明智光秀と聞くとどういうイメージを持っていますか?本能寺のイメージが強く、裏切りの光秀というイメージを持たれている方も多いと思います。

そんな、明智光秀が本日7月2日に亡くなったという事は、歴史の資料集などで軽く触れられていても覚えていないという方も多いのではないでしょうか?

明智光秀は1582年7月2日に亡くなった

今から434年前の7月2日に明智光秀は亡くなったのです。

※旧暦と今の暦を取り違え、本能寺の変から1ヶ月後と記載しましたが誤りです。11日後です。修正いたします。本能寺の変は旧暦6月2日で現在の暦では6月21日です。

※また6月13日という説もありますが、旧暦での話であり、現在の暦では本日7月2日です。


明智光秀の生涯

明智光秀という人物は、今で言うところの苦労人の叩き上げです。豊臣秀吉の農民からの叩き上げ伝説の影に隠れてしまい、スポットの当てられる事の少ない明智光秀という人物の出世道にスポットを当てていきたいと思います。

明智光秀の生まれは?

明智光秀の生年や生まれた場所に関しては諸説ありますが、1528年に現在の岐阜県可児市明智の明智城であるとされる説が有力視されています。

父親も諸説あり、父の名前も現在に残らないくらい身分の低い土岐支流の武士であったとされています。

そんな身分の低かった明智光秀を悲劇が襲う

斎藤道三に仕えていたが、斎藤家の内乱である長良川の戦いで道三側に組みし、破れ明智城は落城しました。叔父である明智光安が討ち死にし、一族は離散してしまいました。

主君である斎藤道三を失い、多くの一族を失った明智光秀は浪人生活へと突入して行くのです。明智光秀28歳の時の出来事です。

ネカフェ難民のような生活をした浪人時代

主君を失い浪人に突入した明智光秀の生活は苦しく、妻の黒い髪の毛を売って飢えを凌いだと言われています。その際、明智光秀は仕官先を探す為に各地の禅寺に一部屋借りて生活する極貧生活であったと言われています。

今で言うところの就職先を探してネカフェ難民をしていたといえば語弊があるかもしれませんが、そう例えればわかりやすいのではないかと思います。

朝倉氏に10年仕え、足利義昭の家臣となる

母方の縁を頼りに、明智光秀は朝倉義景に仕えます。その後、時の将軍足利義輝が暗殺されるとその弟、足利義昭が朝倉氏を頼って亡命してきたのです。その足利義昭に仕える事になりました。

ここが明智光秀の人生を大きく変える分岐点であったと言っても過言ではないでしょう。

活躍し、一気に5万石の領土を得る

1569年足利義昭を三好三人衆から守り撃退し、京都奉行任じられます。更に、1571年の比叡山焼き討ちでは中心となり活躍、その功を持って5万石の領土を与えられた。その際足利義昭と縁を切り、正式に織田信長の配下になりました。

明智光秀43歳の時であった。禅寺に部屋を間借りし、妻の髪の毛を売って生活した男はついに15年の月日を経て5万石という領地を得たのです

今の価値の直すと諸説ありますが、年間売上が40億円くらいの会社の雇われ社長になったと思って頂ければと思います。

その後も大きな活躍を見せ…ついに…。

その後も、本願寺攻略や丹波の国攻略など多くの活躍を見せ、34万石という領地を与えられた明智光秀は、徳川家康の接待役を命じられるも途中で罷免になり、羽柴秀吉を助けるために、出雲石見へと赴く事になるはずであったのですが…。

敵は本能寺にあり…。

しかし、皆さんご存知の通り、明智光秀は出雲石見にたどり着く事はなかった。愛宕大権現で戦勝祈願をした5日後である6月2日に本能寺へと攻めこんだのです。

愛宕大権現で、彼は毛利との戦いを祈っていたのか、それとも織田信長を討つつもりだったのか今となってはわからないが、何を思い何故彼は裏切ったのだろうか…。

敵は本能寺にありその言葉を残し、彼は苦労してのし上がった地位を失い、信長の野望をも打ち破った。歴史にもしもはないが、彼が裏切らなければ、徳川幕府もなく、鎖国される事もなかったのかもしれない

そうなっていれば、もしかしたら第二次世界大戦すらもなかったそんな将来があったのかもと思いを馳せると、苦労人明智光秀はなぜ裏切ったのかと色々考えてしまいます。

もしも織田信長がブラック企業だったら?

ここからは完全に想像と妄想となってしまいますが、史実を追っていくと織田信長という男は今で言うブラック企業だったのではという話を良くTwitterなどで見かけます。

このような感じである。このような内容のツイートは多く見られます。

もしも、ブラック企業だったのであれば、明智光秀は今で言うところの、最初の就職先である斎藤家を倒産で失い、ネカフェ難民をした末に、朝倉家に就職し、ヘットハンティングで足利家に転職、更にヘッドハンティングで織田家に行くもそこは壮絶なブラック企業であったという、非常に報われない苦労人だったと考えることもできるのです。

明智光秀はネカフェ難民も経験した苦労人

明智光秀はネカフェ難民も経験した苦労人という事は変わらない、しかし、34万石を得た時、彼は本当に幸せだっただろうか、もしも、最後までただただ苦労して追い込まれた上の謀反なのであれば、あまりにも切ないと思ってしまいました。

何はともあれ、明智光秀が、豊臣秀吉や徳川家康といった苦労人の影に隠れた苦労人であったと言う事はおわかりいただけたと思います。

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いつか笑って過ごせる日までと申します。 起業家でフリーライターです。政治からゴシップネタまで幅広く手掛けています。 残念ながら今はまだ貧乏人です…。

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