米紙幣に初の女性肖像を採用

ハリエット・タブマン物語

出典 YouTube

英語の動画ですが、歌と絵で分かりやすくなっていますので、どうか最後までご覧ください。動画中に出てくる英語文は、下に筆者が和訳をつけています。

あなたは自分の人生を他人の自由を勝ち取るために捧げることができますか?
そんな人生をおくった一人の女性、これはハリエット・タブマンの物語です。

彼女は1820年3月にこの世に生を受けました。彼女は奴隷生活をおくっていた家族のもとで生まれ、家族と同様奴隷として育ったのです。彼女はとても強く、そして勇敢な女性へと成長しました。

29歳の時、彼女は奴隷制度がなかった北のペンシルバニアに逃げ込むことに成功しました。「信じられない!私はとうとう自由になったのだわ!」と自分の奴隷として働かされていた両手をしみじみと眺め、まるで天国にいるような気持になったそうです。

しかし、彼女はまだ完全に自由になったとは言い切れませんでした。彼女1人が解放されたのでは、意味がありません。彼女の家族も助けたいと彼女はこの時誓いました。そして彼女は当時奴隷解放活動をひそかに行っていた秘密結社「アンダーグラウンド・レイルロード(地下鉄道)」に加わったのです。

彼女は17回にも及ぶ命がけの救出ミッションを行い南側から奴隷となっていた人々を助け出したのです。その結果、300人以上の奴隷となっていた人々が救出されました。彼女が行ったミッションは1度も失敗することはありませんでした。

彼女の名はアッと言う間に広まったのです。その結果、奴隷制度を行っていた組織から$4万ドルの懸賞金をかけられて彼女は指名手配されてしまったのです。けれど彼女はけしてひるむことはなかったのです。

その人生を奴隷救出のために命がけでささげたハリエット・タブマンは1913年3月10日に93歳でこの世を去ったのです。

ハリエット・タブマンの一生

アメリカでの奴隷制度

1640年代から1865年まで、現在のアメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていたが、その所有者は圧倒的に白人であり、ごく少数が先住民や自由黒人であった。この奴隷所有者の大多数は南部にいた。南北戦争の前の時点で南部の4家族に1軒が奴隷を所有していた[1]。黒人の95%は南部に住んでおり、南部の人口に対しては3分の1に達していた。これに対して北部における黒人の人口比率は1%に過ぎなかった[2]。

出典 https://ja.wikipedia.org

アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史より

アメリカでの奴隷制度廃止

アメリカ合衆国では、独立宣言の草稿には奴隷制度廃止が入っていたが実現せず、黒人奴隷制問題は大きな課題となった。1808年にまず奴隷貿易は禁止されたが、奴隷制度そのものは廃止されず、かえって南部の綿花需要が高まって奴隷労働は拡大し、アフリカからの奴隷密貿易も続いていた。1833年にギャリソンらがアメリカ反奴隷制協会を設立し、奴隷解放運動が始まり、国論を二分した争いはついに南北戦争の勃発となり、その最中の1863年にリンカン大統領が奴隷解放宣言が発表された。アメリカの奴隷制廃止は南北戦争終結後のアメリカ合衆国憲法修正13条で正式に廃止された。

出典 http://www.y-history.net

世界史の窓 奴隷制度廃止より

最後に

アメリカの奴隷解放といえば、リンカーン大統領が世界的に有名ですが、そこにいたるまでには、ハリエット・タブマンのような勇敢な人々たちの命をかけた奴隷解放運動活動がベースにあったことを忘れてはいけません。

今回、米国紙幣に初の女性肖像画として、ハリエット・タブマンさんが選ばれたことをきっと米国人たちは皆、誇りに感じていることでしょう。

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