以前にもご紹介したことのある、Twitterユーザーのビキ(@biki203)さんによる、県名の印鑑を使った擬人化イラスト。

このシリーズの最新作で、衝撃の事実を知ってしまったので、改めてご紹介したいと思います。

■それがこちら

世界一遠い姉妹都市

出典 https://twitter.com

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というボケで終了するかと思いきや続きが…

(※M78星雲とはウルトラマンの故郷です)

続き

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まさかのマチュピチュ!
しかも初代村長が福島県民!?

投稿したビギさんも「県民が一番吃驚した 」とおっしゃるほどの衝撃の事実。

■調べてみました

福島県大玉村は近く、世界遺産マチュピチュ遺跡があるペルー・マチュピチュ村と友好都市協定を締結する。マチュピチュ村の発展に尽力した日本人移民、野内与吉氏(1895-1969年)が大玉村出身であることが縁となった

出典 http://www.kahoku.co.jp

2015年9月4日のニュース。マチュピチュ村が外国の自治体と姉妹都市を結ぶのは初めてとのことです。その後10月26日に無事調印式が終わりました。

野内与吉さん

出典 http://www.um.u-tokyo.ac.jp

1895年に福島県安達郡大玉村で生まれた野内与吉氏は、裕福な農家の出身でありながら、ゴム景気に沸いていた南米で事業を成功させたいと夢を抱いて、24歳の時にアメリカ、ブラジルを経由しペルーへと渡る。それは大正4年、マチュピチュが発見された4年後のことだった。

やっと世間がマチュピチュというアンデスの古代文明に目を向け始めたころ、クスコにあるFCSAという鉄道会社に勤務していた野内氏は、線路拡大工事が完成後、マチュピチュに暮らすようになった。
現地女性と結婚し、家庭を築いた与吉氏は、日本人の勤勉さと正直さを持って村のために尽くし、その人柄から多くの村人に請われて、初代村長として3年間、地域のために働いていた。また1935年には、この村で初めての本格的な木造建築ホテル「ホテル・ノウチ」が建てられたのだった。

出典 http://perunews.jp

1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者になったという。
1941年にマチュピチュ村が設立された後は、1948年から村長を務めた。
1968年に51年ぶりに一時帰国したが、1969年にペルーで没した。

野内さんは、村に発電所を作り電気を引くなどインフラ整備に務め、ホテル事業を営むなど村の産業育成にも力を尽くし、地域の発展に功績を残した。村まで鉄道を引いたとの話も残っているという

出典 https://thepage.jp

外から来た人間がこれだけ認められるのですから、相当な貢献と人望があったんでしょうね。それにしても驚きです。

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