記事提供:デイリーニュースオンライン

山本一郎(やまもといちろう)です。大学でパーソンズの構造機能分析みたいなものを学んだ以降は、これといって社会学と無縁な生活を送っていますが私は元気です。

ところで、先日大塚家具の話を個人のブログで書いたのですが、非常にこれが読まれまして、またいろいろとご反響を戴きました。

なにぶん、私も事業家を営んでいた父が老齢に差し掛かり、いろんな話が出てきてしまっている昨今ですので、お家騒動とも言える経営者の老父と現役娘の確執を見ると、

「うわあ」という衝撃と、「ですよねー」という共感と、「あらまあ」という困惑と、「いいなあ」という憧憬などが混ざるという、非常に不思議な心境に陥るわけであります。

大塚家具の思い出

人間、誰しも両親の不幸はいずれ体験するわけでして、親父お袋がいつまでも健康でいてくれたらと思う反面、そのときはやってきます。

また、すでに経験された方であっても、思い出したくない記憶とともに、新たな不幸に見舞われる人にどう声をかけたらよいのか分からない、またご家庭によって状況が千差万別すぎて意見のしようもない、ということがあるようです。

拙宅山本家の場合、家内の父が重病で倒れ、諸事あって検査後緊急手術し、家族総出で看病したり、術後の経過を見守りながら、病状の快復をサポートして二年以上が経過しました。

幸いにしてその後は健康を取り戻し、元気に歩き回り暮らしています。

こういうとき、健康を管理してくれる家族というのは実に大切な存在だなと思う一方、人が一人倒れるということで発生する心理的、労力的な苦労というのは抜き差しがたいものがあります。

義父の場合は発見が早く対処が速やかであったのでどうにかなりましたが、その入院の際にご一緒した方々は、いまでも一部お付き合いはありますけれども、皆さん残念なことになってしまいました。

で、このところ取引先で物故が続いていて、まあ私もそう言う年齢に差し掛かっているのだなあとは思うわけですけど、うら若き娘さんが事業を継承されたり、跡継ぎ難とともに親族の方が廃業を決断されるという事例を多く見るようになりました。

もちろん、かねて元気でいらしたころは、私も独身だった時分は夜の銀座や六本木でのはしご酒に付き合い、うちの馬鹿娘がね、といった愚痴のような自慢を聞かされることもあったわけですけれども、やはり健康を害される前に、

何らか事業継承なり番頭の整理なりをしておかないと、事業はもちろん従業員や取引先に面倒をかけることというのはあり得るわけです。

事業をやっている高齢者もそうですが、そこで働く高齢者も大変と言えば大変です。

■人生のギアチェンジをどうするべきなのか

弊社や投資先でも、中高年の従業員を雇っておりますけれども、無理が利かない年齢だけどゲームは作りたい、良い作品を手がけたいという気持ちに身体がついていかず、突然入院したり、大変な重病を患ったりというケースが後を絶ちません。

やりたいことと、できることの落差を年齢が広げていってしまう事例は、不幸ばかりを生むので、本人には失礼を承知で「おじいちゃん、もう頑張らなくてもいいんだよ」的な声をかけると、やはり皆さん反発をされます。

老いを自覚すること、その中で、最適なパフォーマンスを出せる働き方をすることの大切さは、生きていく中で本来は自然に学べるものだと思っていましたが、どうも世の中そうではないようです。

先日も、取引先を定年退職された方を嘱託でお引き受けして、引退するというのでお辞めになられた方がいらっしゃったのですが、偶然なのか分かりませんけど、

辞めた翌月に夫婦でより狭いところに引越しをされる作業中に倒れられ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

そんなことなら、慰留のひとつもして、職場みんなで引越し手伝っていれば良かったのにと駆けつけた元同僚の面々と話し合ったりもしていたのですが、この辺の、仕事の張り合いと引き際の兼ね合いというのは、一筋縄ではいかないのかなと思うわけです。

葬儀で泣き腫らした奥様の心境も慮りつつも、実は、歳を重ねるごとに、相応しい生き方を見つける時間が必要なのではないか、

若い人以上に、人生のギアチェンジをどうするべきなのか考えるゆとりが求められているのではないか、と最近強く感じることがあります。

それは、ウェブ方面やプログラマーとして徹夜を厭わずバリバリと働いてきた人たちほど、その仕事に打ち込めなくなってきたときの対処策の不備であったりとか、

業界や事件への新しいことへの対策や新しい勉強の遅れが焦りを生んだりとか、さまざまなストレスに直面するのは、むしろ知的労働者の側なんじゃないかとさえ思うのです。

自分は一線で頑張れていると思うからこそ、その自負が仕事のクオリティを高める傍ら、それが身体に対する負担となっているのかもしれません。

気づいたときには取り返しのつかないような病気や障害を生んでしまうことは、本人も周囲も気を使いながらそうならないようにケアする以外ないわけです。

ある程度壮年になってからみんなで健康診断をやると、どうしても「不健康自慢」みたいな話になりやすいのも事実です。

「わー、俺ついに尿酸9.0超えたよー」みたいな。子供のころ、視力の悪い子が、そうでもない子の眼鏡をかけて「こんなのガラス球だよ」的な煽りをして良いのは30代までなのかなあと、最近いろんな人を見送る中でぼんやりと思う日々であります。

著者プロフィール

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト:やまもといちろうBLOG(ブログ)

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