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2016年8月7日、リオ五輪男子400メートル個人メドレーで、前4回ロンドン五輪3位の萩野公介選手が4分6秒05の日本新記録で優勝、日本人選手では今大会最初の金メダルを獲得しました。また、世界選手権2連覇中の瀬戸大也選手が4分9秒71で銅メダルとなり、日本人選手のダブル表彰台を達成しました。

試合後のインタビューで、念願のW表彰台に上がった事を、萩野選手はこう話しました。

(瀬戸と立った表彰台は)本当に大也がいなかったら僕はここにいないですし、これからももっと(競争が)続いていくと思う。

出典 http://rio.yahoo.co.jp

瀬戸選手もインタビューで萩野選手の事を聞かれ、こう答えました。

今回、公介がいたからこそ自分も銅メダルが取れたと思いますし、これから4年間、とにかく自分が全力でやっていけばそれがストーリーになっていくと思います。とにかく、まず公介と2人で日本の競泳界を引っ張っていけるように(したい)

出典 http://rio.yahoo.co.jp

簡単ではなかったW表彰台への道

同学年の2人は、長年競い合ってきたライバルとして知られています。オリンピック前には、そんな2人にスポットを当てた『NHKスペシャル 金メダルへの道「水の王者は俺だ~萩野公介と瀬戸大也~」』が2016年8月3日に放送され、話題になりました。

現在大学4年生の同い年ライバル瀬戸大也選手と萩野公介選手の出会いは、小学校3年の時にさかのぼります。

萩野選手は雲の上の存在だった

萩野選手は、生後5か月で母親と一緒にベビースイミングでプールデビュー。小・中・高校と、泳ぐたびにその記録を面白いように塗り替え続けてきました。小学生時代から「水泳の申し子」「金メダルに一番近い小学生」と言われるいわゆる“天才型”の期待の選手。

一方の瀬戸選手は5歳から水泳を始めたもの、この頃はまだ萩野選手に大きな遅れを取っていました。瀬戸選手のタイムでは参加さえできない大会で2、3学年上の選手たちと争っていた萩野選手がメダルを取った姿を見て「あまりに速かったので、絶対に年齢が間違ってる」と母親と話していたと言います。

そんな2人が初めて試合で顔を合わせたのが、小学3年生の時。その差は歴然としていました。200mの個人メドレーで、萩野選手は瀬戸選手に15メートル以上の大差で圧勝したのです。

逆に「絶対に勝ってやる」と思った

小学生で初めて萩野の泳ぎを見たときは衝撃を受けた。「雲の上の存在だった。何ひとつ勝てなかった。スタートしてすぐに体半分くらい差をつけられて、泳ぐごとにどんどん離されていく感じだった」。瀬戸は当時をそう振り返る。

しかし、それで逆に闘志が沸いた。「絶対に勝ってやる」と思った。

出典 http://sports.yahoo.co.jp

そんな瀬戸選手の思いを、家族はしっかりと受け止めました。母は試合のビデオを撮る時には必ず2人が入る様にして撮影、父は手作りの水中鏡を作ってプールに沈め、フォームを改良できる様にしました。そして身長を伸ばす為に食事は和食中心、午後10時には就寝することに。

“天才型”と呼ばれる萩野選手に対し、瀬戸選手は”努力型”の選手だったのです。

あえて萩野選手が出る大会に出場していた瀬戸選手

瀬戸選手は、中学になると萩野選手が出るレースを選んで挑み続けました。しかし顔を合わせる度に、萩野選手に負け続けます。個人メドレー以外の競技に移りメダルを狙うこともできましたが、何としても萩野選手のいる個人メドレーにこだわり続けました。萩野選手の得意は背泳ぎと自由形、瀬戸選手はバタフライと平泳ぎ。萩野選手に勝つために、徹底的に得意のバタフライを強化しました。

そして2人の出会いから5年後の2008年、中学2年の夏に出場したジュニア五輪・400M個人メドレーで、ついに瀬戸選手は初めて萩野選手に勝利したのです。しかも自己ベストを10秒以上更新して。

『負けた事は悔しいけど、競え合えたという事が嬉しかった』

萩野選手は、それまで同学年に負けた事はありませんでした。常に試合のライバルは”今までの自分”。自分の出した記録を塗り替えられるかが勝負だったのです。そして瀬戸選手に負けた事で、萩野選手に今までに感じた事のない気持ちが湧き出てきます。

「負けた事は悔しかったけれど、競い合えたという事が嬉しかった」

この頃から2人の意識は、世界へと向かいます。「2人で世界を狙っていきたい」「2人一緒に表彰台へ登りたい」

ロンドン五輪に2人で行こうと誓いあった萩野選手と瀬戸選手でしたが、そのロンドン五輪で2人の運命は大きく分かれました。

天才型と努力型

天才と言われ続けてきた萩野選手のエピソードで印象的なものがあります。それは中学2年の時。ひざの半月板を損傷し手術、1カ月間も泳げなかった萩野選手でしたが、日本短水路選手権で50m背泳ぎで中学記録を出したのです。治ってから3日ほどしか泳いでいなかったのに。

彼は元々陸上のトレーニングが好きではないのですが、(手術後は)泳げないので毎日やっていました。小学6年生のときは2、3回やると腕がプルプルプルなって腕立ても満足にできませんでしたから。別にものすごい力がついたわけではありません。それだけで彼は記録が出せた。50メートルくらいなら練習していなくても、水の中に入っていなくても記録を出してしまう。「こいつ神懸かっているな」と思いましたね。

出典 http://sports.yahoo.co.jp

一方の瀬戸選手は、良い泳ぎを見るとそれを真似する事で技術を磨いてきました。目標とする選手の映像を見て、それを真似するのだそうです。

バタフライはマイケル・フェルプス選手、背泳ぎは入江陵介選手、平泳ぎは北島康介選手と山口観弘選手、自由形はイアン・ソープ選手。それを中学の時から使っている父親特製の水中鏡を使い、自分で確認して泳ぎながらフォームのモノマネを極めてゆく、そうやって実力をつけてきました。

もちろん、天才型と呼ばれる萩野選手が、そう呼ばれる自分と戦う為にどれ程の努力をしているのかは想像に難くありません。しかし多くの水泳選手が、萩野選手のその才能を目の当たりにして圧倒されてきた事も確かです。

そんな中、最初の対決で15mもの大差をつけられても「絶対に勝ってやる」と闘志を燃やした瀬戸選手との遭遇は運命の出会いだったのでしょう。

――瀬戸選手から見た萩野選手の強さは
萩野君は、自分とすべてにおいて正反対で、得意種目も真逆で、彼は頭良いし自分は頭悪いしみたいな(笑)。性格も真逆で、水泳以外でも尊敬します。(萩野選手は)やっぱり真面目で、ストイックなので、練習も本当にはやくて、「ああ、本当に強いんだな」って思います。

出典 http://ameblo.jp

明暗を分けたロンドン五輪

一緒に世界を目指していた2人の運命が大きく変わったのは2012年。2人が高校年の時に行われた日本選手権(ロンドン五輪予選)で、萩野選手は日本新記録を出して優勝。ロンドン五輪に出場が決まりました。高校生で日本代表に入ることは2000年シドニー五輪の北島康介選手以来、12年ぶりの快挙でした。

一方、瀬戸選手は3位で出場枠に入れず落選。一度は近づいた2人の立ち位置が、W表彰台どころかまた大きく広がってしまったのです。

ロンドン五輪で、萩野選手は見事な泳ぎを見せて銅メダルを獲得。高校生でのメダル獲得は56年ぶり、しかも同種目でのメダル獲得は日本人初の快挙でした。これをきっかけに、萩野選手は日本水泳界を引っ張るスター選手となってゆきます。

そして代表に漏れた瀬戸選手は、ショックでプールに入る気にもなれず、練習にも身が入らないまま日々が過ぎていました。五輪中継も全く見る気にはなりませんでした。ただ1つ、萩野選手のレースを除いては。そして悔しくてなかなか気持ちを切り替えられずにいた瀬戸選手は、小学校の頃からのライバルである萩野選手がロンドン五輪で見せた試合に、大きく心を揺さぶられます。「自分もこのままじゃいけない」とこれまで以上に練習に打ち込んだのです。

翌2013年に瀬戸選手が世界選手権400m個人メドレー優勝

そこからの瀬戸選手の活躍は素晴らしいものでした。2013年にスペイン・バルセロナで行われた世界選手権・400m個人メドレーで、初の日本人優勝を成し遂げます。最初にレースをリードしていたのは萩野選手でした。バタフライ、背泳、平泳ぎと萩野選手のリードが続き、誰もが萩野選手が優勝だと思ったその時、平泳ぎで瀬戸選手が猛然と追い上げ、大逆転で金メダルを手にしたのです。疲れが出たのか後半失速した萩野選手の結果は5位。

瀬戸選手の目標は、ずっとライバルだった萩野選手と一緒に表彰台へ立つということ。ロンドン五輪では、自分が代表には入れず叶わなかった夢。世界選手権では、自分は優勝したけれど、萩野選手は5位という結果に終わりWフィニッシュは叶いませんでした。

勝負では勝った瀬戸選手ですが、ベストタイムは萩野選手の方が上。試合後のインタビューに答え、瀬戸選手はこんなコメントを残しました。

「最高のパフォーマンスが出来て運良く優勝できたけど、記録はまだ公介の方が上。でも自分も優勝したことに自信を持ちながら、満足しないで、これからも切磋琢磨しながらリオでは今回出来なかったダブル表彰台実現できるように頑張りたい」

出典 https://sportiva.shueisha.co.jp

また、萩野選手もコメントを。

「非常に悔しいけど将来になって振り返って見た時、バルセロナの夏は必要なものだったと考えられるような結果を出したい」

出典 https://sportiva.shueisha.co.jp

それからも活躍を続ける2人。2015年の世界選手権では今度こそ2人揃って表彰台に上がろうと誓いました。しかし2年に一度の世界選手権での2人の対戦を心待ちにしていたファンの元にショックなニュスが飛び込んできます。

萩野選手が右肘を骨折して世界選手権を欠場

萩野選手が練習所場所まで自転車での移動中に転倒、右肘を骨折して全治2か月と診断され、2015年の世界選手権を欠場すると発表されたのです。またもや「2人一緒に表彰台へ」の夢は、萩野選手の欠場により叶わぬ夢となってします。瀬戸選手は、萩野選手の思いも背負って出場します。

「テレビで応援しているから頑張ってくれと言われた。目標は公介の(日本)記録。それを意識して泳ぐ」

出典 http://www.nikkansports.com

そんな強い思いで臨んだ瀬戸選手ですが、200mバタフライでは6位、200m個人メドレーでは準決勝敗退と思うような結果が出せませんでした。それでも瀬戸選手は諦められなかたったのです。

とても苦しくて、あまりいいイメージできなくて。正直、ダメだと思ったけど、ポジティブに言葉を発してやってきました」

出典 http://www.nikkansports.com

そして迎えた400m個人メドレーで、4分8秒50の自己ベストで金メダルを獲得し、日本人初の2連覇を達成!リオオリンピックへの切符を手にしたのです。

天才と呼ばれるがゆえに

萩野選手の思いも背負って泳いだと話す瀬戸選手。しかし実は、萩野選手は欠場した世界選手権での瀬戸選手の活躍を、悔しさから見ていなかったのです。そこには子供の頃から『天才』と呼ばれた故の苦しみがありました。

中学2年の時、初めて瀬戸選手に負けるまでは、同学年には負けた事がなかった萩野選手。無意識下での優越感のようなものが消えずにいたのです。

ライバルの出現は喜びであったと同時に、今までは感じた事のなかった「自分が負けるかもしれない」という思いを生み出す事になりました。そんな中、メディアや周りから期待されるプレッシャーも、年々大きくなってゆきます。

勝っても負けても常に期待され続けていた瀬戸選手は、中学生の頃には精神的なゆとりをなくしていた時期もあったと言います。

ご両親からのプレッシャーもあって、一度キレたそうです。暴力を振るう子ではないのに、壁を殴って穴をあけた。お母さんにしてみれば、「私が言えばそれを跳ね返してくれる子だと思って指導している」らしいんですね。またお父さんがすごく優しいので、バランスを取っているつもりでしたけれど、公介にしてみれば面白くなかったんですね。

出典 http://sports.yahoo.co.jp

最初に瀬戸選手に負けてから、萩野選手にとって瀬戸選手は複雑な存在でした。周りから見ると瀬戸選手が萩野選手の背中をがむしゃらに追っている様に見えていた時期も、実は萩野選手もまた苦しみもがいていたのです。

「一緒に泳ぎたくない。自分が調子悪いときなどは真面目にやって負けるのは嫌だった」

出典 http://www.nikkansports.com

「心の底から(瀬戸を)認めたくない気持ちがあった」。そんな「瀬戸コンプレックス」は大一番で心の弱さとなり、弱気、逃げの気持ちにつながり敗因となった。

出典 http://www.nikkansports.com

平井コーチからは「大也の強さを認めて、どうやったら勝てるかを考えろ」と言われ続けていたと言います。そして2016年の年明けにYouTubeで泳ぎを確認し「あいつと勝負する!」と改めて覚悟を決めました。

欧州合宿中も常に隣のレーンに瀬戸を仮想し、最後の自由形100メートルで競り勝つことをイメージしてきた。初めてライバルと認めることで苦手意識は消え、「負けられない」から「勝つ」のポジティブな考えに変わった。

出典 http://www.nikkansports.com

初めての出会いから13年…ついにW表彰台へ!

萩野選手を「ライバル」と呼びながらも、萩野選手の背中を追い続けてきたと語る瀬戸選手。追いかけてくる「ライバル」がいるという恐怖と喜びを感じながら強さに磨きをかけてきた萩野選手。今回のリオ五輪でのW表彰台は、奇跡の様な宝物であるお互いの存在があったからこそ成し遂げた快挙である事は間違いありません。

「(萩野とは)持ってるものがまったく違う。だから、正面からガツンといかずにリスペクトし合えるのかな。アイツは考え込むタイプだけど、僕は感覚人間だし」

出典 http://news.goo.ne.jp

(東京五輪の400メートル個人メドレーに向けて)また大也と競りたいし、チェースとも競るだろうし、ほかの選手も出てくるだろうし、もっともっと厳しい戦いになると思う。僕も、もっともっと強くなって、もっともっと良いレースをしたいです。

出典 http://rio.yahoo.co.jp

今回、60年ぶりに生まれた競泳でのダブル表彰台。しかしこれがゴールではありません。2人のライバル関係はこれからも続いていきます。「次(東京五輪)こそはワンツーフィニッシュで」と語る2人。きっとまた、素晴らしい新たな歴史が生まれる事でしょう。

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