2020年東京五輪のエンブレムが決定した

2016年4月25日に2020年東京五輪のエンブレムが発表されました。

ところでみなさんはこのマークを見たことありますよね。

現在も使われている誰でも知っているこの非常口のマーク(ピクトグラム)の元となるものは【1964東京五輪】をきっかけに開発されたものでした。

1970年頃に日本で開催された、「非常口標識コンテスト」に出された小谷松敏文氏の作品が選ばれ、そのデザインを太田幸夫氏が改良して、この緑の非常口マークのデザインが作られました。
今では日本だけでなく、海外でも多く使用されています。
1987年に国際規格ISOに選ばれることになりました。

出典 http://imimatome.com

ピクトグラムってなに?

出典 http://www.amazon.co.jp

文字の代わりにイラストで表現する案内表示のことをピクトグラムといいます。

【1964年東京五輪】でデザイン計画の中心的役割を担った勝見勝は、「社会に還元すべきもの」としてピクトグラムの著作権を放棄したため、後の五輪でもこの時のデザインをアレンジしたものが使われ世界に広がりました。

【1964年東京五輪】をきっかけに作られたピクトグラム

このピクトグラムは山下芳郎が担当しました。日本のデザインが長けていた最大のポイントは、家紋の文化が背景にあったことです。ひとつの植物などを簡素なマークにして家柄を表現する。海外の家紋は逆に過剰な装飾が施され、ぱっと見では分からないですから。東京五輪のピクトグラムは、国際的なデザインのはじまりといえます。

出典 http://openers.jp

ピストグラムは家紋からヒントを得たのですね。
確かに日本の家紋はシンプルで視認性が高いです。

※視認性とは目で見たときの確認のしやすさを言います

【1964年東京五輪】グラフィックデザイナーたちの活動とはどのようなものだったのでしょうか?

1960年6月10日に【1964東京五輪】のマークが決まった

東京オリンピックの五輪マーク決定
記事番号:02207
年月:1960年06月
1964年オリンピック東京大会のマークが10日決定、組織委員会から発表された。オリンピックでは五輪マークの他に毎回特別なマークをつくることになつているが、東京大会でも日本独自のマークを創案するため勝見勝を中心に研究し、6人のデザイナーによる約40点のうちから亀倉雄策のデザインが選ばれた。赤い日の丸を上部に、下に金色で五輪マークとTOKYO1964の文字を入れたもの。なお、カラーテレビや色刷の場合は五輪マークに五色を用いてもいいことをきめた。
登録日: 2014年04月11日
更新日: 2015年11月20日 (更新履歴)

出典 http://www.tobunken.go.jp

『世界デザイン会議』が開催された

1960年、「世界デザイン会議」が東京にて開催されました。世界じゅうの建築家、プロダクト、グラフィックデザイナーが集結、それこそチャールズ・イームズ、ジャン・プルーヴェ、ハーバート・バイヤー、ソウル・バス、ポール・ランドが日本にやってきました。

出典 http://openers.jp

ちなみにイームズは『シェルチェア』が世界中で人気

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イームズといえば世界中で人気の『シェルチェア』などは誰でも一度は見たことがある名作ですね。

最近はあまり見かけなくなったかも知れませんが、おしゃれなインテリアショップなどで人気でしたね。

【1964年東京五輪】はデザイン界にとっては重要なイベント

彼らはその会議で、これから国際化社会におけるデザインをどうしたいのかと議論をします。そこで早急に進めていく課題として、国際認識となるデザインをつくっていかなくては、と議題にあがりました。当時は道路標識や空港内のサインが国ごとにちがっていて、統一されていない状態だったのです。海外旅行や国際交流が増えていくなかで、言語を超えた「認識」、サインシステムを構築しようということになったわけですね。そこで、4年後に控えた国際的なイベント「東京五輪」で、そのデザインの統一を計ろうということに決まりました。

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私たちが現在いろいろなところで目にしてるマークはこの時に生まれたのでした。
海外に行ってその国の言葉があまりわからなくても、ひと目でわかるようなマークがあれば戸惑うこともないですね。

ちなみにこのトイレマーク

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男性がスカートをはく国もあるので、『女性を赤』『男性を青』と色分けされたようです。

装飾的デザインからモダンデザインへの転換期

1960年のローマ五輪のポスター

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装飾的で素敵だと思いますが、文字にインパクトが無くポスターとしては寂しい感じですね。

東京五輪のひとつ前、ローマ五輪のグラフィックを見てみると、まだモダンデザインは採用されておらず、ローマ独自の宗教や歴史的背景を感じさせ、とても装飾的です。国際的なスポーツイベントとモダンデザインがまさに合致したのが、東京五輪だったのです。

出典 http://openers.jp

世界的にこんなにも大きな役割を果たしていたとは!
高度成長期の日本ってすごい時代だったのですね。

日本を代表するデザイナーたちも集まった

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現在はMacが普及して「ひとりで印刷物を作ること」(DTP)が可能ですが、昔は手作業で分担して作業していました。

東京五輪ではデザインエディターであった勝見勝(かつみ まさる)がプロデューサー的な立場になり、指揮をとりました。五輪の五つ輪が精緻化されたのも東京オリンピックが最初です。東京五輪のグラフィックでは、原弘、亀倉雄策、杉浦康平、粟津潔といった日本を代表するデザイナーがしのぎを削り、社会的使命のためにデザインをしました。そのほとんどがノーギャラだったといわれています。

出典 http://openers.jp

亀倉雄策氏の躍動感あふれるポスター

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このポスターは教科書などでみなさんも一度は見たことがあると思います。
選手たちの躍動感を伝えるため、わざと画像を荒くするなどの工夫がされたと聞いたことがあります。

ちなみにこの当時の日本ではオフセット印刷が普及していなかったため、スイスで印刷されたそうです。

オフセット印刷とは現在の印刷方式の主流として用いられる平版(へいはん)印刷のひとつです。

出典 http://www.wave-inc.co.jp

指揮をとった勝見勝(かつみ まさる)とは?

勝見 勝 かつみ まさる
デザイン評論家、デザインディレクター。1909年7月18日生まれ。東京帝国大学卒。商工省工芸指導所に勤務した後、1944年、著書『手と造形』発刊。1950年、毎日産業デザイン賞審査員を担当。この頃から美術・デザイン評論を多く手掛けるようになる。1954年に開校した桑沢デザイン研究所では、講師の人選やカリキュラムの編成を推進。1966年に誕生した東京造形大学の設立にも携わった。1953年より季刊誌『グラフィックデザイン』を発刊。日本デザインコミッティーの設立(1953年)に参加。1960年に東京で開催された世界デザイン会議の開催推進に協力、「実際性」部会議長を担当した。1964年の東京オリンピックではデザイン専門委員会委員長を務めた。1983年11月10日永眠。74歳。

出典 http://ejima-design.com

いかがでしたでしょうか

敗戦からわずか19年後に国際的なスポーツイベントが行われたということは、とてもすごいことですよね。

世界に広がった『ピストグラム』など、日本のデザイナーたちが大きな功績を残したイベントでもあったとは驚きました。

スポーツ選手たちにだけでなく、様々な職業の人たちの活躍を調べてみるのも楽しいかも知れません。

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東京でクリエイターをしています。最近は主にデジタルコンテンツの制作をしています。
アート、デザイン、音楽、ファッションなどが大好きです。
たくさんの人たちが楽しめるような情報を中心に発信したいと思います。
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