記事提供:子ある日和

ある日、2歳半になる娘を連れてスーパーに買い物に出かけた。

「あら!久しぶりね!」と、私の娘と同い年の娘を持つママ友に声をかけられた。

「ほんと、久しぶり!元気にしてた?」

お互いの近況で話しがはずみ、今度は娘の話に。

「もう、ずいぶんお喋りになったでしょう?ウチも、もうよく喋ってうるさいくらいよ~!」と嬉しそうなママ友。

「うん…。そうね!」

その場は何とか話を合わせたけど、私の心はザワザワしていた。

2歳半になる娘は、まだほとんど話せない。いくつかの単語を言えるものの、それ自体も数が少なく、二語文なんて言えた試しがない。

子供の年齢別の適した行動などを、育児書で読んだり、ネットで調べてみても、ほとんどの子供は2歳半にもなるとお喋りをすると書いてある。

娘と同い年頃の子供が、ママやパパたちとお喋りしているのを見かけるたびに、「なんでウチの子は」といった気持ちになる。

比べてはいけないと思いながらも、心のどこかで比べてしまっている私がいる。

もしかすると何か障害を持っているのかもしれない…。将来、娘といろんな話をするのを楽しみにしているのに、もしかすると叶わないのかもしれない。

そんなことを考えると、その現実が受け入れられるのかどうかが怖くて病院に行くこともできないでいる。

なんて勇気のない母親なんだって、子育てに自信がなくなる日もある。そんな不安を抱えたまま時は過ぎ、娘は3歳の誕生日を迎えた。

今でも、まだ言葉を話さない。

この頃、私たち家族は夫の転勤を機に引っ越しをしたばかりで、新しい新天地での生活に慣れるのに必死だった。私は誰も知り合いがなく、娘と家に閉じこもっていた。

そんな日々のストレスから私は体調を崩してしまった。咳が止まらず睡眠不足の毎日。

そんなある日、咳に苦しんでいる私を見て娘がどこかに走って行った。

そして、「ママー!」と言って私のところに戻ってきた娘の小さな手には、のど飴がひとつ握られていた。

「娘は私のことを見てくれている」

ハッとした瞬間だった。そして、そんな娘の優しさに胸が熱くなった。

言葉でのコミュニケーションがままならない娘には、いろんな状況を理解するのは難しいだろうと勝手に決めつけていたのだ。

そう思った時、私は娘の何を見ていたのだろうという気持ちになった。言葉がままならなくても、いつも笑顔で「ママー!ママー!」と私を見てくれているのに。

私は娘を心配する以上に、自分に自信がなかったのだ。他人の目を気にして、そのままの娘を受け入れる自信がなかったのだ。

でも、今ではこう思うようになった。

言葉がままならない娘は、私に「相手が何を求めているのかを推測し、より相手の気持ちを理解しようとする術」や「忍耐強さ」を身につけさせてくれた。

娘は、素晴らしいものを私たち家族に与えてくれているのだと。

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