出典壇蜜「エロスのお作法」だいわ文庫

記事提供:messy

朝日新聞紙面の悩み相談コーナー<悩んで読むか、読んで悩むか>に掲載された、壇蜜による「お悩み相談への回答」が波紋を広げている。

相談者は福岡県に住む12歳の女子中学生で、「毎日のように、特定のクラスメイト男子から『今日のブラジャー何色?』『胸をもませるかパンツを見せて』等と言われて困っている。

その都度『嫌だ』と拒絶しているが一向にやめてくれない」という内容だった。

相談につけられたタイトル(見出し)は『中学校で男子からセクハラ、イライラ』なのだが、回答者である壇蜜は、これをセクハラではなく「甘酸っぱい恋の話」と解釈した。

まず相談者に80年代のラブコメ少年マンガ『きまぐれオレンジ☆ロード』(まつもと泉/集英社)を薦め、

『超能力を持つ青年恭介と、不良美少女まどか&活発後輩美少女ひかるの織り成す惚(ほ)れたはれたの三角関係が何とも甘酸っぱいお話です(後略)』といった具合に紹介。そのうえで、『今の貴女(あなた)に必要なのは勇気と余裕です』と断言。

いわく、まだ恋愛にウブな相談者は、『漫画を通して異性と交流し、言葉に触れ「疑似体験」をしておけば、とっさの時にその困った男子をかわす準備ができるでしょう』。

ここまでは前段だ。相談者の悩み解決に向け、壇蜜はこう推理した。『貴女は、その男子を「大嫌い」になれないことも悩みなのかもしれません。嫌いという雰囲気が伝われば、男子もそんな事を言ってこないでしょうからね』。

果たしてこの推理が名答なのかどうか、相談者はYESともNOとも言えないゆえ、わからない。壇蜜はタイトルにある「セクハラ」を、『悪ふざけ』と表現し、『悪ふざけには貴女の「大人」を見せるのが一番だと考えます。

次に見せて触らせてと言ってきたら、思いきってその手をぎゅっと握り「好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね」とかすかに微笑(ほほえ)んでみてはどうでしょうか』。

さらに『ちなみにその困った君はきっと貴女が好きで、ちょっかいを出すしか愛情を示せないのでしょう』。

この記事はweb上で「壇蜜さすがすぎる!!!!」「知性と教養を感じるなあ~」と称賛を浴びて拡散されたのだが、12歳の相談者はこの回答を読んだのだろうか。読んだとしたら、どう受け取っただろうか。

筆者はもはや12歳の2倍以上の年齢だが、「孤立無援だなあ」と思いを馳せた。味方かもしれないと思って駆け寄った年上のお姉さんに、「オトナになりなさい」と諭されてセクハラ受容を促されるやるせなさ。悔しさで涙がにじむ。

『胸をもませるかパンツを見せて』と言われることが「甘酸っぱい恋の表現」とは、実に牧歌的かつマンガ的な世界観である。ともすれば壇蜜自身、あまりにセクハラ慣れしすぎて感覚が麻痺しているのかもしれない

(彼女がやれば波風を立てない拒絶方法をいくつか習得しているのだろうが、それは万人女性に当てはまるメソッドではなく、まして12歳の少女にとってはあまりにハードルが高い。そして波風を立ててはならない理由もない)。

「アサ芸」「実話」等の週刊誌で、あるいは「週プレ」「SPA!」あたりで彼女が読者の相談にこうした回答を寄せているとしたら違和感もないが、さすがに朝日新聞で「セクハラ奨励」はない。

セクハラを笑ってかわすのが大人の女性だと、同紙記者たちも認識しているのだろうか。もし仮に相談者と当該男子が相思相愛なのだとしたら、甘酸っぱい恋として片がつくだろう。

しかし相談者が当該男子を「やめてほしいし、大嫌い」なのだとしたら、また、当該男子は相談者を「好き」なのではなく「貶めたい」だけだとしたら、その時点でこの回答は的を外してしまう。

自分を貶めたがっている相手に、「手をぎゅっと握ってかわいく『ごめんね』」は屈辱的である。また、『好きな人にしか~』等と告げることで、物笑いのタネになっていじめ対象にされかねない懸念もある。

以下詳述するが、この世は『きまオレ』的世界観で成立していないため、どう転んでも懸念事項のオンパレードなのだ。

壇蜜は『貴女は、その男子を「大嫌い」になれないことも悩みなのかもしれません。嫌いという雰囲気が伝われば、男子もそんな事を言ってこないでしょうからね』と記しているが、

明らかに迷惑がられ拒否されているにもかかわらず、一方的な好意を押し付けてはばからない人間は少なからず存在する(上記相談のケースが好意かどうかはまた別の話だ)。

迷惑な好意を受ける側がどのようにして拒絶し、好意を押し付ける側もいかにそれを処理するかは、数々のストーカー被害事件を目の当たりにする今、我々が取り組まなければならない課題である。

ストーカー事例にしても、被害者側ばかりが自衛や拒絶に必死にならざるを得ず、加害者側が野放しにされ、「恋だから仕方がない」で済まされることすらままあるわけで、上記相談のケースでセクハラを受ける女子が、

『胸をもませるかパンツを見せて』と要求する男子の手をぎゅっと握り、『好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね』と微笑むことを“解決策”として提示するなど、無謀としか言いようがない。

何が「ごめんね」だ。セクハラ男子が親や教師に詰められてこの女子に謝罪するのが本来だろう。

もちろんはっきりした拒絶を示すことによって、相手が逆上して暴れ出す危険性もある。だが一方で、手を握ったり「ごめんね」と微笑んだりすることで、好意を“勘違い”されてしまう危険性も非常に大きい。

そうした勘違いが発生したとき、責められるのは誤解させた女子側である。いっそ、次にセクハラを受けた際、先に逆上して暴力行為に及べば相手が引いていくかもしれないが、それもまた「暴れた女」として損をするのは相談者側だ。

わずか840文字で回答できるほど単純な問題ではない。しかしセクハラなりストーキングなりの悪質な案件も、「恋心ゆえのからかい」と読み解けば840文字以内ですんなりおさまってしまう。

12歳は「子供」であり、保護者や周囲の大人が相談にのり、ひどい言葉を毎日投げつけているという男子に「それを暴力である」ことを教えるなど、しかるべき対応を模索しなければならない。

相談者の周囲の大人が、壇蜜同様の言葉をかけていなければよいと思う。

壇蜜はこの回答原稿を書くにあたって漫画喫茶で『きまオレ』を全巻読み直してしまい、ちょっとノスタルジックな感傷に浸って「甘酸っぱい恋、素敵やん」と思ってしまったのかもしれない。

女優でもグラドルでもない「聡明な女」の名をほしいままにしてきた彼女だが、こうした仕事は適任ではないだろう。

先に、<壇蜜は波風を立てないセクハラ拒絶方法をいくつか習得しているのだろう>と書いたが、彼女とて最初から「壇蜜」だったわけではない。

35歳の現在に至るまで、屈辱的な思いも経験したうえで、それを処世術として習得してきたのではないだろうか。

壇蜜は今年2月に上梓したエッセイ『どうしよう』(マガジンハウス)で、マスメディアにてエロアイコンとして都合よく扱われる「壇蜜」を演じつつも「心の中で唾を吐」いていると明かしていた。

であれば、「セクシーな大人のお姉さん・壇蜜」としてでなく、彼女自身の言葉で相談者の声に応えてあげてほしかった。

壇蜜がどのような過程で現在に至ったのか本当のところは知るよしもないが、自分が「性的な対象」として見られることを自覚し、受け止め、肯定するまでの時間も距離も、人それぞれ違う。

必ずしも肯定しなければならないものでもない。それをできるから大人だという定義はないし、できないから未熟で幼いわけではない。

繰り返すようだが、自分の体は自分のものであり、それを触らせないからといって「ごめんね」などと言う必要は誰にもないのだ。

ヒポポ照子
東京で働くお母さんのひとり。大きなカバを見るのが好きです。

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