記事提供:TOCANA

北陸新幹線の現終着駅である金沢より2駅東京側。富山駅を擁する富山市で、己のリビドーをカンバスにぶちまけ続けている若き美術家がいる。牧田恵実(1991年富山県生まれ富山市在住)だ。

牧田恵実/作

牧田の作品を目の前にすると、地獄が現世にはみ出しているような印象を受ける。それは日本の“賽の河原”のような牧歌的なものではなく、どちらかと言えば“カタストロフィ”のような破滅的なパワーである。

自己嫌悪

真っ赤な荒野に叫び続けるスチームパンク風な女性。豊穣な大地に林立する奇妙なまでに巨大なバオバブ。静謐な空に佇む羽根の生えた女天使(しかし股間には屹立する陰茎がある)など、「本当に世界のどこかに存在しているのでは?」と思わせるような不思議な生命力が牧田の作品には溢れている。

富山の純朴な少女が如何にしてこのような作品を生み出すようになったのだろうか?

牧田恵実/作

■温度差に耐えられず、美術部を離れ合唱部へ

幼少より絵を描くことが好きだった牧田は、中学校で美術部に入部。指導の厳しい教師のもとで制作に取り組んでいた。だが、牧田が中学2年生のときに担当の教師が転任してしまい、後任に就いたのはあまり厳しくない教師だった。

絵を描くことが「自分の存在を確認するための手段」だった牧田にとって、指導教員が変わり「帰宅部はかっこ悪いから」程度の理由で所属する生徒が増えてしまった美術部は、制作への熱があまり感じられず、所属している意味を見出せなかった。

「絵はいままでどおり、家でひっそりと描いていればいいか」

そう思い、牧田は美術部を去ることになる。

美術部を辞めた牧田は、合唱部に入った。映画、「天使にラブ・ソングを」のウーピー・ゴールドバーグが、保守的で退屈だった修道院の聖歌隊を町中の人気者にしたように、運動部がスクールカーストの頂点にいる学校を変えてみたかったからだ。

「ゴスペルをばしっと歌って踊れば、下層カーストの文化部だって人気者になれるかもしれない」

改革の炎を胸に灯し、合唱部に入った牧田だったが、現実はそううまくはいかないものだ。劇中でウーピー・ゴールドバーグ演じるデロリスは元クラブ歌手であり歌のプロであるが、牧田はそうではない。

合唱部にはメアリー(ウェンディ・マッケナが演じる内向的でおとなしく若いシスター。デロリスに感化され劇的な成長をとげる)もいなかった。文化部の下克上は失敗に終わった。

存在

■ネットの死体画像に癒された日々

学校に居場所をなくした牧田はインターネットにそれを見出す。実家にはWindowsパソコンが1台あり、インターネットにつながっていた。家族はあまり使わず、もっぱら牧田の興味を満たす機械になっていた。

現実世界では見ることのできない画像や映像たち。興奮と慰めを求めてネットサーフィンをしていたとき、バンコクにある「シリラート死体博物館」を紹介するページにたどりついた。

内臓の雲 Ⅱ

普通なら食欲減退確実のさまざまな死体画像。ホルマリン漬けやミイラにされた死体たちは牧田の知的好奇心を満たすとともに、現実感のない、しかし、確実に現実の死を通過してきている、死体を見ていると、牧田の心はとても落ちついた。

一度生を終えてミイラになり、永遠を生きる彼らの足元を見れば薬品が沁み出している。それは生きている人間が汗を出すのとなんら変わりがなく、生も死も1つの状態であり、マクロ的に見ればさして変わりはないのだ。

未来のバオバブ

■巨樹・バオバブの男根感に生命のほとばしりを感じる

死体や拷問のようなネガティブな刺激を求めるいっぽうで、牧田は巨樹の情報もインターネットで探していた。草木の奔放な枝ぶりに「生命のもつポジティブなほとばしり」を感じていた牧田は、そこで彼女の絵画のおもなモチーフである「バオバブ」に出会う。

巨樹好きはさけて通れないサバンナをおもな生息地とする奇妙な形態(悪魔がひっこ抜いてさかさまにしたと伝えられている)の巨樹だ。「いま思えば、男根感が強いっていうのもポイントですね」と牧田は言う。

「鉄女」 撮影者:加藤博史

■鉄工所の娘、『鉄男』に犯される

牧田の実家は大きな作業場と倉庫を有する鉄工所である。そこに出入りする職人たちを牧田は「ガサツな人」として認識していた。鉄を加工する機械は音が大きいし、細かな鉄粉が舞うために油絵を描くのに適した環境ではない。

汚れた作業服を着て大声を出す彼らに絵画や芸術が理解できると牧田は思わなかった。用事で作業場を訪ねるさいも目も合わあわせずにささっと通り過ぎていた。

地元の富山市で展示した際、鉄工所の職人たちが駆けつけてくれた。ふだんあまり話すことのない経営者の娘がどんなことを考えているのか理解したかったのだろう。彼らがそこで見たのは、鉄さえ溶かす火のような情念が込もった、牧田の描く異世界だった。

芸術に明るくない人間がいきなり対岸のものに触れてしまうと言葉を失う。職人たちもそうだった。

「恵実ちゃんの頭のなかすんごいね。かち割ってみてぇな」

彼らなりの最大の賛辞だが、牧田は自身の嫌う「ガサツな人」そのままの彼らの賛辞を素直には喜べなかった。

ある日、牧田は塚本晋也の映画『鉄男』を観る。超絶低予算でつくられた白黒の画面。そのなかで鉄に身体からだを侵食された田口トモロヲは股間のドリルで女を貫き殺した。

このとき、画面の前の牧田の脳みそも犯された。牧田を感動させたこの日本サイバーパンクの名作『鉄男』でフィーチャーされているのは、おびただしい量の鉄である。突然に、忌みきらっていた自宅の鉄工所が輝きだした。

鉄工所の娘である自分、所長である父、そこで働く職人たち、すべてが『鉄男』の世界と地続きであることに気づいたのだった。

■会田誠に会いたくて上京

地元のヴィレッジヴァンガードでふと手にとった本に会田誠の作品集があった。エログロなものと少女や自然などの神聖なものを混ぜこぜにし、圧倒的なポップさと表現方法を選ばない技術力で描くことで旧来の価値観を揺さぶる会田の作品を目の当たりにした牧田は「私のやりたいことはこれだ」衝撃を受け、会田のことを調べ始める。

mixiの現代アートコミュニティで会田とつながりのある人間を見つけた牧田は、それまで描いた作品をまとめたポートフォリオをかかえ、単身、夜行バスで東京へ向かう。着いた先は新宿区歌舞伎町の芸術公民館。現在は旧芸術公民館「砂の城」になっているこのサロンには、牧田の描いた会田誠の肖像画が今でも飾られている。

ここは、中国のアート界隈に存在するサロンに若い芸術家が毎夜あつまり喧々諤々のアート談義をしている現場を見た会田が「これは日本にも必要な場所だ」と感じ、帰国後に歌舞伎町に作ったアートサロン兼作業場である。あいにく牧田が着いたときに会田はいなかったが、彼と仲のいい写真家が電話で呼び出してくれた

初夏の怪物

■君は富山にいたほうがいい

はるばる富山から歌舞伎町まで来て、会田誠に会えた牧田だが、その日のことを「あまり覚えていない」と言う。人間、うまくいきすぎたことはあまり覚えていないものだ。奇跡のようなことの運びに彼女の記憶が少し曖昧になるのも無理はない。

確かなのはその日にあこがれの作家に会えたことと、「(君みたいなタイプの作家は)富山にいたほうがいいよ」と言われたことだ。

ちょうど森美術館での大規模な個展「天才でごめんなさい」の準備作業に追われていた会田誠はSNSでアシスタントを募集していた。twitterでそれを知った牧田は、すぐさま富山発東京行夜行バスのチケットを買い、ふたたび会田の元へ向かうことになる。

tatoo

■男性への興味を押し殺した思春期

牧田の描くモチーフの1つとして、女性(あるいは女性を連想させるもの)が挙げられる。しかし、地獄的な風景のなかで悪魔のような風貌の女性が叫んでいたり、セーラー服や裸で女性性を過度に付与した本人が過激なポーズを取ったりと、いわゆる"普通の女性"を表現しているものは少ない。牧田は女性に対してどう思っているのだろうか?

「女性の描く女性らしい、いわゆる“かわいい”絵にはあまり興味がないです。自分自身が女性らしく見られることにも」

思春期に自分が考えていたことと現実の自分とのギャップに悩んでいた牧田は、本当は男性に興味があるのにそれを押し殺し、憎しみに変換していたという。

同じ時期に、ませた友人からアダルトビデオを見せられ、セックスのありようにショックを受けたという。ビデオの中のそれは牧田の妄想世界で男女がカップルになったときにする行為より、はるかに突飛だった。

アダルトビデオに映し出されたセックスのスピード感、ナマ感に触れ、嫌悪感を覚えた牧田は女性と付き合ってみることにする。相手も男性に嫌悪感をいだいていた女性であり、すべてがうまくいきそうだった。

しかし、手をつないでも、キスをしても、首を絞めてみても特に何も起こらない。レズビアン想定実験ではセックスを目撃したときの刺激とスピードを超えることはできなかった。

ダメ、ゼッタイ

■武装したわたしが世界とコンタクトをとる

「普通の人にはなりたくない、なぜならわたしは普通の人にはなれないのだから」

そう思いながら制作をする牧田の作品の中で、武装したり叫んだり激しく踊る女性が彼女自身の投影であることは言うまでもないのだが、ではなぜそのような"普通ではない"行為をしているのか。

それは自分とは異なったもの−−−馴染めなかった学校、ナマのセックス同性愛などを含む、“牧田が違和感を覚え、コミュニケーションを取ることの出来ない外の世界を”を理解するための武装であるように思える。憎しみや興味、刺激のあるモチーフで武装した女性は世界とコンタクトをとろうとしている。

God is love

■作品で脳みそを犯したい

武装して世界と対峙する牧田は徹底的に自分を追いこんでいた。他人は他人、自分は自分という気持ちを抱えながらも他人とコンタクトを図ろうとする。この接触欲求には1人の男性が関係してくる。

優れた美術作品を観たときに、牧田は「脳みそが犯される感覚」を覚えるという。それを自身の作品を観た男性にも味わってほしい。

その想いがこじれ「わたしに惚れなくてもいいので、わたしの作品に惚れてほしい」になり「とにかく絵で有名になれば好きな人にみてもらえるチャンスが増える」となった。なんとも奥ゆかしくてロマンチックな発想だが、根底には思春期に患った低い自己肯定感がある。

接触欲求発自己否定行きのネガティブエンジンは強い唸りをあげて牧田の表現にパワーを与えていた。しかし、それは使えば使うほど、その男性と自分との距離をまざまざと見せつけられるものであった。

そんな世界vs自分レースの消耗戦でどんどんと牧田の体力はなくなっていく。「このままでは死ぬしかないのでは?」と、思いつめて寝込んでいたところに、高校時代の美術部の恩師から手紙が届く。

「まっきーのことをみんなまっているよ」

■未来も照らされて明るいはず

「世界のなかで自分はそのままで存在してはいけない」そう思っていた牧田にとって、恩師の手紙に書かれていた内容は衝撃であった。個としての自分を武装し強化すること、それを表現することで対象を自分色に染めていく。その限界、最大の方法としての「死ぬこと」にたどりつきそうになっていた牧田に対して世界は意外なほど優しかった。

「この世のすべてが必然だとしたら、自分がどう意味づけできるのかですべてが変わってきてしまう。だからなるべくポジティブな視点で意味づけできるのなら、未来も照らされて明るいはず」

そう牧田は言う。人は独りでは生きていけない。刺激を受けるために、インターネットで好んで閲覧していた内臓も人体を構成する歯車としての機能がある。世界の中にわたしがいる。牧田の視界は世界に開かれ、新しいエンジンが動きはじめた。

他人に伝わらない絶対的なものを追い求めるのではなく、相対的に伝わるものを作らなければ。わかってほしかった本当のわたしは、わたしの中ではなく、外の世界にあるのだ。

陰と陽

■だれも気づかないようなことにこだわって生きるのはいや


「4年前の自分がいまの自分を知ると嫌悪感を抱くだろう…… いまの自分から見ると4年前の自分よりもだいぶマシになっていると思うが…… じつは成長しているのではなくって、ただ足もとにいることをあじわっているだけなのかもしれない」

Twitterにそうつぶやく牧田はインタビューで「自分の昔の絵が魅力的に思えなくなってきた」と言った。男性も女性も結合も大好きだが、そんな自分は許されないので

「絵の中で忌み嫌うモチーフを自身に付与する」

あるいは

「風景の一部として過度に誇張されたモチーフを配置し、それを異界の自然な風景とする」

などの表現方法で、

「本来は持てないものを持つこと」

言い換えれば

「異常な普通」

として世界を理解してきたのが過去の牧田であるならば、いまはそれら理解できないものも、理解できないこと自体を含めて世界の機能の一部としてとらえられている(客観性を獲得したとも言える)のだ。そう思うのも無理はないのかもしれない。

水墨画

■祖父の雅号を受け継ぎ水墨画の世界へ

そして、いまは亡くなった祖父がよく描いていた水墨画をよく描くようになった。祖父は実家の鉄工所を一代で築きあげた男であり、水墨画は趣味で描いていた。雅号は「翠鳳」。 牧田は祖父の雅号を受け継ぎ、「牧田翠鳳」として水墨画を発表している。

いまいち肯定的に見みることのできなかった鉄工所を作った祖父の雅号をうけつぎ、牧田は自分の中の男性的な部分を表現している。

その一方で、「牧田恵実」としても「女性として見られているわたし」を表現し続けていく。自分自身を女性として見られること、女性であることに嫌悪感を抱いていた少女はもういない。2つの名前で男性性と女性性を表現する。

いびつなエンジンで死に向かって走っていくことはもうしない。恵実と翠鳳の2気筒で走りだした画家の顔は晴れやかだった。

文・Inouwye Yuta(YAVAI-NIPPON)

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