記事提供:R25

木村清

1952年千葉県東葛飾郡関宿町木間ヶ瀬(現野田市)生まれ。

航空自衛隊に入隊後、74年退官。中央大学法学部(通信教育課程)に在学中から大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社・「新洋商事」に入社。

79年に独立し、木村商店を創業。水産関連から弁当、カラオケ店など、90もの事業を手がける。85年に喜代村を設立。

バブル崩壊後、築地に「喜よ寿司」を開店。2001年に24時間営業・年中無休の「すしざんまい」を開店。

現在全国に50店舗を展開。本マグロの備蓄をはじめ、自ら世界中に赴き、魚の直接仕入れを行う。そんな激動の半生は『マグロ大王 木村清 ダメだと思った時が夜明け前』(講談社刊)にたっぷりと記されている。仕事と人生のやる気がみなぎる一冊!

2013年、築地市場での初競りで、クロマグロを1億5540万円で落札。

最近ではソマリア海域での漁業の取り組みが海賊の撲滅に大きく関わったことが、ネットニュースを中心に拡散。

何かと話題を振りまく「すしざんまい」の木村 清社長だが、築地でキャリアを培ってきたのかと思いきや、「すしざんまい」の開店は2001年。意外と最近だ。それ以前には様々な仕事に従事してきたらしい。

最初に目指したのはなんと、航空自衛隊の戦闘機パイロット!

「ヘリコプターには乗れたんだけど、ジェットファイターにしか興味がなかったんだよ!」

15歳で航空自衛隊に入隊。小さいころから憧れだったパイロットを目指すも、事故で視力を落とし、パイロットの道は閉ざされてしまう。

そのまま自衛官を続ける道もあったが、目標はF‐104のパイロットだったため退官。この思い切りの良さは、やがて人生の節目節目で発揮される。

金の貸し借りは縁の切れ目。貸すくらいならあげてしまう

「航空自衛隊時の貯金が60万円くらいあって、それで株を買ったら200万円くらいになった。

で、モーテルが流行っていた時「300万なら売る」という人が現れた。そのとき見栄張って『200~300万くらいある!』って言っちゃったんだよね。月450万の売り上げがあるから儲かる見込みがあった。

で、残り100万円のことを母親に相談したら、『100万貸してもいいが、その代わり二度と家の敷居はまたぐな』と言われ、モーテルの事業は思いとどまった」

その道に進んでいたら、もしかしたら“マグロ大王”ではなく“ホテル大王”になっていたかもしれないが、「今にして思えばそれでよかった。モーテルは金儲けのための商売だから」

木村社長にとって、仕事は“人を喜ばせるためにすること”が大事。冒頭の初競りも「日本人のため」と語るし、ソマリア・ジブチでの件もまだ利益には繋がっていないという。でも、「それでいいんだよ。アッハッハ!」と破顔する。

さて前述の200万だが、人に貸した結果、戻ってこなかったらしい。

「1カ月で返すと言われたんだけど、返ってこなかった。

金貸すと借りた方が強くなっちゃうんだよ。だからお金はそれ以来、貸さずにあげるものだと考えることにした。

明日食うこともできないと言うなら、500円くらいあげれば牛丼代と交通費にはなる。それで仕事を教える。

金の貸し借りは縁の切れ目だからやっちゃいけない。色々あったけど、人生に無駄はあんまりないんだ。そういう苦い経験があって、今度は二度と同じことをしないようにすればいいんだよ!」

水産業だけにとどまらず、隙間を見つけてビジネス化。しかし会社は…

「色々あった」と本人が語るように、その後も紆余曲折。自衛隊時代に大検を取り、中央大学法学部(通信教育課程)に入学していた。

退官後、学費を得るため大学在籍中に百科事典を売るセールスマンなどを経験。「学生でもいいから」とマルハニチロの子会社に入社する。仲卸として市場や加工場、飲食店を回る日々が始まる。

「3カ月くらいでやめようと思ったら1年になった。とりあえず大学卒業して司法試験に挑戦しようと思っていたんだけど、聞けば当時の弁護士は400万~500万の年収だって。

その時の私はもっと利益を上げていたから、それじゃつまらないなと思った。それに魚が好きになってきてたし。マグロには何種類もあるし、加工のやり方ひとつで味が変わる。

いろんな市場や加工場を巡るのも楽しいし、料理屋さんで手伝うのも苦じゃない。『よく来たな』っていろいろ教えてくれるんだよ。みんな喜んでくれるから、楽しくなっちゃってね」

さらに商才も発揮する。「当時は見向きもされなかったイカのヒレや売り物にならない魚をすり身にすれば安く作れて儲けが出る!」とひらめいて加工品の販売をスタート。

問屋や市場で食べられている弁当が冷めていることに気づき、ホカホカの弁当を売るサービスも考えた。

しかしゼロから企画を立ち上げて採算化しても、評価されることはなく、それどころか手を広げすぎだと釘を刺される始末。それを機に独立を決意し、築地の雑居ビルに机ひとつと電話1本で木村商店を立ち上げたのは27歳のときだった。

「イクラを100kg~1000kgくらい仕入れて、パックし直して寿司屋さんに持っていくと喜ばれる。1kgで1000円くらいの儲けが出るんだけど、そのころ他のところはやっていなかった!」

さらにカラオケボックスも立ち上げる。木村社長、“隙間”を見出すのが得意。5分考えてアイデアが出なかったらやめる。出てきたら即実行。「かんたん!」とニヤリ。とはいえリスクもあるハズだ。

「損してもなんぼかだよ。1500円で買ったものが思い通りの値にならなかったとしても、いくらだったら売れるか。1000円で売れるなら、損しても500円ですよ。1500円まるまる損するわけじゃないから。なんとかなるんだよ。

それに失敗は起こる。うちの社員にも言ってるんだけど、間違ったっていいんだよ。報告して次に繋げれば。

でも最近の人は失敗そのものを避けるのがダメなんだ。チャレンジがたりないんだよ!!

自動車やバイクの免許を取るときも、教習所行ったことない。飛行機もそうだったんだけど、やり方さえわかっていれば図面(地図)見せてもらって、布団のなかで『こうでこうで…』とイメージしておけば、次の日できるんだよ!」


もともと決算書を5分で読み切るほど数字に強かったという。真似するのは難しいかもしれないが、挑戦すればなんとかなるということ。

リスクを恐れない思い切りの良さが次に繋がる。そこに加え、木村社長が大事にしているのが、人付き合いのセンス、だ。

「私が水産業界に入った頃は、契約書なんてなかった。買うと言ったら買う。買わないと言ったら買わない。途中でやめるなんてことはないんだから。それをやったら付き合いはおしまい。世界中どこに行ってもだいたいそう。

世界で戦争が起こるのも、当事者同士が人間味を出していないからだよ。契約書が真っ先にくるような外交をしちゃダメ!」

バブル崩壊で事業を縮小。しかし「持つべきものは友」

そう語るのにも理由がある。水産関連業に加え、カラオケにレンタルビデオにビリヤードなど90もの事業を手がけるにいたったが、いわゆるバブル崩壊を経験する。さらにメインバンクによる不義もあり、事業の譲渡や縮小を図ることになった。

「人付き合いは大事でね。持つべきは友だちだと思ったよ。担保も契約書もなしに『使ってよ』『マグロの夢のために』といって、多くの人が何千万のお金を振り込んでくれた。

感激だったよ!そのお金でマグロを釣りに行き、釣れたマグロは仲間にふるまった。こんな仲間がいるんだから、もう一度事業を始めようと思った!

過去の事業を精算し手元に残った資金が300万くらい。それで寿司屋『喜よ寿司』を始めた。縁はこっちから切っちゃいけない。向こうから切ってきたら切る。

お袋も言ってたけど、井戸に落ちたときにどんな人がロープを投げてくれるかわからない。それは今も変わらないね」


97年に開店した「喜よ寿司」は、良いネタを明朗会計で握ると評判に。

そして、当時観光客もまばらだった築地をもう一度盛り上げてほしいとの依頼を受け、2001年に築地場外に「すしざんまい 本店」を開店。

明朗会計はそのままに、入りやすい店構えと、寿司屋としては前代未聞の24時間営業・年中無休が話題となり、またたく間に人気店となる。そんな木村社長の、仕事人生で一番堪えた瞬間を聞いてみると…。

「独立して、ちょうど30歳のころ、税務署が3年連続で来たんだよ!!銀行もペラペラしゃべっちゃうし、いや~参っちゃった、アッハッハ!」と冗談めかして本日何度目かの破顔。この明け透けっぷりに、人は引き寄せられるのだろう。

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス