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世界中の人々を魅了する「桜」。京都にも数多くの桜の名所がありますが、その桜を毎年見られるのは実は大変ありがたいことだったんです!

無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、世の中にあまり知られていない「桜守」という仕事を紹介しています。そこには彼らの弛まぬ努力と、桜に賭ける情熱がありました。

京都 円山公園の祇園しだれ桜と桜守(さくらもり)

京都の桜には親戚や親子など「血縁関係のある?」桜があります。京都屈指の桜の名所・円山公園の中央にある有名な祇園しだれ桜の初代の孫にあたるのが京都府庁のしだれ桜です。そして今の円山公園の祇園しだれ桜は2代目です。

初代は樹齢220年で枯死し、その初代の種子から大事に育てられた桜が樹齢80年を超える今の2代目です。

円山公園の祇園しだれ桜を手掛けたのは、創業1832年の「植藤(うえふじ)造園」の第15代当主・佐野藤右衛門です。植藤造園は江戸時代から代々御室御所(現・仁和寺)に仕えた植木職人です。

近年は造園業を営み、パリやニューヨークなど世界各地で日本庭園を手掛けています。

特に先代の15代目以降は桜を守る活動をしていることでとても有名です。当代16代目も日本を代表する桜守(さくらもり)です。桜守は庭師の大名跡です。

植藤造園は嵯峨野にありその庭園は佐野氏の個人宅の敷地ですが、春になると200本以上の多種多様な桜の花が咲き乱れます。一般人も見物でき、夜はかがり火を焚いているので夜桜見物をすることもできます。桜守のとても粋な演出に感動させられます。

兼六園(金沢)と桜守

日本三名園の1つである兼六園は江戸時代、加賀百万石大名である前田家の庭園でした。6つのすぐれた景観を兼ね備えていることからその名がつけられているそうです。桜のシーズンは特に人気があり満開の桜が咲き誇ります。

沢山の種類の桜の木の中でも最も美しいと言われているのは、「兼六園菊桜」です。普通の菊桜の花弁は150枚から200枚なのだそうですが、「兼六園菊桜」の花びらは250枚から400枚近くもある珍しい品種です。

初代の「兼六園菊桜」は、江戸時代に前田家が京都御所から賜ったと伝えられる歴史ある桜です。昭和3年には、国の天然記念物に指定されました。

当時桜の保存に尽力していた第14代佐野藤右衛門は、「兼六園菊桜」の寿命を察知し後継ぎを養成した方がいいと判断したそうです。

その時から「兼六園菊桜」の遺伝子を後世につなげるために植藤造園はなんと3代にわたって約40年間努力に努力を重ねました。

桜の枝を10本くわえ270キロ運転

遺伝子を伝えるために「兼六園菊桜」の接ぎ穂(芽がついている枝)を30~45cm程切り台木となる桜に接ぎ木をする必要がありました。「兼六園菊桜」と対面した14代藤右衛門は石川県土木課にかけあったそうです。

何度も金沢を訪れ、昭和6年に「接ぎ穂を入手する許可を得ました。しかしこの接ぎ穂で育てていた貴重な桜は太平洋戦争以降の戦乱で行方不明になってしまいます。

戦後、先代である父の想いを継いで15代藤右衛門は昭和34年から毎年「接ぎ穂」を譲り受けに兼六園に通います。しかし何度となく接ぎ穂は失敗してしまいます。昭和36年に15代藤右衛門に同行した16代(当代)藤右衛門も初めて金沢へ同行します。

その時石川県の土木課から菊桜がかなり弱ってきているから接ぎ穂のためとはいえもう切らないでくれと言われたそうです。

何度も老衰だと思って諦めようとしましたが、何とかもう一度だけと頼み込んで接ぎ穂をもらい京都まで持ち帰ったと言います。

それまでも先代が運搬方法を色々工夫したけどダメでした。水を含ませた新聞紙に包んでみたりあらゆる方法を試していたそうです。

先代は夜が明けて夜露がまだ朝日に照らされて光っている時に接ぎ穂を切りそれを口にくわえました。これでだめだったらという覚悟で口に10本の接ぎ穂をくわえたまま、金沢から京都まで270キロの道のりを運転して帰ったといいます。

唾液には養分が含まれているからか、体温の温かさが良かったのか、奇跡的に10本のうち1本だけ生き残ったのです。これでダメだったら天下の名園・兼六園の菊桜はこの世から存在しなくなると必死だったそうです。

夜、雨の音がすれば飛び起きて傘をかけてやったり、虫がつかないように手当てをしたり、長い間大変に苦労して育てようです。接ぎ穂は桜守3代に渡り約40年の時を経て成功しました。

そして昭和42年、初代「兼六園菊桜」が枯死した後、京都嵯峨野の植藤造園で大切に育てられた2代目が兼六園に返されました。それが現在兼六園にある菊桜なのです。

京都には昔から桜をこよなく愛し丁寧に育てる桜守という庭師がいます。京都の桜はこのような人たちの途方もない長年の努力によって格別の美しさを見せるのです。

祇園しだれ桜と16代佐野藤右衛門

円山公園にある祇園しだれ桜は2代目で、先代は名桜で明治・大正・昭和と「祇園の夜桜」として知らない人はいませんでした。先代はその初代のしだれ桜から種をもらってきて嵯峨野の佐野藤右衛門邸に撒いたそうです。100ほど発芽し戦後残ったのが4本。

それを当代が生まれた日を記念して植えたのが今の2代目の祇園しだれ桜です。昭和22年に先代のしだれ桜が枯れてしまい同じ場所に寄付しました。

誰もが知る円山公園の中央に堂々と咲き誇る祇園しだれ桜は当代の佐野藤右衛門と双子の兄弟で今年御年88歳です。

桜守おススメの京都の桜

桜守・佐野藤右衛門さんおススメの京都の桜はやはり兄弟の円山公園のしだれ桜のようです。昭和25年のジェーン台風の時に暴風雨の中、先代が木に登り幹にしがみついて必死で守りその翌年初めて花を咲かせたといいます。

まさに先代の桜守としての魂が入った桜です。そんなことに想いを馳せながら眺めると自分だけの極上の花見が出来ることでしょう。

京都にはこのように知っていれば無限に感動が広がる場所です。花見1つとっても語りつくせない数々のロマンがあります。一度で全てはお伝えすることが出来ませんので、その奥深い魅力を今後も末永くご案内出来ればと思っています。

佐野藤右衛門さんとは

植藤造園の第16代 佐野籐右衛門さんは昭和3年生まれで日本の造園家であり作庭家です。祖父である第14代籐右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し「桜守」としても知られています。

京都府京都市生まれで京都府立農林学校卒業。現在は造園業「株式会社植藤造園」の会長です。過去には桂離宮、修学院離宮の整備を手がけています。パリ・ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに協力して造営しています。

平成9年、ユネスコからピカソ・メダルを授与。平成11年には、勲五等双光旭日章を受章。平成17年には、京都迎賓館の庭園を棟梁として造成。今年で88歳、今も現役の桜守として実際に木に登り第一線で活躍しています。

いかがでしたか?京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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