8月8日。天皇陛下が戦後70年という大きな節目を過ぎ、生前退位の意向がにじむお気持ちを国民にビデオメッセージで表明されました。

天皇陛下は、数年以内の譲位を望まれているといいます。関係者によると、天皇陛下はすでに数年前から意向を示されているということで、そのお気持ちは強いものであると察します。

と、なれば、平成という元号もいずれ数年内には変わることになるのでしょうか。
昭和生まれの筆者としては、昭和が去り、平成という時代に慣れ親しんだ頃に去ってしまうのね...と、淋しくもあります。

ここで、64年続いた昭和という時代について、筆者やみなさんが知らない時代の”恋愛と結婚”にターゲットを当てて振り返りたいと思います。

平成の男女は自由に恋愛ができる。男女間の友情も成立する!?

平成生まれの男女は、恋愛は自由。インターネットが普及する時代に生まれ、SNSやLINEで告白はできるし、電話や手紙を使わなくても、いつでも自由な時間に好きな人にメールやメッセージを送れ、親の干渉などに邪魔されることなく自由に恋愛ができる世代ですね。

近年では、草食系男子という恋愛に消極的な男子が多いことが話題になっています。リクルートブライダル総研が行った調査【恋愛・婚活・結婚調査2015】によると、20代未婚男性で交際経験がない人は41.9%という数字が明らかになっています。

また、20~40代未婚男女での統計では、交際経験がなく現在も恋人がいない人は34.2%という数字が明らかに。

同【恋愛観調査2013】の調査では、男女の友情は成り立つ?、というQに、Yesと答える男性は35.6%、女性は51.1%もいることが解っています。

年齢別でみると、男女とも20代が他の年代に比べ「男女の友情が成り立つ」と答える人が多く、友達と気軽に繋がることが出来る、SNSやLINEのコミュニケーションツールが身近な時代背景にあるのかもしれません。

明治時代にデートをした女流小説家・平塚雷鳥は、

平成生まれの人は、男女が自由にデートするのは当然でしょ?、と思われるかしれませんが、大正~昭和初期までは、若者の男女交際は「不純異性交遊」などという言葉が残り、危険視されていました。

大正時代のはじめに女性の解放を訴えた先駆者:平塚雷鳥(ひらつからいちょう)は、異性とデートや同棲を行い、世のひんしゅくを買い、物議を醸し出しました。

NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」に女流小説家として登場した平塚雷鳥は、女性運動や平和運動のパイオニアともいえる人物です。日本女子大家政学部に入学した平塚雷鳥は、明治39年に卒業すると、女子英学塾(現:津田塾大学)で英語を学び、文学に目覚めると「愛の末日」という小説を出版します。

この小説がきっかけで、当時はかなり性に開放的で淫らな境遇に陥りました。しかし、この小説を読んだ、夏目漱石の門下生のひとり・森田草平が、才能を高く評価する手紙を送り、平塚雷鳥と恋愛関係となり、関係を持つようになったのです。

明治41年2月。はじめて二人はデートをしたそうですが、その翌月、ふたりは心中未遂事件を起こします。

この事件で、新聞はあることないこと面白おかしく書きまくり、写真も掲載されたようです。今でいう、FRYDAYや週刊新潮などに大スクープされたのと同じですね。この時、平塚雷鳥は22歳。恋愛が自由ではないこの時代にセンセーションを巻き起こしたのです。

(※写真はらいてうの後の恋人である奥村博史)

「デート」「同棲」をはじめて日本で広めたのが団塊世代

このような古い風習の時代を経て、さらに50年以上の時を経て、ようやくデートや同棲が、多くの若い女性たちによって広がり、一般的になりはじめた時代が団塊世代でした。

団塊世代は、はじめてデートをした世代です。
山本リンダの歌「こまっちゃうナ」の中で「デート」という言葉が出てきますが、それまではデートという言葉も一般的にはありませんでした。「逢い引き」「ランデブー」という言葉が使われていました。

まだ「不純異性交遊」という言葉もあって、とくに高校などで先生に「不純異性交遊は、いけませんよ」、といわれ、グループ交際をすすめられたりもしました。

出典「世代論の教科書」より引用

戦後直後、1947~1951年に生まれた団塊世代は、「時代の担い手」として、日本に新しい文化や革命を根付かせてきたのです。

現代では良く使われる「欧米文化」という言葉を取り入れ、「若者文化」を作り始めたのも団塊世代が最初なのです。現在60代を中心となる団塊世代は、およそ1000万人も存在すると言われています。「恋愛と結婚」においても、現在の原型を築いたのがこの世代なのです。

団塊世代が若者の時にデートをし、一部の若者は同棲をするようになったことで見合い婚と恋愛婚の割合が逆転していきます。見合い婚は家族制度の中である種、押し付けられる面がありました。

それまではずっと高度成長はしていても封建的な色彩が残る世の中だったので、「結婚相手は自分が決めるにしても、見合いを親がお膳立てするのが常識」だったのです。

出典「世代論の教科書」より引用

「女性は家事手伝いをして、適齢期になると親に勧められて結婚していくもの」、と誰もが思っていた時代。見合い婚が主流だった要因は、結婚しても女性が家の中にいることが常識だったことからも解ります。

しかし、その常識を覆したのが、団塊世代。自分の意志で恋愛し、結婚相手を選択するようになりました。これが、見合い婚から恋愛婚に逆転した時代背景を表わしています。

団塊世代は、はじめて女子が男子を「〇〇君」づけで呼んだ

それまでの時代は、男女がデートをする行為は、タブーとなり、どこか後ろめたさを伴っていた時代でしたが、親や先生の反対を押し切り、初めてデートや同棲を実行したのが団塊世代でした。

男女共学が一般的になった時代に、はじめて女子が男子を「〇〇君」と君づけで呼ばれるようになりました。それ以前は、「○○さん」づけが普通で、小中学校でも「さんづけ」でした。

男子は女子のことを呼び捨てか、丁寧にいう時は「さんづけ」でした。女子が男子を「君づけ」で呼ばれるようになったのは、男女平等になったことの象徴です。これがきっかけで、同年婚友達夫婦も生まれるようになったということです。

その背景には、団塊世代の母親の影響もあったようです。

戦中派の母親は、娘時代ずっと戦争だったので、「自分には青春がなかった」という思いが強くあります。女学校時代も軍需工場に動員されて働かされ、同年代の青年は戦地にいる。デートや同棲どころか、楽しいことが何もありませんでした。

(中略)

だから、自分が母親となって、娘が男性と出かけるのを最初は父親とともに反対していましたが、だんだん認めるようになっていきます。

自分にはなかった青春を娘には体験させてやりたい。「いいわよ。お父さんには黙っているから。あなたいってらっしゃいよ」と送り出しました。もちろん戦中派の父親は結婚前の娘の交際など絶対に認めませんが、母親は娘の恋愛を密かに応援していたのです。

出典「世代論の教科書」より引用

自分には青春がなかった...代わりに娘にはせめて恋愛を体験させてあげたい、と願う母。「自分もそうだったから」ではなく、自分が出来なかったことを、せめて娘にはさせてあげたいと願う昭和初期の母の愛情が溢れていますね。

「男女合同ハイキング」から「合コン」へ

団塊世代が若者の頃は、「恋愛をして結婚すること」(恋愛婚)が半数になった時代です。自由な恋愛に憧れ、男女合同ハイキング」へ出かけるようになりました。

デートといえば映画やカフェなどが主流だった以前の時代とガラっと変わり、男女合同ハイキングは斬新でした。それが、後の「合コン」へと繋がっていきました。

出典 http://she.hr

団塊世代の女性は、日本で初めて「ミニスカート」を履いた勇気ある女性たちです。ミニスカートは、ビートルズ来日の翌年、1967年にイギリスのモデル、ツイッギーが来日し、一世を風靡しました。

出典 http://toyokeizai.net

戦後日本で流行した米国音楽やファッションなど、若者文化の影響を受けた世代でした。ベンチャーズやビートルズの来日は革命を起こしました。エレキギターに憧れ、実際に触れた若者はたちまち虜になっていきました。

団塊世代が影響した欧米カルチャーは、男女の恋愛の仕方にも大きな影響を与えていたのです。

合コンじゃなくて、昔は合ハイというものがあったと、朝日の土曜別刷りに書いてある。男女合同ハイキングというやつだ。それがきっかけで結婚したカップルもあるという。昭和36年に大学生だった人の話。

 確かにこの時代、異様にハイキング人気が高まったらしい。知り合いも全く同年代で、そのころ単独で西穂あたりに散策に行ったことを、クラブの記念誌に書いている。どうも付近で男女のカップルが遭難したと、夜になって小屋や客が探しに回る騒動に出くわした。

女性が先に安否確認できて、不明の男性はどういう人かと聞くと「知らない」という。どうも島々の駅でお互いナンパし合って意気投合して登山を始めたらしい。それが西穂の小屋どまりの夕方に夕焼けを一緒に見に出て、ガスに巻かれてはぐれたということだ(その後男も無事に保護された)。

出典 http://www.yamareco.com

昭和36年頃。東京オリンピック開幕の前で、世間はまだまだ貧乏だったけれど、現在の天皇陛下がご成婚され、時代は活気づいていたといいます。

当時は、このようなカップルが多くそのような時代だったということです。

合ハイ、ほぼ死後かした言葉、合同ハイキングの
略語です。

どうも1970年代までは合ハイでそれ以降に
合コンへと変わっていったようです。

合ハイの言葉は中高年には懐かしく甘酸っぱい想い出があると思います。

BSテレビで二度私が持っている合ハイの写真を使っていただいたことがありました。

デートは「逢い引き」「ランデブー」と呼ばれていた

恋愛と結婚の時代の変化を辿ってみました。デートは「逢引き」「ランデブー」などと呼ばれていた明治時代。初めてデートをし、心中未遂事件を起こした小説家の平塚雷鳥。

男性とデートをしただけで新聞にスクープされ、物議を醸し出されるとは、現在週刊誌や芸能スクープ誌にスクープされる芸能人と同じですね。不倫や浮気などは考えられない時代でしょう。

それから50年以上の歳月を経て、団塊世代が自由恋愛を求め、合同ハイキングが盛んになり、現代の「合コン」の誕生に繋がるきっかけを築いたとは。

「見合い婚」から「恋愛婚」の割合を逆転させたのも団塊世代。それ以前は、結婚したら専業主婦にならざるをえなかった女性たちが、現在「団塊ジュニア」と呼ばれる、30代前半~アラフォーの子育てを、若い”おばあちゃん”として支えているのです。

結婚だけにとらわれず、自由に恋愛を謳歌すべき

かつて自分がしたくてもできなかった恋愛や仕事を、娘に託したいと願うのが団塊世代の女性たちの本音でしょうか。

団塊世代の下の世代、いわゆる「バブル世代」にはバブル期の恋愛の在り方があり、「さとり世代」にはさとり世代なりの恋愛の形があります。

恋愛も自由で、出会いの場は豊富で、SNSやコミュが盛んなこの時代に生まれた20代は羨ましいとさえ思える筆者。筆者の時代もまた、ひと世代前の女性には羨ましいと思われていたかもしれません。

こうして恋愛や結婚の変化を辿ってみると、各世代の価値観やライフスタイルには、必ず時代背景が大きく影響していると言えるでしょう。

自分なりの恋愛の形を大切に。結婚だけにとらわれずに、自由に恋愛を謳歌して欲しいと願います。

この記事を書いたユーザー

cocon☆hanna このユーザーの他の記事を見る

キャリアカウンセラーの道を目指し、資格取得後オンラインカウンセラーとしてデヴュー。WEBライターとして活動をはじめ7年になります。人に「読まれる・読ませる」ライターを目指しています☆

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス