東京オリンピックも近づき、天皇陛下の譲位も話題になっている今日この頃。近いうちに平成という元号も変わるかもしれません。新コーナー「昭和土産ばなし」では、平成の前の元号である昭和の時代を振り返るとともに、現代に残したい当時の学びを探りたいと思います。

今回お話を伺ったのは、昭和研究の第一人者・町田忍さん。「激動の時代」と呼ばれた昭和は、少年時代の町田さんの目にどう映っていたのでしょうか?

江戸時代から一緒だった生活が一気に変わったのが昭和

出典Spotlight編集部

――町田さんは昭和研究の第一人者として、書籍だけでなくテレビなどにも出演されていますよね。町田さんから見て、昭和とはどんな時代でしたか?

町田忍(以下:町田):昭和は激動でしたね。毎年毎年どんどん変わっていくんですよ。価値観とか生活が。それは子供だったボクも感じて、すごく忙しかったですね。

家電が普及したのもボクらの時代で、それまでは洗濯は洗濯板でやるし、掃除はハタキやホウキを使うっていう社会でしたからね。そこらへんは江戸時代からずっと一緒だったんですが、それが一気に変わっていくんです。あの変わり方はすごかったですよ。

発売当時の洗濯機は脱水槽がなかったんで、脱水用に洗濯物を絞るローラーがついていたのを覚えています。でも、力任せに絞るものだから、服のボタンとかが割れちゃうこともあったんですよね。まだそういう未完成な部分があった。

出典町田忍さん提供

ボクは子供だったから手を挟んで遊んだりしてました。今思うと非常に危ないんですけど、当時は洗濯機自体が珍しくて触ってしまうんです。

電話が少なかった時代でしたから、近所で持っている家に行って利用していたんですよ。今と違ってプライバシーとかの概念が薄かったんで、みんなで使うのが当たり前って風潮でしたね。ウチ宛ての電話が近所のクリーニング屋さんにかかってきたりして、ウチもクリーニング屋さんの電話で連絡していました。

テレビが一気に普及し、価格は10年で10分の1に

――掃除機や冷蔵庫がないって今では想像がつかない社会ですね。そんな中でも町田さんが印象深い時代の変化とはなんでしょうか?

町田:時代が一気に変わったなと思ったのはテレビの普及でしたね。テレビ放送開始が昭和28年なんですが、当時テレビは日本中に約880台しかなかったんです。それらが渋谷とか新橋駅前の街頭とかに設置してあったんです。20インチくらいのテレビなんですが、集まったのが1万人の群衆なんで、まるで見えないし聞こえない。

それからしばらくして商店街の電気屋に置かれ始めたのを親に肩車されて見た覚えがあります。それでも人がいっぱいでよく見えなかったですね。

そして、皇太子殿下(現・天皇陛下)のご結婚があって急速に普及していったんです。テレビを買った家には近所から人が集まってきて、ご成婚の様子やプロレス中継を一緒に観るんですよ。

最初のテレビって現在の価格で1000万円くらいだったんです。それがわずか数年で10分の1くらいになったんですよ。大量に売れるから一気に値段が下がっていたんです。それでも昭和33年で6~7万円(現在の価格だと100万円以上)。ほかも洗濯機が5万円くらいで、掃除機が2~3万円でした。テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と言われた時代です。

東京オリンピックの時にカラーテレビが発売されたんですが、それでも9万円(現在の価格だと100万円以上)でしたね。ウチには白黒テレビしかなかったです。

あらゆるものに型がなく、多様で面白かった

出典町田忍さん提供

――テレビが普及したことで情報が増えていくわけですよね。町田さんはどのような番組をご覧になっていたのですか?

町田:当時見ていたのはヒーローものですね。『月光仮面』とか『まぼろし探偵』に『ナショナルキッド』とか特撮物の元祖みたいなのを楽しんで観ていました。あと『鉄人28号』や『鉄腕アトム』の実写もありましたね。すべてが手作り感がすごくて、鉄人も人間サイズなんですよ。

それとアメリカドラマですね。『名犬ラッシー』『名犬リンチンチン』『ローンレンジャー』とかいっぱいやっていて、そこでアメリカ文化に触れていくわけですよ。リビングにソファがあって、階段のある家がカッコよくて憧れましたね。

アメリカ文化が入ってきて、どんどんアメリカドラマに出てきたモノが日本に入ってくる。そういうふうにモノが豊かになっていくのが面白くてね。

今ですと「これはこういう感じ」っていう形があらかじめ決まってるじゃないですか。車でもコンピューターで設計するから、どうしても似通ってくる。でも、当時はそのデータ自体がないから、メーカーが試行錯誤でいろんなものを出してくるんですよ。だから、形が多様で面白かったですね。食べ物や家電など、あらゆるものがそんな状況でした。

アメリカのディズニーランドに衝撃を受ける

――町田さんが見たアメリカのカルチャーの中で、特に印象深かったのはなんでしょうか?

町田:テレビでプロレス中継の後にディズニーランドの番組がやってたんですが、アメリカのディズニーランドを見てビックリしたんですよ。

当時、遊園地は日本にもあるんですけど、全然タイプが違う。規模から何から違うんでビックリしましたね。後にボク1975年ロスアンゼルスのディズニーランドに行ったんですが、ついに本物を見たって感動しましたね。

逆に日本にディズニーランドができたときは、あんまり感動しませんでした。すでに本場のを見てしまっていたのもあるんでしょうね。

これは80年代の話になるんですけど、東京ディズニーランドはオープンした年に行ったんですよ。開園2週間くらいでした。今じゃ信じられないでしょうが、人がいなくてガラガラ。見渡すかぎり誰もいなくてね。別にチケットが高いわけじゃなく、3000円くらいだったんですけど。

ボクの育った時代ってこんな感じで、本当に変わっていった。小学校までは生活も遊びも江戸時代とそんなに変わらなかったけど、中学生になるとアメリカの影響でディズニーをはじめ、いろんなものが入ってきて、東京オリンピックが始まる。そこからはさらにすごかったですね。

出典Spotlight編集部

町田さんの話はまだまだ続きますが、今回はここまで。

次回は「東京オリンピックとビートルズの衝撃」。今までテレビでしか見たことのなかった海外がすぐそばにやってきた時、町田少年はどんな感想をもったのでしょうか?そして、日本中を熱狂させたビートルズコンサートの模様とは?

さらにお話は今食べても美味しそうな昭和の食事芸能人の赤裸々過ぎるプライベートなど、どんどんディープになっていきます。平成のスマートな文化に対して、雑多で熱気にあふれる昭和文化は面白さがいっぱいです。現代の私たちが知らなかった日本がそこにはありました。

この記事を書いたユーザー

Spotlight編集部 ロコン大好き このユーザーの他の記事を見る
得意ジャンル
  • インテリア
  • マネー
  • グルメ
  • 料理
  • テレビ
  • ゲーム
  • エンタメ
  • おもしろ

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス