記事提供:LITALICO 発達ナビ

幼稚園探し、断られ続けて10園目…やっと見つけた我が子を受け入れてくれる幼稚園。希望を持って入園したのですが、なんと1年で辞めることになりました。頑張りが足りない?我慢が足りない?

何度も悩みましたが、それでも私が退園を決断した理由をお話しします。

10園断られ続け、やっと見つけた幼稚園

「そういうお子さんが既にいらっしゃるので」

「そういうお子さんのための園では無いので」

幼稚園探し、数々の園に電話をかけるも、「そういう子」はもう間に合っています、と断られ続けました。

我が子のパーソナリティーなどお構いなしで、「そういう子」というぼんやりしたくくりで受け入れてもらえませんでした。

それでも我が子に集団生活をさせたい、と幼稚園に電話をかけては断られ…。リストにつけた×印が10個に達した頃、ようやく面接をしてくれる幼稚園に出会いました。

幸い、面接では落ち着いていた我が子。先生方も拍子抜けしていた様子であっさりと入園が決まりました。

そのあとはすぐに入園に向けて準備が始まりました。巾着や座布団を縫うための徹夜さえ、諦めていた「母親らしいエピソード」を経験できて嬉しかったのを今も覚えています。

担任の先生が変わって…

なんとか幼稚園入園を果たした我が子。

入園時期が4月には間に合わなかったので、入園式こそ経験することはできませんでしたが、担任の先生のご配慮、やさしいお友達や保護者の皆様のおかげでたくさんの行事に参加することができました。

このままずっと穏やかに過ごしていけたらと思っていた矢先、担任の先生が変わることとなりました。

それからというもの、大小関わらず行事のたびに「お休みしてください」と言われるようになったのです。

保育時間中に突然携帯電話が鳴ったかと思ったら「なんだかそわそわしているのでお迎えに来てください」とも言われました。

普通の子でもそわそわしていたらお迎えに呼ばれるのかな?障害がある子は、行事のときに邪魔なのかな?障害があると、なんでもかんでも遠慮しないといけないのかな?

疑問は少しずつ不信感へと変わっていきました。

私が退園を決めた担任の一言

気づくと月の半分以上を「お休み」する状況で、園では居場所を失っていた我が子。

運動会を間近に控えた個人面談で、私は退園を決めました。

担任の先生はこう言ったのです。

「運動会ではみんなのいる園児席ではなく、保護者席でお母様と見学してください。かけっこはきっとゴールできずにおかしな目で見られてしまうので、出場せずに応援してください」

担任の先生のこの言葉は「おかしな目で見られて恥ずかしい思いをさせないように」という有難い配慮だったのでしょう。

でも私は悔しくて「ゴールできなくても差し支えなければ、スタートラインには立たせてください。あと、運動会が終わったら退園します」とその場でお伝えしました。

我が子の尊厳はどこへ?!

運動会当日、かけっこはやはり途中でコースアウト。

「がんばったね」と声をかけに向かった矢先、我が子がコースに戻って来ました。

一人で戻ってきたわけではなく、担任の先生に首根っこを掴まれた状態で…。罪人かのように首根っこを掴まれて引っ張られる我が子を見てしばらく放心してしまいました。

後日、購入用の写真で我が子が写っていたのは首根っこを掴まれたものが3枚だけ。我が子の尊厳を踏みにじられて、悔しいまま園を後にしました。

「恥ずかしい」ってなんだろう

障害があって、周りと同じようにできないこと。それによっておかしな目で見られること。

それは、そんなに恥ずかしいことなのでしょうか。

私は結局、我が子をスタートラインに立つ機会をつくったことを「自分の意地だった」と後悔する羽目になりました。痛くて気の毒な思いをさせてしまったけれど、コースアウトしてしまった自分自身を決して恥じてほしくありません。

この話が、昭和や鎌倉時代の話ではなく、今この平成で起きたことだということを伝えたいです。

「おかしな目で見られたら恥ずかしい」そんなことを思いながら教育現場に立つ教育者が減りますように。「障害者だから、家でおとなしくさせておけばいい」そんな社会が変わっていきますように。

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