記事提供:messy

本サイトを読まれる方が日頃手にすることがないであろうオヤジ雑誌群(そして新聞)が、いかに「男のプライド」を増長し続けているかを、その時々の記事から引っ張り出して定点観測していく本連載。

先月末、小池百合子の圧勝で幕を閉じた東京都知事選だが、自民党が推す増田寛也陣営の応援に駆けつけた石原慎太郎が、小池を指して「やっぱり厚化粧の女に任せるわけにはいかないね」と発言した事が物議を醸した。

物議を醸す、というか、「うわぁ、まだ、こういうこと言うのか」との失望が渦巻いた。自分の名前を地道に浸透させてきた増田は、バケツの底に大きな穴を空けてガハハと立ち去る老害に辟易したことだろう。

石原はこれまでも「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなものだ」(2013年5月)、

福島みずほを指して「バカみたいな社会党の生き残り女。生きているのが不思議な化石みたいな人」(同年6月)、

(いずれも木下厚『政治家失言・放言大全』参照)などといくらでも女性蔑視を重ねており、お馴染みの下劣ではある。

自民党を離党すらしていないのに「孤軍奮闘で挑む女性」という物語を急いで作り上げていた最中の小池百合子にとっては、彼の下劣の提供は好都合に働いた。

「いやはや香水の匂いが凄い」

赤坂の天ぷら屋で小池に会ったことがある。いやはや香水の匂いが凄い。俺の鼻は格好は悪いけど(笑)、嗅覚の機能はいい。

たちまち頭が痛くなって、天ぷらどころじゃない。テレビで彼女の顔を見るたびに、あの場末のキャバレーのような匂いを思い出しちゃう。

堤堯(『月刊Hanada』2016年9月号/久保紘之との対談にて)

出典 http://mess-y.com

このように、女性政治家への評定を「香水のキツさ」で下すような人たちが、いわゆる右派雑誌には列を成していらっしゃる。

見てくれ方面での判別が堂々と全面に押し出されてくる環境。しかし、小池は正にこの支持層から票をいただかなければならない立場だった。

元『文藝春秋』編集長の堤と元産経新聞政治記者の久保紘之との対談は、やがて参院選・都知事選の双方で結果を残せなかった民進党の岡田克也への揶揄に繋がっていくのだが、その中身を覗いてみれば、この有様だ。

「岡田は代表だけではなく政治家もやめて兄がやっているイオンにでも入って課長代理にでもなればいいんだよ」

久保「なれても課長代理ですか(笑)」

「あの器量じゃ、それくらいが関の山だ(笑)」

オジ様の大好物、人事の例え話。こういう輩がやかましく駄弁る天ぷら屋にいると、たちまち頭が痛くなって天ぷらどころじゃなくなるのだが、この手のマッチョな判断をガハハと投じる様に溜飲を下げる読者がスタンバイし続けている。

「厚化粧の女」と罵られた小池百合子は、こうやって性差を粗雑に取り扱う連中を無視せずに、むしろ性差を磨き上げる作戦をとった。

無くしたり縮めたりするのではなく、磨き上げる。具体的にはこう。

彼女を支援した若狭勝が「石原発言」後の応援演説で、「そういう言葉が簡単に言われてしまって簡単に許されるということだと、ぼくは本当に日本社会って暗いなって思う。女性が輝くなんてあったもんじゃない。僕は許せない」と涙を流すと、

小池は「先ほど、若狭さんが男泣き。申し訳ないです、男泣かせちゃったんだから。本当に申し訳ない」と続けた。

やっぱり男がやるべきと意気込む石原と、私のためについてきてくれている男を泣かせちゃった女として意気込む小池。これって要するに、軍歌と演歌の合戦。いずれも「女」を、それはそれは古めかしい状態で稼動させていたわけだ。

「宇都宮さんの姿勢は、誰よりもフェミニストに見えた」

今回、「女性の人権にかかわる問題についての対応という点で、残念ながら一致にいたっていません」とTwitterで鳥越さんへの態度を表明した宇都宮さんの姿勢は、誰よりもフェミニストに見えた。フェミとは、人権に固執する思想だ。

北原みのり(『週刊朝日』2016年8月19日号)

出典 http://mess-y.com

「女性だって政治の首長を務めるべきだとは思うけど、それは“あの人”ではない」、と訴えるため、終盤になればなるほど、女性政治家や女性文化人がこぞって鳥越俊太郎の応援演説に駆けつけたのには違和感を覚えた。

鳥越俊太郎は、週刊誌が告発したセクハラ疑惑について、丁寧な弁明をせずに司法に委ねた。疑惑の中身は、14年前の夏に女子大生に強引にキスを迫ったというもの。その夫によれば、女性は今でもトラウマに苦しみ、自殺を口にすることもあるとのこと。

これまでジャーナリストとして反権力を謳ってきたはずの鳥越は、週刊文春にも週刊新潮にも、言葉で返すのではなく、刑事告訴をする道を選んだのだった。

選挙に出れば週刊誌が過去をほじくってくることなど容易に予想できたはずなのに、すっかり動揺してしまったのである。

やっていないことを証明するのは難しい、と繰り返したものの、職種を広く捉えれば同じ物書きとしての先達が、駆け込むように権力に判断を委ねる様子には、怒りというよりも寂しさが募った。

その鳥越を、「初めての女性知事はあの人じゃない」という決意で支援していた女性陣。

選挙協力を最後までしなかった宇都宮健児は、北原の引用にあるように、この女性問題を宙ぶらりんにしたまま選挙戦に臨んでいる鳥越を見て、「支援しない」との判断を下したわけだが、

これを「なぜ一緒に戦おうとしないのか」と宇都宮側への糺弾に使うのはお門違いも甚だしい。

北原の言うとおり、人権に固執すべきところを、なぜだか「何年も前のちょっとしたセクハラなんてどうでもいいっしょ」と言わんばかりの態度で団結してしまう。

これについて、8月3日の東京新聞で斎藤美奈子がこう書いている。膝を打った。

「報道姿勢に問題があったとしても、セクハラ疑惑がかかったことは事実であり、そこに目をつぶって応援する女性議員や女性文化人の姿に呆然とした。

セクハラは女性の人権問題だと世間に理解させるためにどれほどの努力が必要だったか忘れたの?敵側に候補者に同じ疑惑がかかっても容認した?」。

週刊誌報道を経た後も表立って応援してしまった人に対して、猛省を促す指摘に違いない。

「女」や「セクハラ」という枠組が古めかしく機能した

小池は「女一人で戦う」を最大限に膨らませて勝利し、鳥越は「ちょっとした女の問題」を萎ませるのに失敗して多くの票を逃した。

しかし、その膨張と縮小について、丁寧な議論がなされたとは言い難い。あるいは小池の思想信条に染みるネトウヨ思想は触れられぬまま。

彼女が謳う「ダイバー・シティ」は、ある一定の人たちを排した上での多様性だ。小池が秘書に任命した野田数・元都議は、大日本帝国憲法の復活を求める請願を都議会に提出したことで知られる。

小池陣営の演出した「男たちに立ち向かっていく私」をメディアが素直に受け止めすぎる事で、有権者に伝えるべきいくつもの論点を沈ませてしまった。

小池および自民候補を東京都知事に据えたくないばかりに、「“ちょっとしたセクハラ”などない」と長いこと時間をかけて訴えてきたはずの人たちが、「こういう事態だから仕方ない」と頷いてしまう。

重複気味になるが、彼女らは「ちょっとだけならいいだろう」から発生するセクハラを許容している、ということなのか。

消去法でも候補が見当たらない選挙になったが、消去法へと導く際に「女」や「セクハラ」という枠組が、なんだかリセットボタンを押したかのように機能してしまった事が情けなかった。

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