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熊本地方を震源とし大きな被害をもたらした「平成28年熊本地震」。この地震の情報は台湾にもすぐに伝わり、蔡英文次期総統からも「地震の被害が最小限に抑えられ、日本の友人たちが安全でありますように」とのメッセージが届けられました。

東日本大震災の際にもどの国よりも早く駆けつけてくれた台湾。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、互いに感謝の気持ちを忘れない「日台の絆」が描かれています。

大震災で深まった日台の絆

2011年4月11日、東日本大震災から1ヶ月経ったこの日、日本政府は国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンと米英仏中韓露の1紙ずつの計7紙に支援感謝の広告を掲載した。

この中には、ダントツの義援金を寄せてくれた台湾が入っていなかった。4月11日までに台湾から寄せられた義援金は137億5,000万円に達している。ちなみに感謝広告を出した中国からの義捐金は3月末時点で3億4,000万円と、台湾の2.5パーセントでしかなかった。

金額の多さだけではない。台湾からは震災後、直ちに2つの救援隊が来てくれた。1つは李登輝元総統が派遣したNGOのレスキュー隊「捜救隊」で、震災2日後の13日、医師2人を含む35人が日本に到着し、岩手県大船渡市で捜索活動を開始している。

翌14日には台湾政府の派遣した28人からなる救援隊が到着し、宮城県名取市や岩沼市で救援活動を行った。支援物資も560トンもの膨大な量に上った。

日本李登輝友の会が、台湾にも感謝広告を出すべきだとの菅首相あての要望書を出したところ、政府は「近隣諸国への影響を考慮して決定した」と釈明した。人道支援のお礼をするのにも、中国の目を気にしなければならないのか。

しかし国民の方はもっと良識があった。「台湾にもお礼がしたい」とあるフリーデザイナーがツイッターでつぶやいたところ、感謝広告を出すための募金が約1,930万円も集まった

そのお金で台湾2紙への広告が出されたが、その費用はわずか240万円。残りは日本赤十字社に寄付された。この広告を見た台湾行政院(内閣)の楊永明・新聞局長は「お礼を期待していたわけではないが、みんな感激している」とコメントした。

日本政府が税金を使ってお役所仕事で出した広告よりも、民間有志の募金による心の籠もった感謝広告の方が、はるかに深く日本国民の気持ちを台湾国民に伝えただろう。

「この捜救隊は日本に何かあった時、一番に駆けつけますから」

「捜救隊」の創設と日本派遣の経緯を、李登輝元総統はこう語っている。

1999年、私が総統時代に台湾大地震が起きました。日本はその日のうちに世界に先駆けて救援隊を差し向けてくれましたし、義援金も世界の中でトップでした。

台湾には「風雨故人来、艱難見真情(困難な時にこそ人の情けを知る)」という言葉がある。私たちはあの時の日本の恩義を忘れません。

台湾大地震の時、曽野綾子さんが会長を務めていた日本財団から3億円の義捐金をいただき、そのうちの1億円近くを使ってNGOの捜救総隊をつくりました。創設のお披露目に来ていただいた曽野さんに、私は約束しました。

「この捜救隊は日本に何かあった時、一番に駆けつけますから」と。

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日本政府が取った許しがたい仕打ちとは

ところが、この約束は意外な抵抗に遭う。

すぐに台湾における日本の大使館である交流協会台北事務所の総務部長に人を通じて連絡をとりました。ところが、向こうからは「日本での受け入れ態勢が整っていない」という返事。それからしばらく返事がなかった。

自然災害は72時間(3日間)経つと生存確率は急速に下がると言われています。しかも、翌12日には米軍と韓国の救助隊が到着し、中国も救援隊の派遣を表明していました。なぜ台湾に要請がないのか。台湾は中国の一部と捉えているからでしょうか。

そんな苛立たしさもありましたが、これはNGO組織で政府組織ではないので日本のNPOと連携をとって、13日の朝、宮城県に向けて出発しました。

交流協会から「要請はもっと先になる」という返事があった頃には、既に成田空港に到着していました。少しは約束を果たせたでしょうか。

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感謝広告で台湾をはずしたのと同様の、台湾を日陰に置こうという政治的策謀である。

中国に媚びるために、台湾国民の善意を踏みにじり、なおかつ台湾救援隊の到着を遅らせることによって、それだけ多くの人命が失われた、と考えれば、心ある人間の所業とは思えない

台湾留学生は除外された緊急援助

菅政権による台湾への差別行為は、これだけではない。文科省は被災した私費留学生を支援するため、日本政府から奨学金を受ける国費留学と同様に、平成23年3月の1ヶ月分だけ、緊急援助として学部生向け12万5,000円などの支給を行うこととした。

ところが国費留学生度は「日本と国交のある国の国籍を有する者」が対象であり、今回の特別支給も台湾からの留学生は対象外とされた。これを立命館大教授・加地伸行教授が産経新聞の1面で痛罵した。

かつて私は台湾に留学した。ちょうど日本が中国大陸と新しく国交を結んだ昭和47(1972)年9月、すなわち同時に台湾と断交した月の翌10月、台湾に渡った。

名古屋大学助教授という国家公務員の身分を前提にして、日本と国交のなくなった台湾が、私を受け入れてくださったわけである。

渡台後の生活において、公私ともになんの差別も受けなかった。のみならず、台湾の学者と私との間の合言葉は、「国家に国境あるも、学問に国境なし」であった。

ところがなんと、台湾からの学部留学生は除外したのである。理由は台湾と国交がないためとのこと。

なにを言う。緊急事態なればこその処置において、差別するのか。例えば、被災者に食事を提供するとき、国交がないという理由で台湾の私費留学生を除外するのか。

その一方、民間からの義援金なのでと170億円はチャッカリいただきますと言うのか。

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こうした世論の圧力を受けたためか、日本の対台湾交流機関窓口、財団法人交流協会台北事務所が台湾からの留学生に同額を支給することとした。文科省からの正規支給でない所に姑息さを感ずるが。

「わたし達は皆様の心を暖めます」

しかし、こんな政府の心ない所業をものともせず、日台の心のつながりを深める佳話が、大震災では少なからず見られた。たとえば、台中市の新民高校日本語学科の学生が呼びかけて作られた寄せ書きの一部。

ニュースを見ると、心が痛みます。涙がこぼれます。同時にあなた方を尊敬してしまいます。

このような天災に会いながらも、規律正しく、天を恨まず、しなくてはいけないことを整然と行っているのをみると、わたし達も見習わなくてはという気持ちが沸き起こってくるのです。

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心が痛くて、悲しくて涙がとまりません。わたし達は皆様の心を暖めますから、寒い中、決してあきらめずにがんばってください。

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こんな純真な言葉そのものが、被災者のみならず、我々日本国民の心を温める

この寄せ書きとともに、新民高校の赤十字社青少年奉仕グループは、学内募金で集めた50万元(150万円)、学校理事会の寄付金100万元(300万円)を赤十字社台中支部に届けた。

学内の募金では、多くの生徒が100元(300円)を寄せてくれて、募金集めの生徒は「ありがとう」と間断なく言い続けたという。100元といえば、彼らにとって1時間のアルバイト料であり、弁当が2つも買える値段である。

170億円超という巨額の義捐金の多くは、こうして多くの人から集められた小口の募金だという。

「恩義を忘れない」

子供たちもお小遣いから、義捐金を出している。台中市中心部から東に約10キロの小高い山々のふもとに位置する健民国民小学校は、台湾大地震で3階建ての校舎が全壊した。

幸い地震発生が未明だったため、児童らに怪我はなかったが、近くの空き地の仮校舎などでの授業を強いられていた。

平成7(1995)年の阪神大震災を経験した兵庫県などから約2億8,000万円の募金が送られ、4階建ての校舎が2003年10月に完成した。校庭には「感恩亭」と名付けられたあずま屋も作られた。

東日本大震災が発生した直後、謝進立校長(55)は「日本の友人が重大な災害に遭っている。私たちは積極的に行動すべきだ」と児童や保護者に支援を呼びかけた。

約280人の子供たちは自分の小遣いを持ち寄り、先生に預けた。教諭や保護者、地域の人からも義援金が集まり、計約190万円が日本赤十字社に送られた。謝校長は「恩義を忘れない、という心の教育でもあるのです」と話す。

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6年の謝金玲さん(11)は「東日本大震災では津波もあったから、台湾の地震よりもっとひどかったと思う。でも、被災した人の態度がすごく冷静で印象に残った」。

6年の何(か)佳凌さん(12)も「とにかくもとの生活に早く戻ってほしいという思いで献金しました」と話す。

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恩義を忘れない人々は日本の政治家の中にもいた。台湾の「中華民国建国100周年」祝賀式典に出席した自民党議員団は、10月9日、建民国民小学校を訪れ。団長の麻生太郎元首相はこう謝意を伝えた。

「今回、(東日本大震災が発生し)全校の皆さんがお小遣いの中から義援金を寄付し、日本を支援していただいたことは、日本のメディアでも報道され、日本人はみな深く感動した。

台湾と日本は最も良き親友であり、台日関係には心と心のつながりがあり、友誼はきわめて深い。日本人はこの恩を永遠に忘れるものではない。

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健民国民小学校の謝進立校長の「恩義を忘れない」という言葉と、麻生元総理の「日本人はこの恩を永遠に忘れるものではない」という言葉は共鳴しあっている。

「台湾を身近に感じている」日本人が大幅増

台湾国民のこうした真情は、ネットやマスコミを通じて、日本国民の心に届いていった。東京港区にある台北駐日経済文化代表処には、感謝のメールや電話が絶えないという。

また台北駐日経済文化代表処が5月に行った、日本国民の台湾へのイメージ調査では、約67%が「台湾を身近に感じている」と答え、2年前の調査に比べ約11ポイントも増えていたことが分かった。

日台関係について、「どちらかといえば良い」(約72%)と「非常に良い」(約19%)を合わせて9割以上を占め、平成21(2009)年の調査に比べ約15ポイント増えた。

さらに台湾への信頼度も、多少は信頼」(64%)「非常に信頼」(20%)と、合計で20ポイントも上昇した。

「身近に感じている」「信頼している」というのは、麻生元総理の言う「心と心のつながり」である。

東日本大震災で心の籠もった支援をしてくれた台湾に対して、日本国民は李登輝元総統の言う「困難な時にこそ人の情けを知る」ことができたのである。

「『忍ぶ恋』の時代は終わった」

「『忍ぶ恋』の時代は終わった。もう堂々と恋文を出せる関係だ」

こう挨拶して、会場を湧かせたのは「日台民間投資取り決め」締結を祝して2011年9月23日に開かれたレセプションでの台湾側の交渉窓口・彭栄次氏だった。

「内国民待遇」「最恵国待遇」などを柱とする投資取り決めの締結で、これで日台の相互投資や、日台企業の連携が促進される。貿易額では台湾は日本にとって第4、日本は台湾にとって第2の貿易相手だが、今後はさらに発展していくだろう。

形としては民間の取り決めだが、「実質的な2国間投資協定」(政府筋)である。麻生政権時代に検討が始まり、民主党政権でも前原誠司・前外相が熱心だった。その下で外交当局は地道に努力を続けていた。

日本の外交筋は「今回の取り決めに対し中国は反発するだろうが覚悟している。中国に事前通告する考えはない」と語った。我が国の外交筋から、こんな頼もしい言葉を聞くのは久しぶりだ。

彭栄次氏は「東日本大震災に台湾が寄せた巨額の義援金の前では、2人の間柄に誰も文句がつけられなくなった」という。大震災で深まった日台両国民の心の絆が、政治を動かしたと言えよう。

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