いつの季節も多くの観光客でにぎわいを見せている街、京都。最近では外国人観光客の増加により、平成26年の調査では、観光客数が史上最多の8,375万人(!)に達するほど、国内・海外の人々にとって大人気の観光スポットです。

この日本情緒をたっぷりと満喫できる風情豊かな街で、最初に思い浮かぶ観光名所といえば、「金閣寺」と「銀閣寺」ではないでしょうか? 多くの日本人が一度は訪れたことがあろう、言わずと知れた京都を代表するお寺です。

金閣寺を拝観して、次は銀閣寺、と順番に巡ると、「『銅』閣寺」の存在を疑問に思ったことがある方もいるかもしれません。Twitter上では、そんな疑問の声や「ない」と言う人までも…。

「そんなの教科書に載ってなかったでしょ!」と存在を否定するツッコミを入れたくなったそこのあなた、ちょっと待ってください。じつは、「銅閣寺」は実在するのです!

京都には「銅閣寺」があった

出典pixta.jp

銅閣寺が実在することは間違いないのですが、正式名称ではなく、通称で「銅閣寺」と呼ばれています。

これはどういうことかというと、そもそも金閣寺も銀閣寺も本来の正式名称は異なります。まず、金閣寺は正式名称を「鹿苑寺(ろくおんじ)」といい、建物の内外に金箔を貼ってある舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的には金閣寺と呼ばれています。一方、銀閣寺も正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」といい、どちらも通称の方が有名になっていますね。

銅閣寺も、金閣寺・銀閣寺と同様に、「大雲院(だいうんいん)」という正式名称が存在します。京都市は東山区にある浄土宗系単立寺院で、山号は龍池山。天正15年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命で創建されました。創建当初、大雲院があった場所は現在の烏丸二条(からすまにじょう)の位置にあたりました。

しかし、その後、京都改造の名目で豊臣秀吉の手によって寺町四条へと移転。その後、天明の大火で伽藍が消失しましたが、明治初期に復興し、そして1972年に現在の祇園・東山界隈の位置に移転したのです。

残念ながら普段は非公開

実はこの銅閣寺ですが、通常は非公開で、特別公開の時のみ拝覧ができます。祇園閣は高さが36mあり、最上階からは京都の寺がぐるりと360°一望できる数少ない絶景スポットに。中を見ることが出来た人は、かなり貴重な体験をしたと思って良いでしょう。

銅閣寺には帝国ホテル創立者の別荘も

そしてこの最後に移転したこの場所は、とある人物の別荘地でした。それが、一代で巨万の富を築いた大倉財閥の設立者であり、明治時代に鹿鳴館や帝国ホテル、現在の大成建設を起した実業家、大倉喜八郎です。

現在の大雲院は、もともと大倉が1928年に老後保養の地として建てた別邸「真葛荘(まくずそう)」の中に位置しています。別邸を作る際に大倉は「金閣寺・銀閣寺があるのに銅閣がない」ということから、建築家・伊藤忠太に設計を依頼し、中庭に屋根が銅板葺きの祇園祭の鉾をかたどった造りの祇園閣を建設しました。

つまり、当初の大雲院には「銅閣」はなく、1972年に「真葛荘」へ大雲院が移転してきた際に「祇園閣」が大雲院の所有となったため、銅閣を有するお寺「銅閣寺」と呼ばれるようになったのです。

境内には「あの大泥棒」のお墓も

銅閣寺の見どころは、それだけではありません。なんと、あの有名な大泥棒「石川五右衛門」のお墓があるのです。

「なぜ、織田信長・信忠親子の菩提(ぼだい)を弔うために建てられた寺院にあの五右衛門が?」と疑問に思ってしまいますが、捕まって処刑前に市中引き回しとなった五右衛門が、大雲院門前まで来た際、そこで住職の貞安上人が引導を渡した縁によるものらしいです。貞安上人の説法を聞いて反省した五右衛門は死後の供養を頼み、釜茹でとなって処刑されたのです。

見どころが増えた京都に行ってみよう

このように、銅閣寺の存在について掘り下げると、さまざまな歴史文化を知るきっかけになります。

入り口は興味本位でも、知れば知るほどその成り立ちはとても深く、興味を持たせる内容が隠されています。東京オリンピック開催へ向けて、外国からの観光客もいっそう増えて行きそうな京都に、この機会に久しぶりに足を運んでみてはいかがでしょうか?

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