片岡愛之助さんと藤原紀香さんの結婚が発表されて注目が益々集まる歌舞伎。歌舞伎は御存知の通り江戸時代から続く伝統芸能でかつては庶民の娯楽の代表でした。
長い年月を誇る歌舞伎にまつわるエピソードには面白いものやへえと思わせる話がたくさんありますがその一部をご紹介したいと思います。

茶番劇の語源は歌舞伎

茶番劇と聞くと下手な芝居や見え見えの演技という意味に使われることが多いですが、この「茶番劇」という言葉の語源は歌舞伎からきています。その始まりは

江戸時代、歌舞伎芝居の楽屋で、茶番(お茶くみ)にあたった下級役者たちが歌舞伎役者たちを慰労するために始まった茶番狂言がその語源だといわれます。かつらや衣装をつけて芝居をもじった所作をする、滑稽な寸劇などの座興だったようです。

出典 http://onoen.jp

女形は女が演じるとエロいからなくなった?

歌舞伎といえば女性役も男性の役者が演じています。歌舞伎役者も皆男性で女性の歌舞伎役者というのはありません。これには歌舞伎の始まりにあるそうです。

実は歌舞伎の始まりは京都の鴨川辺り(二条から七条)に点在した遊里に通うカブキ(傾き)者の客寄せのために行われたショーのことを言いまして、これらの社会現象=カブキ者達と遊女のやり取りを題材にしたショーが作れるようになり、これを『歌舞伎狂言物真似尽』(かぶききょうげんもねまねづくし)というようになりました。

そして教科書で習う「遊女歌舞伎は風紀を乱すから禁止された」という載っていますが間違いでして実際は能や狂言など男性ばかりの演劇集団と客寄せのための遊女や若衆のダンスパフォーマンス集団が同時期に存在していましたが遊女や若衆が規制されたために消滅し、男性ばかりの演劇集団が残ったということです。

遊女歌舞伎や若い衆歌舞伎はいきなり禁止となったわけではなく、徐々に興行形態や内容を規制していって興行できないようにしていったそうです。

團十郎の名前は江戸時代に海外にも知られていた?

市川團十郎と聞けば誰も歌舞伎の名優である思い浮かべます。歌舞伎をよく知らない人でも市川團十郎という名前は知ってると言っていいくらいです。市川團十郎という名前は江戸時代にも既に海外に知れ渡っていたというエピソードが残っています。

江戸時代、清(中国)から渡来した僧が「日本にはスエツエンドバンシラン(市川團十郎)という力者(役者)があるか」と尋ねたといいます。つまり、團十郎の名前がこの時代にすでに中国まで響き渡っていたという事を示すエピソードです。

出典 https://books.google.co.jp

引用した著書にもあるようにこのエピソードはどうやら創作の可能性が高いようですが、團十郎という名前を継ぐには相当な資格がいるようでして簡単に継がせて貰えないのです。

歌舞伎界で盟主とされ、常に中心にいた「市川團十郎」、さらには「市川海老蔵」という名前は重く、常にその行動には「團十郎(海老蔵)としてのニン(格、柄)に合ってるのか」が問われ続けてきました。

他の役者なら問題にされることもない些細な出来事でも、團十郎、海老蔵であれば大騒ぎになる。それも代々の團十郎が経験してきたことばかりです。

出典 https://books.google.co.jp

それだけ團十郎という名前は重たく、歌舞伎界の中心であったということだそうです。

歌舞伎座の呪い?

歌舞伎座といえば歌舞伎の演目を演じる歌舞伎の総元締めといって、いい歌舞伎役者にとっては聖なる場所です。その歌舞伎座には呪いがあるという話があります。今の歌舞伎座の後ろに高層ビルが建てられた頃には

2010年4月  旧歌舞伎座閉場
 同年  11月  市川海老蔵暴行事件
2011年1月  中村富三郎死去
 同年  11月  中村芝翫死去
2012年2月  中村雀右衛門死去
 同年   8月  市川染五郎転落事故
 同年  11月  市川段四郎、片岡仁左衛門体調不良
 同年  12月  中村勘三郎死去
2013年2月  市川団十郎死去

出典 http://be-here-now.cocolog-nifty.com

こうした災難が続きました。こうした災難が起きたのが実は今の歌舞伎座が新しくなった時だけではないそうです。以前にもこうした災難がありました。

今の歌舞伎座は、明治22年(1889年)に建てられ、初代歌舞伎座から数えると5代目になるのだが、4代目の歌舞伎座が新築されたのは、1951年のこと。実は、東京大空襲によって歌舞伎座が焼失してから新しい歌舞伎座が完成するまでの6年間に、5人の大物役者が立て続けに亡くなっているのだ。

中でも、片岡仁左衛門の場合は、戦後の食糧難で待遇の悪さに恨みを募らせた見習い弟子に、薪割り用の斧で一家もろとも惨殺されるという壮絶な最期であったという。

「ファンや関係者らの間では、『歌舞伎座に棲む魔物の呪いだ。5人が人柱になって支えている』と囁かれたものです」と、当時を知る人は振り返る。

出典 http://happism.cyzowoman.com

今の歌舞伎座のひとつ前の建物が建てられた時も、歌舞伎役者が5人亡くなったという出来事があったそうです。今の歌舞伎座が建てられた時も5人の歌舞伎役者が立て続けに亡くなったので5人の役者が人柱になったという「歌舞伎座の呪い」と言われているそうです。

舞台中に起きたハプニング

先ほどの話がちょっと怖い話になったので最後は歌舞伎の舞台で実際に起きたハプニングを片岡愛之助さんが以前話されていたことをご紹介します。片岡愛之助さんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演された時にタモリさんとこんな話をしていました。

「吹雪峠」という演目がありまして、「吹雪峠」の演目の中身は

男2名女1名の三角関係を吹雪の中の山小屋というある意味閉ざされた中での心理劇です。


元ヤクザで兄貴の奥さんに手を出し2人で逃げて暮らしている時に偶然避難した山小屋にその兄貴が入ってきてしまうという状況です。

出典 http://www.senjaku.com

こうした演目を演じてる時があって、駆け落ちした男女、助蔵を中村獅童さん、おえんを中村七之助さんが演じて、駆け落ちした男女ががようやく吹雪の中で山小屋を見つけたがほどなくそこへ吹雪を避けようと飛び込んできたのが、おえんの元夫で助蔵の兄貴分である直吉を演じてる片岡愛之助さんです。

獅童と七之助の演じる男女がいる山小屋へ飛び込んできた愛之助は、木の扉をバタンと閉めると、なんとその扉がジワっと倒れてきたと愛之助さんが話すとタモリさんが「それって、歌舞伎のような動きでやっぱり立て直すの?」と興味津々で尋ねると、

「いえいえ、そこはパッとすばやく立てかけて知らん顔してました」と愛之助さんは答えて、何事も無かったように芝居は続き男女3人がそれぞれ愛憎にまみれた感情で対峙していました。

演目は吹雪のシチュエーションですから扇風機で風がビュンビュン送られています。するとさっき、愛之助さんがが立てかけておいた木の扉がまたジワっと倒れかけていて、愛之助さんが「あっ!」が思った目の前でその扉は中村獅童さんと中村七之助の頭を直撃し、2人は倒れたそうです。

歌舞伎も舞台ですからこんなハプニングが起きるんです。その後どうなったかはわかりませんが型通りに演じないといけないからそのまま演じたのでしょうか?観客も驚いたと思います。

元々代々歌舞伎の家に生まれたのではなく子役として芝居をしていたところを見出されて歌舞伎の道に入った愛之助さんならでは告白でした。


こうしたエピソードも色々とあるので探してみたりするのは面白いでしょうし、興味を持って歌舞伎座に歌舞伎を観に行くのもいいかもしれません。

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