ネットの情報を元に、ニュースをフカボる「フカボリNEWS」のコーナー。みんなが知りたい話題のニュースにもう一歩踏み込んだ記事をお届けしていきます!

中退すると出世するらしいと噂され、誰が言いだしたのか「中退一流、留年二流、ストレート三流」という格言がある大学があるそうです。

その名も、早稲田大学!

出典 https://ja.wikipedia.org

早稲田大学は、1882年に大隈重信が創立した東京専門学校が前身で、1902年に早稲田大学と改称、1920年に大学令に基づく大学となりました。

現在では東京六大学の1つに数えられ、日本を代表する私立大学であり、卒業生には政治、経済、文化、芸能、スポーツなどあらゆる分野の第一線で活躍される方たちが名を連ねています。その一方で、「早稲田大学を中退したタレントは出世する」との噂も…。

では早速、早稲田大学を中退した方たちを、エピソードとともにご覧ください。

「大橋巨泉」(政治経済学部新聞学科・中退)

出典 https://www.amazon.co.jp

今月12日、急性呼吸不全のために亡くなった巨泉さんも早大中退生です。

巨泉さんは小学生時代に叔父の自宅で見つけたジャズレコードをきっかけにアメリカへの憧れが強くなり、渡米するには英語が必要と考え、中学時代に言語学校で英語を習得。

ジャーナリストになって渡米しようと早稲田大学政治経済学部新聞学科(後に廃科)へ進学し、在学中から当時ブームだったモダンジャズ、コンサートの司会者として活躍。苦手な理数系科目での単位取得が望めなかったために中退の道を選択されました。

出典 http://kyosen-art.com

早大中退後は、ジャズ評論家から放送作家と活動の幅をひろげたのをきっかけに、深夜の情報番組「11PM」の司会者を務め、「クイズダービー」など数多くのヒット番組に出演。56歳となった1990年からは表舞台から身を引きセミリタイア。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど大半を海外で過ごし、人生を謳歌されました。

長年に渡り、昭和のテレビ文化をけん引した大橋巨泉さん。この、巨泉さんの中退こそが「早稲田大学を中退したタレントは出世する」という伝説のはしりとなりました。

「永六輔」(第二文学部・中退)

出典 http://www.waseda.jp

早稲田中学校に在学中、NHKラジオ「日曜娯楽版」に投書をしたのをきっかけに構成作家となり、中学時代から自立。

早稲田大学に在学中に放送作家・司会者としてデビューし、開局して間もないNHKテレビや日本テレビの番組で台本などを手がけました。1952年に早稲田大学文学部中退。

作詞家として「上を向いて歩こう」など数々の名曲を手掛け、著書には「大往生」(岩波新書)など、ラジオ、テレビ、文壇と多彩な舞台で活躍してマルチな才人ぶりを発揮。1992年にはNHK放送文化賞受賞、1994年には都民文化栄誉賞を受賞。

「藤村俊二」(第一文学部演劇学科・中退)

出典 http://www.ohyoi.co.jp

演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科に進学しましたが、理論偏重の教育に飽き足らず中退し、東宝芸能学校舞踊科を卒業。

舞踏家を目指して1960年に渡欧したものの、本場の水準に驚いてその道を断念。振付師に転向し、ザ・ドリフターズの大人気番組「8時だョ! 全員集合」(TBS)ではオープニングの「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分は藤村さんの振付け!

上品な「執事」のイメージが強い藤村さんが、振付師だったとは意外ですね~。ちょっととぼけた雰囲気やシュールな冗談はとても人気で、俳優としてもご活躍。「ぶらり途中下車の旅」では2011年からの4年間、ナレーターも務めました。

「橋田壽賀子」(第二文学部演劇専修・中退)

出典 http://eiga.com

早稲田大学第二文学部演劇専修中退。在学中には学生劇団「小羊座」に入って役者を務めつつ、脚本家・久板栄二郎さんが開いていた脚本塾に通って演劇の執筆を開始

1949年には「松竹」初の女性社員となり脚本部に所属、退職後は独立作家の道へ。その後3年間はテレビ局へ原稿を売り込みに行っても採用されませんでしたが、東芝日曜劇場「愛と死をみつめて」が話題となり、テレビドラマの脚本家として名を高めました。

『大衆に受け入れられてこそ価値のある作品である』という信念のもと、「おしん」「春日局」「渡る世間は鬼ばかり」など後世に残る作品を数多く残し、1984年に菊池寛賞、1988年に紫綬褒章などを受賞。

「九代目 松本幸四郎」(第一文学部演劇学科・中退)

出典 http://www.amazon.co.jp

歌舞伎や現代劇などのご活躍により、紫綬褒章をはじめ、多くの賞を受賞している九代目 松本幸四郎さん。

早稲田大学受験の際には松竹から東宝に移籍した事が漏れてマスコミが殺到し、試験場でご本人自らがその対応する事態となりながらも無事に合格。1965年に途中退学したものの、1976年には早稲田大学卒業生が結ぶネットワーク「早稲田大学校友会」の会員に。

早稲田大学からは「演劇を以て精華の一とするわが早稲田文化の生んだ大輪の名花というべく、世界の名優に伍して遜色ない希有の舞台人」と称され、百周年記念事業などで『勧進帳』を披露。2013年には早稲田大学芸術功労者として顕彰状を授与されました。

「タモリ」(第二文学部西洋哲学専修・除籍)

Licensed by gettyimages ®

1965年に第二文学部へ入学しましたが、大学2年次の5月の連休に友人ら3人で旅行を計画した際、学費用に仕送りされたお金を旅行に立替えたものの2人が返済してくれず「学費未納のため」まさかの除籍。

在学中は音楽界に数多くのプロを輩出し続けているサークル「モダンジャズ研究会」に在籍し、学生バンドの司会としてTBSラジオの番組「大学対抗バンド合戦」に出演した際には大橋巨泉さんからその才能を認められた事も。

あるインタビューでは学生時代を振り返り「本当にバカだったし何も考えていなかった。その分面白かったし今だに仲が良い。バカ丸出しだったから低レベルで共感が結び付いていて絆が強い」と語っていました。

「長塚京三」(第一文学部演劇科・中退)

出典 http://www.vip-times.co.jp

早稲田大学第一文学部演劇に在学中は、久米宏さんや田中真紀子さんも在籍していた演劇サークル「劇団木霊」に入って活動していましたが、演劇仲間が就職活動を始めた事に絶望を感じて大学を4年で中退し、フランス映画への憧れからパリに行くことを決意。フランスの名門大学「パリ大学(ソルボンヌ)」に入学しました。

大学ではフランスの芸術文化や演劇史などを学んだ長塚さん。ソルボンヌ在学中にジャン・ヤンヌ監督の仏映画「パリの中国人(原題:Les Chinois à Paris)」の主役オーディションに合格して俳優デビューを果たします。そしてその後、日本でも俳優の道へ。

「室井滋」(社会科学部・中退)

出典 http://hot-road.jp

早稲田大学在学中からシネマ研究会で自主映画製作に熱中していたという室井さん。在学中の1981年には村上春樹さん原作の映画「風の歌を聴け」で劇場映画デビュー。

大学を7年間で中退後、1987年には映画「トットチャンネル」の使用曲「東京ブギウギ」 で歌手デビューを果たし、1988年には小林聡美さん、もたいまさこさんと共演した「やっぱり猫が好き」がヒットして一躍人気者に。

大学時代「自主映画の女王」と称されていた室井さんですが、今では女優としてはもちろん、バラエティやCM、ナレーターやエッセイストとしても、多岐に渡り広く活躍されています。

「五木寛之」(第一文学部露文科・除籍→中退)

出典 https://www.amazon.co.jp

中学時代から同人誌でユーモア小説を掲載。高校時代には新聞部で創作小説や映画評論を掲載していた五木さん。

1952年に早稲田大学第一文学部露文学科に入学しましたが、生活費に苦労して1957年に学費未納で抹籍。現在では作家として成功後に未納していた学費を納め、抹籍から「中途退学扱い」となりました。

大学抹籍以降は、「交通ジャーナル」編集長、ラジオ番組制作、PR誌編集などを経て、クラウンレコード創立時には専属作詞家として迎えられ、童謡や主題歌など約80曲を作詞。1967年にソ連作家の小説出版を巡る陰謀劇「蒼ざめた馬を見よ」で、第56回直木賞を受賞。

「石田純一」(商学部・中退)

Licensed by gettyimages ®

早稲田大学商学部に在学中に学生結婚した石田さんですが、演出家を目指し、勉強のために渡米した際、奥様とは思想が合わずに離婚。帰国後の1978年には大学を中退し「演劇集団 円」の演劇研究所研究生となりました。

劇団での下積みを経て、1979年にNHKドラマ「あめりか物語」でデビュー。1984年の昼ドラ「夢追い旅行」で準主役で出演しその名を知られると、クイズ番組などでの軽快な話術が受けて知名度がさらに上昇。1988年のドラマ「抱きしめたい!」から、バブル期を代表するトレンディ俳優として活躍しました。

「ラサール石井」(第一文学部仏文科・除籍)

出典 http://ishii-mitsuzo.com

子供の頃からコメディアンに憧れつつも青島幸男さんの影響で放送作家志望に転向。鹿児島の私立ラ・サール高等学校から早稲田大学第一文学部に入学。

早大在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所し、一期下の渡辺正行さん、小宮孝泰さんと共に「コント赤信号」を結成。芸能活動が本格化して多忙で単位不足となり、大学は除籍となりました。

その後はお笑いトリオとしてはもちろん、司会やクイズ番組など個人でも活躍。現在では舞台や演劇活動にも力を入れ、俳優としての出演に留まらず、脚本・演出も数多く手がけています。

「小室哲哉」(社会科学部・除籍)

Licensed by gettyimages ®

3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始め、小学生の頃にはすでにクラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作っていたという小室さん。

早稲田実業学校高等部から早稲田大学社会科学部に進学し、在学中にプロミュージシャンとしての活動を開始。音楽活動に没頭して授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず、5年ほどで除籍となりました。

その後は音楽ユニット「TM NETWORK」と平行して小泉今日子さんや松田聖子さんらへ楽曲を提供。渡辺美里さんへ提供した「My Revolution」は第28回日本レコード大賞で金賞を受賞し、その数年後「小室ブーム」の時代がやってくることとなりました。

くりぃむしちゅー「上田晋也」(教育学部国語国文学科・中退)

Licensed by gettyimages ®

一浪を経て、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。入学後にサークルの新歓コンパに参加した上田さんですが、先輩から「一次会が終わったら帰るように」と言われていたそうで、その理由は、トイレから戻る時に下半身を露出していたり、一人で騒ぎ過ぎるから(笑)。

完全に浮いてどのサークルにも馴染めず、学部でも友達を一人も作れずに、つまらない大学生活となり、中退に至ったそうです。

…何だかちょっと寂しい中退理由ですが、現在ではお笑いとしても活躍し、「Going!Sports&News」(日テレ系)ではメインMCを担当。他にも執筆や教育番組にも出演するなど活動の幅を広げています。

「堺雅人」(第一文学部中国文学専修・中退)

出典 http://www.amazon.co.jp

高校時代は演劇部に所属しながら通商産業省の官僚を目指しましたが、国立大学の受験に失敗し、早稲田大学第一文学部に入学。

在学中の1992年に早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。看板俳優として活躍し「早稲田のプリンス」と呼ばれて人気を集めます。

その後、早稲田大学第一文学部を中退。2004年NHK大河ドラマ「新選組!」の新選組総長・山南敬助役で名前が浸透し、ドラマ半沢直樹が大ヒット!現在も大河ドラマ「真田丸」で主演をつとめるなど精力的に活動中ですね。

「福原愛」スポーツ科学部 中退

Licensed by gettyimages ®

早稲田大学スポーツ科学部へ、トップアスリート入学試験に合格して2007年4月に入学しましたが、海外でのプロツアー出場を中心に活動するためにまずは大学卓球部での活動を休止。

その後、2012年のロンドン五輪に臨むために、海外ツアーや中国のスーパーリーグ参戦を優先するのと、単位取得が困難となったために、2010年に早稲田大学を中退。

集中した環境で鍛えた甲斐もあり、ロンドンオリンピックでは卓球女子団体で準優勝を果たし、悲願の銀メダルを獲得。来月5日に開幕を迎えるリオデジャネイロオリンピックにも出場しますので期待が出来ますね!

大隈重信像
by shibainu

いかがでしたか?確かに出世されてらっしゃる方ばかりのような…。文化・芸能関係でご活躍している方が多いので「中退したら出世する」に繋がっているのかもしれませんが、小・中学生時代からすでに将来のイメージが出来ていた方が多いのにも驚きます。

早稲田大学には約5万人の学生が在籍していますので、当然、意識の高い学生が存在する一方で、埋もれ消えてゆく学生も多いはず。

中退してしまうほど熱中できる何かを見つけて突き進めば、出世するという事なのでしょうね。そのパワーと、枠にはまらない考えや行動力を少しでも見習いたいところです。

この記事を書いたユーザー

苺いちえ このユーザーの他の記事を見る

Twitter、Facebookでのシェア大歓迎です♡よろしくお願いします♪

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス