記事提供:カラパイア

850年代に種の多様性や自然選択に着目し、『種の起源』を出版した自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809年2月12日‐1882年4月19日)。彼の「進化論」は現在でも進化生物学の基盤の一つとなっている。

そんな後世に名を遺した偉大なる科学者ダーウィンだったわけだが、研究に明け暮れていたとはいえ、プライベートは割と充実していたようだ。

本の執筆を進めるかたわら結婚し、一時は「子どもは最大の幸福であるが、それ以上の不幸でもある。そして科学者はそのどちらも持たない」と宣言したものの、

10人もの子どもをもうけ、最終的には「不幸を遥かに上回る幸福がある」という結論に至ったという子煩悩なパパだった。

そんなダーウィンの子どもたちの手描きのイラストが残っていた。

ダーウィンの功績を後世に残すため、アメリカ自然史博物館などが取り組んでいたデジタル・アーカイブ・プロジェクトの一環で、

ダーウィン本人が残した手稿だけではなく、『種の起原』の手稿の裏に描かれた子どもたちの落書きもデジタル化されていたのだ。

以下はその一部になるが、「ねぇーパパ、これ見て!」「うわ、それにも書いちゃったのか!」なんて声が聞こえてきそうな画像ばかりだ。

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8歳のとき、後に天文学者となるダーウィンの子、ジョージは英国の歩兵を描いた。後に植物学者になったフランシスはサラダ戦争の絵を描いている。

誰が描いたのかは不明だが、父チャールズの魅力的な似顔絵が描かれている。

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フルーツと野菜の騎兵、嬉しさの溢れる図面、いくつかの足を持つ魚など、博物学のインスピレーションや少年時代のファンタジーの典型的な産物は、科学と生命のつながりを示している。

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◆ダーウィンの妻と子どもたち

チャールズ・ダーウィンと妻のエマは同じ祖父を持ついとこ同士で、双方が30歳の時に結婚した。その後10人の子供をもうけた。そのうち2人は幼くして死亡。

かねてより病弱だった長女アニーも水治療と呼ばれる民間療法を試すが、治療の甲斐無く10歳で病死し、夫妻をひどく悲しませた。

長男のウィリアムは銀行家、次男のジョージは天文学者、三男のフランシスは数学者、医者となった。五男のホレイスは土木技師、実業家となりケンブリッジ市長を務めたこともある。

彼らはそれぞれ王立協会の会員もつとめた。四男のレオナルドは兄たちと異なる道を選んだ。軍人となり政治家で優生学者でもあった。

出典 http://karapaia.livedoor.biz

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