6月9日、歌舞伎俳優の市川海老蔵(38)が会見し、妻でフリーアナウンサーの小林麻央(33)が進行性の乳がんであることを明かした。

『若年性乳がん』35歳未満の乳がんをこう呼び、小林麻央もこれに含まれる。日本における乳がんの年間発症者数は約9万人だが、この若年性乳がんは全体のわずか約2.7%と少ない。

その為、この年齢の人にとって積極的に乳がん検診を受ける機会があまりないことや検診でも病変を見逃される可能性があるそうで、発見時は他の年代に比べて腫瘍は大きく、進行している場合が多い。また、リンパ節転移のケースや乳がんのなかでも悪性度が高いトリプルネガティブ乳がんのケースもこの若年性乳がんで多いという。(厚生労働省)

さらに、若年性乳がんの中でも予後が悪い条件がある。それは妊娠授乳期の若年性乳がん。今回、定かにはされてないが小林麻央も判明時は長男勸玄君が1歳7ヶ月目であり、授乳期だった可能性は高い。

市川海老蔵が会見をした翌日の6月10日、妊娠授乳期で若年性乳がんと診断された、ある女性からお話を伺った。

高橋絵麻さん 福井県坂井市在住の34歳。

職業はヨガのインストラクター(現在休業中)。同い年の夫と5歳と1歳の女児を持つ、妻であり母である。

2015年10月にステージ3Aの右乳がんと診断され、5月12日に全摘出手術を行なったばかり。彼女の場合、厚生労働省が出している予後のデータでは15年生存率が50%を切る。

今後の治療についてはまだ決まっておらず(取材時)、主治医と相談して行なっていくという。

「なんで私が」始めはそう思った。

近親者に乳がんの経験者はいなかった。初経年齢が11歳以下ではあるものの、乳がんリスク度チェックで当てはまる項目は他になかった。

異変を感じたのは、次女の出産を1ヶ月後に控えた2015年5月のこと。右胸に痛さを伴う腫れものができた。当時通っていた産科にてエコー検査を行なったが、医師は「乳腺炎と乳がんの区別がつかないが、でも大丈夫でしょう」と言い、それ以上の検査は勧めてこなかった。「大丈夫」その言葉を信じた。

出産直後、血乳が出た。このときも医師からは「母乳はもともと血液だから」「乳管が未発達だと出る可能性がある」と告げられ、結局、経過観察となった。しかし、血が出ない時もあったものの血乳が完全に治まることはなかった。

1ヶ月目、医師は「血が出たり出なかったりということであれば大丈夫でしょう」と言った。3ヶ月目も経過観察という診断が下されたが、不安に耐え切れずに自ら大病院への検査を願い出た。

告知されてからの1ヶ月は地獄だった。


次女を抱きながら診断結果を聞いた。望まない結果を告げる医師の前で一筋の涙が頬を伝った。それから呆然としたまま、紹介状などの説明を受けた。

診察室を出ると看護師が「大丈夫?」と言いながらそっと背中に手を置いてくれた。そこで感情が溢れた。涙が止まらなかった。

子供が大切、夫が大切。その人たちと離れなきゃいけないかもしれない。
私はいつまで生きられるんだろう。子供の成長はいつまで見られるんだろう。
私が死んだら夫は、子供たちはそれをどう受け止めるんだろう。
死と直面し、生への執着が心を占めた。
そんな思いのまま、ただ毎日を先の不安に生きていた。

1ヶ月を過ぎる頃、次第に気持ちに変化が訪れる。私はまだ死んでいない。今、子供は甘えてくれる、抱きしめることもできる。先の死に囚われていれば、この今を楽しむことも喜ぶこともできなくなる。

治療が始まった。

診断の結果、大胸筋の方にもがんの広がりが見えたため、すぐの手術では腫瘍を全て取りきれないかもしれないということで、先に薬物療法(抗がん剤治療)を行うことになった。

辛い副作用が容赦なく襲ってきた。止まない頭皮痛、立っている事も難しいほどの吐き気や眩暈。全てのやる気は奪われ、「歯磨き」と思ってから「しなきゃ」と立ち上がるまで30分もかかった。髪は抜け落ち、絶えられず剃毛した。

剃毛により、カツラを買った。しかし、副作用の頭皮痛で被ってはいられなかった。予定をキャンセルすることが増えたり、誘いを断ることが日常になった。その度に家族の都合で、とごまかした。

病気のことを隠せば隠すほどかえって辛くなった。人知れず泣いたことも一度や二度ではなかった。それは自分だけでなく、少なからず夫や子供にも影響していった。

そして自分と家族を守るため、がんであることを人に話すことに決めた。しかし、わざわざ聞いてくる人はいない。とはいえ「私、がん患者なんです」と個別で話していくのは、自分にも相手にも相当なストレスになる。

そこで、自ら明るく発信することにした。その方法が「しこり触ってねキャンペーン」だった。

「頑張ってね」の声は生きて欲しいってメッセージに勝手に解釈してるんです。

「乳がんの早期発見に役立てたら嬉しいです。私のしこりを触って是非自分の乳房にないかを確認してくださいね」

2015年11月の終わりにフェイスブックに告知を出した。

最初は自分の病気を周りに伝えるため、そしていつしか自分のように妊娠授乳期で見逃されている人が少しでも減ることを願って。そうして活動を続けた。支援センターやヨガの教室、お話会などに積極的に顔を出し、しこりに触れてもらった。活動開始から手術までの約5ヶ月間で、しこりを触った人は約250人。

また、しこりを触ってもらいながら「自分を大切にして欲しい。もっと自分を知って人生を楽しんで欲しい」そういうメッセージを伝えてきた。フェイスブックにもメッセージ動画をUPし、さらに自分のこと、病気のこと、家族のことを包み隠さず書いた。

出典 YouTube

やがて高橋さんの声は広がり、地元のメディアにも取り上げられ、さらに大きな声となった。

そして声は同じ病気で苦しむ人たちに届き、元気をもらえたというメッセージが戻ってきた。他にも、人生を見詰めなおすきっかけになったと言う人もいた。生きがいができたという人もいた。中にはただただ涙を流す人もいた。

2016年5月12日。全摘出手術。大胸筋も8cm × 8cm切除となった。

もう「しこり触ってねキャンペーン」はできないが、これからもお話会などでメッセージは伝えていくつもりだという。「ただ、私も自分を大切にしたいし、自分の人生が大事。義務に感じたり疲れたら辞めます」きっぱりとそう言った。

さらに今、彼女は本の出版に向けて動き出している。告知を受けた時に自分が1番欲しかった本。本屋を駈けずり回ったがどこにもなかった本。心の整理がつかなくて苦しかったあの日々。もしもあの時に安心がもらえたら……。

仮のタイトルは「乳がんになってよかった」

楽しく治療中を過ごせるように、いかに気持ちをコントロールしたらよいのかを体験談で綴る。「人生を、自分を見詰めなおすきっかけになって、こんなに毎日を大切に生きられるようになったのは乳がんのお陰。そう思ってるんです」そう言って笑顔を見せた。

取材後記

約2時間の取材時間、彼女のパワーに圧倒されっぱなしの時間だった。高橋さんは終始笑顔だった。それは辛い時期の頃を話すときも変わらなかった。

妊娠授乳期の若年性乳がん。妊娠授乳期は子供が第一になってしまうもの。そんな優しいお母さんたちが、少しでも悲しい思いをしないように。

高橋さんは自分の大切な時間を使い、その思いを発信し続けている。それは、この取材に対応してくれた時間もそう。

最後にしっかりと記事で伝えますと約束をした。この記事を読んで、彼女の思いが届き、誰かが助かりますように。

この記事を書いたユーザー

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10年ほど、テレビやラジオの構成作家をさせていただいております。
趣味は取材。情報番組や報道番組で多くの方々を取材してきました。人が大好き。出身は青森県三沢市。介護福祉士。

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