震災をはじめとする緊急事態において、その被害の大きさは場所によって異なります。現在、熊本県や近隣の地域では想像を絶する被害がある一方で、この先なにが起こるかなど分からないものの、現状は身の危険はなく衣食住が守られている地域が大部分であることは事実としてあります。

今の段階で、震災が発生する以前と同じく日常を過ごせていることに、感謝の反面「罪悪感」を覚えてしまうことは無理もありません。

東日本大震災が発生した際、西日本に限らず直接的に被害を逃れた人達は、日常を送ることに感謝と隣り合わせの罪悪感を覚え、“楽しむ”ことに対する自粛がなされていました。

遠く離れた災害を、どこか「他人事」と思っていませんか

遠く離れているから、あるいは距離的には近いほうであっても、直接的な被害を逃れたゆえ、自分とは大きく関係がないと思ってしまう人は存在します。“普通にしている”というのも言い切れないもので、胸の内では被災地や被災者に心を寄せていたとしても、表向きは通常通り生活を送らざるをえない場合が多いです。

すべての人が想いを“言動”として表現しているとは限らないので断言はできませんが、「この人は辛さや悲しみを感じていない」と思い、非道と決め付けたくなることもあるかもしれません。

「東北」「西日本」「熊本」「九州」その中にもひとりひとり異なる状況や心情を持っているゆえ、ひとくくりにするのはとても難しいことです。現地の状況がすべて把握できていない人が、容易く想いを表現するのも正しいこととはいえません。難しいですが、せめて「自分には関係ない」としてしまうのではなく、心を寄せる、知ろうとする、できることを懸命に考え行動する、などをしていく必要があるのではないでしょうか。

こういった意見も存在しています。

著名人に限ったことではなく、身の回りにおいてもこのようなことが起こっているのではないでしょうか。

普段通りの日常を送ること、言動という形で表現すること、表には気持ちを出さないこと、どれが正しいというわけではなく、答えなどきっと存在しません。正解がないからこそ、やるせない気持ちになることもあります。

日常を送ることに「罪悪感」を覚えたり、人の痛みや辛さを「他人事」のように捉えている他者に苛立ちを感じてしまう時に、ぜひ読んでいただきたい記事が、現在ネット上でシェアされ続けていました。

1999年6月6日の創刊以来、糸井重里さんが一日も休まず『ほぼ日刊イトイ新聞』のトップページに書き続けられているエッセイ、「今日のダーリン」。やさしく丁寧な言葉で紡がれたエッセイは、遡って読んでいきたくなるものですが、実はこちらは創刊以来、基本的にバックナンバーを残したり、アーカイブを設けられていません。

「今日のダーリン」は、基本的には、「毎日、更新されて、毎日、消えていくコンテンツ」というふうにとらえていただければ、と思います。

「いつか無くなるものを求めちゃいかんのだよ。無くなるものは、求めるためではなく、そいつで遊ぶために、この世にあるんだからな」(『セフティ・マッチの金の言葉』より)

出典 http://www.1101.com

4月19日掲載分において糸井重里さんが綴られた文章が、現在、冒頭の想いを抱える多くの人の心に寄り添われています。

他の人のこころのなかなんて、とても代弁できるはずはないのだけれど、ちょっと言ってみたい気がします。」と書き出されたその文章を、紹介させていただきます。

04月19日の「今日のダーリン」ーー

プロレスラーの人たちがプロレスをしていようと、
どこかの会議室でなにかの問題で紛糾していようと、
歌をくちずさみながらこどもを幼稚園に送っていようと、
いつもの電車に乗って会社に向かっていようと、
畑で実ったエンドウ豆の収穫を熱心にしていようと、
「熊本の地震の被害のことを、気にとめていない」
とは、言えないと思うのです。

出典 https://www.1101.com

こういうときには、インターネットのあちこちで、
たくさんのことばが行き交います。
たいていの人が、いつものを仕事をしていて、
ネットなど見てはいられない時間にも、
そういう場所はにぎわっていたりします。
その時間、みんな仕事があるんです。
その日、やらなきゃならないことがあるのです。

出典 https://www.1101.com

インターネットを通じて思いの丈を表現できる人がいる一方で、日常をこなすために発言する機会がない人も多く存在しています。ですが、果たして後者は「なにも考えていない」、「心を痛めていない」といえるのでしょうか。被害を逃れた場所においては、懸命に働いて経済を回すということも復興のためには大事なことなのではと考えさせられます。

どれくらいの感情が被災地に向けられるかなんて、
比べられることでもないし、
こころのなかで思っていることについては、
わざわざ発表することも要らないはずです。
実際には、とても多くの人のこころに、
晴れない灰色の雲が居ついていると思います。

出典 https://www.1101.com

東北の震災のときに、学んだではありませんか。
時間の進み方によって、手伝える人と内容は変化します。
いまは、自衛隊の方々ががんばってくれている時期。
もしかしたら、プロの運送関係の人たちの手足も、
どんどん必要になってくるかもしれません。
その後に、なにが必要かだれに来てほしいかが、
しだいに見えてくるのだと思います。

出典 https://www.1101.com

今は緊急を要する自衛隊や医療関係、救助の方々、そして支援物資を扱う方々などが優先的に必要とされています。それが時間の経過や状況によって変化してくるのは当然のことです。

今、直接的に貢献できる術がない、直後に現地入りできていないからといって、決してなにもしていないわけではありません。そこに罪悪感を持つ必要はないのではと感じます。募金をしたり、他人事とは思わず心を寄せることも大切です。そして、必要に応じて、自身にできることをつとめていくのが大事なのだと気付かされます。

「ほぼ日」宛に、熊本の方からメールが届きます。
怖い目にあっているけれど、若い家族を避難させたり、
道々で、食料や必要なものを調達したり奮闘してます。
やがて日常が戻ったとき、のイメージは、
おいしいパンとコーヒーのある朝食だということです。
その日が、少しでも早く手に入れられますように。

出典 https://www.1101.com

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。2011年の記録や記憶をたどった。少し参考になりました。」

この締めをもって、4月19日の「今日のダーリン」は幕を閉じています。いかがでしたでしょうか。ひとりひとり、それぞれの想いを持っていると思います。ご紹介したのは糸井重里さんの考えにすぎませんが、改めて気付かされることもあるかもしれません。普段通り過ごせることに「罪悪感」を覚えた時、誰かが人の痛みに「他人事」のように振る舞っているように感じた時。今一度、糸井さんの言葉に心を委ねてみてはいかがでしょうか。

最後になりますが、この度の地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。負傷者や救助を待つ方々が一刻も早く、適切な処置を受けられることを願っております。現在もまだなお、余震が続き危険な状態が余儀なくされています。避難されている方々のご無事をお祈り申し上げるとともに、ネットが見られない環境やお年寄りなどの方にも、必要に応じて情報共有をしていただけると幸いです。

熊本県、そして近隣の地域の方々だけでなく、ひとりひとりが災害を他人事にせず、すぐに行動を取れなくても、心を寄せることから始めていければと切に感じます。

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