記事提供:ミラクリ

ファッションの街、大阪・南堀江で人と待ち合わせをしていた。

時間まであと15分、カフェに入るほどの時間はない。仕方なくファミリーマートで買ったアイスコーヒーを片手に、待ちゆく人を見てぼーっとすることにした。

これだけ寒い日になぜホットコーヒーにしなかったのか、そんなことを思いながら、体の中に溶けていく冷たさを実感していた。

横にはショップ店員風の男性2人が休憩中。タバコを吸いながら語る彼らの話が、妙に心に残った。

8年ぐらい前に「◯◯(ブランド名)」のダウンコートが流行ったよね?

はじめて見たときに衝撃を受けて、「来年は絶対に買うんだ!」と思いながらせっせとバイトしたのに、2年もすると飽きて、今では“おかん”にあげようと思ってるぐらい…。

やっぱりさ、“流行りのもの”じゃなくて、“好きなもの”を買ったほうがいいんじゃないかって思うんだよね。

5年前に古着屋で買ったレザージャケットなんかさ、たった5,000円だけど、冬がくる前に手入れをして、着るのが楽しみすぎるんだよ。

今の社会には“いいもの”なんか、沢山あるわけだから、原点にかえって“好きなもの”を選びたいよね。

出典 http://enrique5581.net

なんか分かる。

前後の文脈を知らないくせに、やたらと心に残る会話だった。

「ぼくたちは“消費”に飽きてるんじゃないか?」とよく思う。“消費”といえば抽象的になってしまうが、つまりは「お金との交換で何かを手に入れること」に、ぼくたちは飽きてるんじゃないかと思うのだ。

何でも手に入る時代、昔はかるく20,000円したコートが、ユニクロにいけば5,000円弱で買えてしまい、しかもネットショピングを利用すれば、半額以下で手に入る場合もある。

「高いものが良いもの」

「高いものには価値がある」

そんな概念がどんどん覆されて、物や体験の裏にある「価値」と「ストーリー」に消費者は着目するようになっている。

極端にいえば「100円でも価値あるもの」と「100万円でも買いたいもの」の2つの方向性が出来あがっているように感じるのだ。

「ユニクロやH&Mを着こなすお金持ちが増えている」という話を聞いたことがある。お金と消費の概念、そしてステータスとなるものが、時代の移り変わりにそって、どんどん形を変えているのではないか。

たぶん、ぼくたちは消費に飽きている。

「お金との交換で何かを手に入れること」それ自体に飽きているのだ。

久しぶりに大阪ミナミの街を見てまわると、“いいもの”がたくさんあった。驚きの安さを目の当たりにすると、ついつい「買おうかな…?」と思い、「いや、必要ないな」そんな押し問答の繰り返し。

10,000円の商品を3,000円で手に入れることはお得なのだろうか?いや、それが自分にとって不要なものであれば、「70%オフ!!」のキャッチコピーに煽られただけで、実際は3,000円の無駄遣いをしたことになる。

執筆させてもらっているノマド的節約術にも書いたが、20代前半までのぼくは、洋服代を月10万円もつかう浪費家だった。スニーカーを常時30足もち、洋服を買い換えては捨てる、人にあげては買う、そんな信じられないような生活をしていた。

あれから10数年がたち、当時購入したもので残っているものがゼロなのは、さらに信じられないことだ。

ぼくはきっと“好きなもの”ではなく、“流行りのもの”に突き動かされて、“いいもの”をコレクションすることに優越感を持っていたのだと思う。

そして、“好きなもの”が蚊帳の外だったのかもしれない。

支払ったお金とは裏腹に、形は何も残っていない。「体験を手に入れた」という見方ができるかもしれないし、

「無駄な浪費はただのムダだ」の人生訓を手に入れたのかもしれないが、あれほど浪費する経験は、なければないで良かった気がする。

スティーブ・ジョブズが指揮をとったAppleコンピューターの成功を分析して、「モノを売るのではなく、体験を売れ」と言われているが、

消費者視点に言い換えると「モノを買うのではなく、体験を買え」になり、ビジネス本の多くは体験を買うことの重要性を説いている。

でも、ぼくは“体験”という言葉だけではしっくりこない。もはや「感動を買う」時代になっているんじゃないかと思うのだ。

体験するだけなら、モノを買っているのと変わらない。CMで見かけた「ハワイ旅行、いまがお得!」に突き動かされて、旅行したとしても、「ハワイに行きたかった」のか、「行かされた」のかがよく分からないし、おそらく後者の確率が高い気がする。

体験を買うにしても、そこに“感動”がなければ、消費の域を出ない。

これからの時代、人の役に立つ仕事をしようと思えば思うほど、「感動」がキーワードになる。

社会的に評価されるビジネスの特徴は2つしかない。

・お金が儲かる場所
・楽しい場所

そして、この2つに共通することが「感動」だったりする。多額の大金を手にしたときは感動するし、心が震えるほど楽しい体験をしたときも感動するだろう。種類が違ったとしても、感情の量が同じであることは間違いない。

冒頭の男性2人が語っていたことも、同じだと思う。

自分に感動を与えてくれる“好きなもの”は、いつまでも手入れしたくなるほど大切にする一方で、“自分以外のなにか”に突き動かされた消費は、時間の経過とともに形をかえて、また別の対象を探しだす。

仕事において“業界”で評価されることと、“お客さん”に評価されることはまったく別物で、一致しないケースが多い。

しかし、業界で評価されなければ仕事をもらえない現状を見て、お客さんそっちのけになるケースが多いのもまた事実だ。

計算しつくされたプロの芸に会場が湧きあがる一方で、天然の素人がおこした失敗が、YouTubeやVineで全世界中に拡散されて、その熱さが伝播していく。

おそらく感動させるポイントを計算している間に熱が冷め、爆発力を失うのだろう。

これからの時代、仕事人として人の役に立ちたいのであれば、相手を感動させることだ。

計算で人を感動させることは絶対にできない。計算しつくされたものは「美しい」と感じるだけで、すぐに他の対象にとって代わられる。

そしてインターネットの力を使い、いきなり多くの人に認められようとするのではなく、目の前にいる人、横に座っている人を喜ばせて、笑わせること。そして、明日からの足取りが少しでも軽やかになるように力を尽くせば、社会に感動が伝播する。

消費に飽きて、ただお金を払う時代が終わる。

そして、感動するものだけが生き残る。

感動を生みだせる人間になるには、感動に触れるしかない。「消費」「体験」ではなく、刺激的な空気を吸える環境をつくり、そのなかで生きていくこと。感動するものを食べて、話を聞いて、自分の手で触れて、心が震える人に会うしかないのだ。

そんなことを考えながら歩いていると、3年間つかったサイフの色違いを見つけた。心から気に入っているとはいえ、もうボロボロ…。

いま目にしたのも、何かの縁だと思い、買い換えることにした。

わずか1,404円。

浮き沈みの多かった3年間をともに生き、あまりの使いやすさに心が震えたサイフ。

感動を伴った1,404円は、きっと“消費”ではないのだろう。

これだけ愛される仕事をしたいものだ。

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