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3.11の東日本大震災から、今年で5年目。マスコミでは震災の犠牲者の方を追悼する番組が連日放送されていました。

NY在住でメルマガ「ニューヨークの遊び方」の著者・りばてぃさんは、NHK総合テレビの特別番組「特集 明日へ」に注目。番組内で日本のメディアの追悼ムードに苦言を呈した糸井重里さんの発言を紹介しています。

そして、被災地の方のことを本当に考えた時に取るべき姿勢とはどのようなものかを、9.11後のニューヨークメディアと比較。日米の「報道姿勢の差」を解説してくださっています。

悲しみばかりで良いの?

3月11日。日本では、東日本大震災から5年の節目を迎えた被災地の状況を、マスコミ各社が伝えていた。で、今回、気になったのが、以下のハフィントン・ポストの記事だ

〔ご参考〕
糸井重里さん、NHKの震災特集に苦言「こういう撮り方にはならないんじゃないか」

コピーライターの糸井重里さんが3月11日から数日間続いた、NHK総合テレビの特別番組、「特集 明日へ」にご出演したときに、番組の演出や被災地報道のありかたについて疑問を呈した、という。

その場面は、スタジオでの生放送中、現在の青森や岩手の津波被災地の様子を伝えるVTRが流された後にやってきた。スタジオで流されたVTRには、マイナー調の物悲しいピアノのメロディーに乗せ、NHKの伊東敏恵アナウンサーによる、

「岩手県洋野町では、ウニの子供“稚ウニ”の栽培施設が全壊。600万個が流出しました。その栽培施設は、いち早く復旧。ウニの漁獲量も震災前の8割程度まで回復しています」

という良く言えば落ち着いた、悪く言うと、暗いトーンのナレーションが入っていた

VTR明けにコメントを求められた糸井さんは、

「変なことを言うようだけど、この音楽で8割が復興したという話をされても、2割の悲しみしか伝わってこない

悪いけど、こういう撮り方は、地元の人は『やめてくれ』と言っている。ナレーションにしても、(暗いトーンではなく)普通に言えることがあると思う」

と演出に対して苦言。

これまでに何度も被災地を訪れ、こういう撮り方は「やめてくれ」との地元の方々の声を聞いてきた糸井さんならではの誠意の表れだったのかもしれない。

スタジオには、VTRのナレーションを担当した伊藤アナもいらして、自分がナレーションを担当したことを糸井さんに伝えると、糸井さんは、

「本人を前にしてあえて言うけれども、5年経って、(被災地の方々が)この街を撮ってくれって言ったときに、こうはならないと思うんですよね。もちろん、悲しい部分は残っている。まだまだの部分は残っているんだけど。

3月11日の追悼の日だから祈る気持ちがあるけれど、全部をその文脈に入れてしまったら、『ここまで来た!!』と喜んでいる人たちの表情が見えてこないんじゃないかな?」

と続けたという。確かに。さすが糸井さん。

ニューヨークの場合

近年、ここニューヨークでも、何も罪のない多くの人々の人命が失われる悲しい出来事があった。「もうこの街は終わりかも?」という不安や絶望に突き落された悲劇である。

しかも、地震や津波のような自然災害ではない。そう、2001年9月11日に起こった米国同時多発テロだ。

ニューヨークを代表する巨大な超高層ビル、ワールド・トレード・センターの2つのビルに、民間旅客機が2機突っ込み、一部周辺のビルも巻き添えにして崩落。

2,749人の方々が死亡し、さらに多くの方々が負傷した。死者の中には、みんなの命を救うために駆けつけた消防や警察の方々も含まれていた

ニューヨークでは、消防隊員は、たった一人でも消火活動中に亡くなれば、追悼のためのパレードが大々的に催され、地元メディアで大きく報じられるみんなのヒーロー。

そんなヒーローたちが、一度に何百人も亡くなった。もし悲しみをクローズアップしようと思ったらいくらでもできる。

でも、あの9・11から5年を迎えたとき、ニューヨークで報じられていたのは、悲しみを煽るより、不安や絶望のどん底から這い上がってきたニューヨーカーの姿だった。

いや、5年を迎えたときだけじゃない。

実は、ワールド・トレード・センターが崩落した直後ですら、アメリカの報道機関がより多くの時間を使って報じていたのは、人々の不安や絶望、あるいは悲しみなどではなく、希望や勇気だった。

当時、日本のマスコミは、「大変ダー、大変ダー!!!ワールド・トレード・センターが崩落した。日本人も犠牲に!!!」と不安を煽る報道に終始していたがアメリカの報道はぜんぜん違っていた。

そりゃ、そうだ。そもそも、ニューヨークは世界のメディアの首都などとも呼ばれ、アメリカの主要メディアの記者たちの多くも、この街に住んでいる住民なのだから、

「大変ダー、大変ダー!!!」などと他人事のように騒ぎ、不安を煽るバカが、そんなにいるわけがない

それに、伝えるべき情報は山ほどあった。なにしろ、あの9・11直後から、周辺エリアは交通封鎖され、その後も数週間にわたって、なんと、14丁目のユニオン・スクエア以南の車道はすべて通行禁止に。

さらに南のキャナル・ストリート以南については、9・11から約一ヶ月後の10月13日までその状況が続いていた。

当時の様子を知る友人から今でもよく聞かせて頂く話だが、当時、ニューヨークで報じられていたのは、現場から生きて逃れた人々の生の声だったそうだ。

それは、自らの命を犠牲にしてまで助けてくれた職場の同僚たちや、駆けつけた消防隊員たちへの感謝の言葉…。亡くなられた方々が一番最後に残していった、いわゆる遺言のようなもの…。

例えば、『私は他のみんなを助けにいく』というような言葉や、

『もし自分が戻れず、君が無事にここから逃げ出し、私の妻や子ども達と会う機会があったら、「永遠に心から愛している」と私が言っていたと伝えてくれ…』のようなメッセージだ。

ご遺族の方々の声を報じた報道も多々あったという。

若くして亡くなった消防士さんなどの場合、その活動実績に加え、ご両親や奥さんや幼いお子さんなどのご家族が登場して、今の思いをインタビューで語る、というような内容。

もともと、いつ死んでもおかしくない消防士の妻になる道を選んだ奥さんたちの多くが、幼い子ども達を抱えながら、

『一人でも多くの方々の命を救うために亡くなった主人を誇りに思う』などと気丈に語っていた。

当時の様子をよく知る友人は、今でもそうした報道をハッキリ鮮明に覚えてるという。まるで映画のようなエピソードも報じられていた。

ブルックリンの消防署(Brooklyn's Squad 1)で、勤務シフトをちょうど終えて、兄弟たちとのゴルフに向かう途中だった消防士のStephen Sillerさんは、最初の旅客機がツイン・タワーに突撃した一報を聞きつけ、

すぐに奥さんに「休暇がなくなった」と電話を入れると、至急、消防署に戻り、防火服や消化装備などを身につけて、消防車でブルックリン・バッテリー・トンネルへ。

そう、ブルックリンからマンハッタンへ向かうには、途中でイースト・リバーをこえる必要があるのだ。

ところが、セキュリティ上の理由からトンネルの車両通行は完全閉鎖。援護のための消防車ですら通してもらえない緊急警戒態勢になっていた。普通の人なら、それじゃ仕方ないなって思って諦めるところだが、Stephenさんは、真のヒーローだった。

誰かの命を救うため、一人でも多くの人々を救うために、なんと約30キロある重い装備を背負って、そこから走ってそのトンネルを抜け、ワールド・トレード・センターの現場へと駆けつけた。そして、現場で犠牲になられた

なお、Stephen Sillerさんの遺志を受けて、彼が走ったのと同じ距離を走るマラソン大会などを開催したり、各種社会貢献活動に寄付を行うファンド(Stephen Siller Tunnel To TowersFoundation)も作られた。

〔ご参考〕
Stephen Siller Tunnel To Towers Foundation

要するに、あの9・11直後、突然、不安や絶望に突き落とされたこの街の人々に、ニューヨークのメディアが伝えていたのは、希望や勇気だった。

それは例えば、「亡くなった方々のためにも、生き残った我々が、今、下を向いている暇などない。今を生きろ!!!」という強烈なメッセージだった。

そして、そんなメッセージは、その後のニューヨークを、本当に大きく変えることになった

本気の思いは人を変え、街を変える

一昔前であれば、どちらかというと利己的でエゴイスティック(=よく言えば自己主張がはっきりしてる)方々が多かったニューヨークで、あの9・11以降、急速にみんなで助け合って、なんとかこの街を復興しようという意識が爆発的に広まった

テレビつけても、新聞や雑誌を読んでも、街角のあっちを見てもこっちを見ても、

「亡くなった方々のためにも、生き残った我々が、今、下を向いている暇などない。今を生きろ!!!」

という雰囲気に包まれていて、それまで見られなかった変化が起こっていった。

例えば、街の復興やエリアの活性化を目的とし、寄付やボランティアによって開催される無料の各種イベント、コンサートやストリート・フェアやパブリック・アートの展示などが、ものすごい勢いで急増した。

あまりにも増えたため、その手のイベント情報を紹介していたローカル情報誌や情報サイトがもうお手上げと公言。~中略~

そんなわけで、9・11以前を知る方々の中から、「まったく別の新しいニューヨークに生まれ変わった」との声も出ている。

ニューヨークの変わりぶりを示す、分かりやすいデータも存在する。

例えば、9・11が起こった2001年に3520万人だったニューヨークの観光客数は、直近、2015年に5830万人へ約2300万人も増加!!

観光客が直接使ったお金(Direct Spending)についても、2001年の170億ドル(1ドル=100円換算で約1兆7千億円)から、データが公開されてる2013年末までに394億ドル(約4兆円)へと2倍以上に!!!金額では、約2兆7千億円もの増加だ。

1つの国のそこそこ大きな産業の市場規模くらいの金額を、このニューヨーク市だけ、しかもわずか10年ほどの間に生み出したことになる。驚愕の事実だ。

〔ご参考〕
2015年、NYを訪れた観光客は史上最多の5,830万人、6年連続で史上最多更新
2013年、NYを訪れた観光客は史上最多の5,430万人、経済効果は590億ドル(約6兆円)!!!

なぜ、こんなことが可能だったのか?その理由は、9・11以降、みんなが希望を抱き、勇気をふり絞って復興のために協力しあい、コミュニティ意識が高まって、これまでに見たことないほどの活気の満ちあふれたニューヨークを築いてきたから、だろう。

あと、ニューヨークは、中国とか東南アジア諸国のような発展途上国にある都市じゃない。すでに2001年の時点でも、ニューヨークは、多くの観光客が訪れ、それによる経済効果もかなりのレベルにあった世界有数の魅力ある大都市だった。

そんな大都市で、その後、たった10年ほどの間に、観光客や経済効果がさらに倍近く、あるいは倍以上に増えたり、成長するなんてことは、普通に考えたらありえない話だ。「奇跡」としか言いようがない。

その「奇跡」の復興、発展、進化をもたらした大きな要因の1つが、9・11直後から報じられてきた、

亡くなった方々のためにも、生き残った我々が、今、下を向いている暇などない。今を生きろ!!!

というメッセージであり、そんな思いに心を動かされた人々の本気の行動なのだと思う。

そう、あの9・11以降、ニューヨークのメディアは、そんな人々の本気の行動に、スポットを当て続けてきた。困難に立ち向かい、夢や希望を語る人々を映し出してきた。

9・11から5年を迎えたときも、10年を迎えたときもそうだった。心を動かされた人々の本気の行動ほど、大事なものはないのかもしれない。

ちなみに、冒頭ご紹介した、糸井さんが苦言を述べたNHK特番「特集 明日へ」では、翌12日の朝の生放送で、再び糸井さんと共演した伊藤アナが、「おはようございます!!元気に挨拶してみました」と登場したのだとか(笑)。

伊藤アナ自ら、前日の番組で糸井さんにダメ出しされたと説明した上で、

「毎回、この番組を担当している。誰に向けて、誰のために、何のために、何に向かって、長い時間全国で放送するんだろうと考えた」

と告白したそうだ。なんて素敵なアナウンサーさんなのだろう。

アナウンサーさんだけじゃなく、この番組を制作するディレクターさんやプロデューサーさんなども、きっと同じ気持ちなのだろう(だから伊藤アナがこんなお話を番組内でできてるはず)と思った。

糸井さんの被災地の方々を思う本気の行動が、何かを変えた瞬間だったのかもしれない。

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