテーマを知っている人になろうとして、取材相手に日々臨んでいます」

今でこそ多くのアスリートへの取材で知られる小松氏だが、最初に書いたアスリートは中田英寿。中田が19歳の時に知り合ったという。中田は当時から「変わっていた」(小松氏)とのこと。

初めて会った時に中田は「日本のサッカー選手は『日本が弱い』と言うけどこれはおかしい」と語っていたのだという。

中田曰く、日本のサッカーは世界で勝つポテンシャルがあると言い、事実1996年のアトランタオリオンピックでは、中田もいたそのチームがブラジルに勝利したわけで、まさに予言が的中した形となった。

小松氏は「中田さんはこうした発言を実現するスター性、有言実行がありました。当時は『持ってる』ということばはなかったけど、中田さんはまさに『持っていた』」と語った。

こうした交流がある中、中田は小松氏に「ワールドカップを見せてあげる、(1998年に)フランスに連れて行く」と言っていた。

小松氏が「そのドキュメンタリーを書いていい?」と聞いたところ、中田は「うん、いいよ」と言い、実際にフランス大会に出場した中田のドキュメンタリーを書くに至ったのだ。

中田が引退を表明したワールドカップドイツ大会翌年に発表された『中田英寿 誇り』は、まさに10年間にわたり取材・インタビューを重ねて書いた結果の一冊。

小松氏は「辞めないで欲しい」と中田に意見したが、「成美さんは分かってない。オレが辞めるといったら変えないに決まってるでしょ?」と言われたそうだ。そして、中田は引退を敢行した。

そして、以下、この日小松氏が明かした多くの取材相手とのエピソードを紹介する。

【中村勘三郎】

いつか勘三郎さんの本を書くのが夢です、と言ったら「いいよ、オレを書いてよ」と会ったその日に言われました。そういう男気を持つ本当に魅力的な役者さんでした。たくさんのことを教えてくれました。

【X‐JAPAN YOSHIKI】

朝日新聞の取材が出会いのきっかけです。私が朝日のオファーを受け、その中で起こったことです。この雑誌のインタビューをきっかけに、YOSHIKIさんから本を書いてほしいと言われた。

LAから連絡いただき、「(私に頼むなんて)間違いだと思います」と言いました。「一回しかインタビューしてないし…」と言いました。でも、「1回であっても本を書いてもらいたいと思います」と言われたのです。

YOSHIKIさんのことは10年間取材をしました。私は、聞く、知りたいんです。取材のための行為で一番大事なのは聞くことだと思います。

8割、9割は黙っています。何かを聞くためには喋り倒していると思うかもしれませんが、とにかく黙る。聞くことが私の信条だと思っています。知るためには、黙らなくてはいけないのです。

【野茂英雄】

野茂さんが近鉄バファローズにいた頃、2時間のインタビューをしたのですが、3言しか喋ってくれなかったんです。2時間で相槌しか打ってくれない。原稿が書けない――。

そんな状況になったのですが、2時間のインタビューが終わって、頭を90度まで下げもう一度インタビューを受けて下さいと言った。

「あなたの心こそファンが待っている。野茂さんの野球がどんだけ好きかを教えて下さい」と話したら2時間喋ってくれました。残りの2時間は半分は喋ってくれました。あれはギリギリでしたね…。あれは今でも教訓になっています。

私達にとって喋ることは仕事ではないんです。心の内を聞くことは、傍若無人であってはダメで、礼節を持って聞かなくてはいけないんです。

【羽生善治】

私がもっとも尊敬する日本の頭脳です。本当に天才だと思います。羽生さんは努力を惜しまない人で、常に勝負を挑み、勝負のために何が必要か、自己との対話を日本一している方です。

将棋というゲームは世界でもっとも複雑です。取ったコマが味方になり、成ったら強くなる。そこを楽しみ、命を賭す。本当に日本の宝です。

【北島康介】

今回、リオ五輪には出場しなかったですがが、4つの金メダルを取った北島康介さんのインタビューを重ねました。その中で印象に残っているのが、「僕、水が好き」という一言。あの水の浮遊感をたくさんの人に知ってほしいとも言いました。

子供時代に水に浮かぶ楽しさを知ったから、金メダルを目指せたんだそうです。こうした素朴なシンプルな言葉がその人を体現している、と思いましたね。子供の頃の言葉・記憶を大事にしようとそれ以来思っています。

【内村航平】

内村さんは「(皆さんは)自分(内村)のことをスーパーマンと思うでしょうが、僕は常に重力と戦っています。これが僕の気持ちです」と語っていました。

それ以降、私も重力を考えるようになりました。シンプルな言葉みたいなものにあるドラマこそ、私のノンフィクションの根源にあります。

【蜷川幸雄】

亡くなってしまいましたが、日本の演劇界に大きな功績を遺した演出家です。舞台稽古は何度も観させてもらいました。ものすごいです…。役者に対して何かをポーンと投げたシーンも見ていますが、あれは役者への愛情です。

もっとできるはず。もっと表現できるはず、お前は終わらないだろうという表現なので誰も怖いとは思っていません。この作品をよくするため、役者がさらに良い演技するためにやっていることなのです。

私には優しかったですよ。「100歳になって、僕が演出するのを書いてくれるかい?」と言われました。それは叶わなかったですが、天国に盟友がいるので、今では演出をしているのでは?と思います。

【GReeeeN】

※今回ドキュメンタリー小説『それってキセキ ~GReeeeNの物語~』を上梓

4年間かけて書きました。それぞれに何十時間もインタビューし、それぞれの知り合いに100人ぐらい会いました。彼らは顔も名前も出しませんが、ハンサムです。スタイリッシュ。濃い顔をしています。

ちょっとお醤油系の人もいて、ファッションデザイナーになろうとしていた人もいます。裏原(裏原宿)のファッションを網羅したりもしています。今でも本当にかっこいいですよ。

私は今回の本で、なぜ彼らが顔を隠す?なぜ歯医者でアーティスト活動をしているのか、などを書きました。ヒット曲『愛歌』のエピソードも書きました。この曲を書いた時、彼らは大学生でした。

お父さんお母さんは、息子が歯科医になるための勉強をしていると思っていて、GReeeeNとしての活動を知らない。意外と落ちこぼれで、3浪とかしているんですよね。だからこそ、親御さんはやっと歯医者になろうと勉強していると信じていた。

そこで音楽活動をした。そうしたら、たいへんなネームバリューを獲得し、印税という対価が届きました。

扶養家族から外れるぐらいのお金が入って、リーダーのHIDEさんが、お兄さんとお父さんに会いに行き、その時初めてお父さんは息子を認めたそうです。

「いい歌や、兄弟二人でこんなことができて、素晴らしい」と言ったそうです。私は彼らは「Wリア充」じゃん、と思いました。歯科医師であり、アーティストとしても成功。人の何倍も努力している。絶対に妥協しない。その姿が本当に美しいです。

そして、小松氏は『それってキセキ ~GReeeeNの物語~』については、「挫折はあるでしょうが、夢は叶う。友達と手を携えたら夢は叶う。若い人、子供を育てるお父さん、お母さんに読んでもらいたいです」と締めた。

無料 ニュースも音楽もアニメも24時間放送中! AbemaTV

この記事を書いたユーザー

AbemaTIMES このユーザーの他の記事を見る

AbemaTIMESは「見たい!」がみつかる情報ニュースサイトです。無料でみれるインターネットTV局『AbemaTV』の番組を中心に、ニュース映像や面白動画の紹介、著名人コラムやインタビューなど、選りすぐりの情報をお届けします。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス