一年365日、一日は24時間。これは神様からすべての人に平等に与えられた時間。でも、その時間をどう過ごしてきたかは、顔に、態度に…現れてくるのではないのでしょうか?そして、その結果が本人だけに現れるのでは無くて、周りの人をどう動かすのか、どんな気持ちにさせるのかが見えたような出来事がありました。

「痩せた鬼瓦のような老人」

平日午前10時過ぎの電車は、通勤電車ほどではありませんが、座席はすべて埋まっていました。そして私の目の前には、左右の座席を0.5人分ずつの空間を空けて、これでもかと思うくらいに足を大きく広げた、サラリーマンの男性が偉そうに座っています。

それは、まるで、ここが公共の場ではなく、家のソファにどっかりと座っているように見えました。

その左隣(私から見て右側)には、若い女性が、うつらうつらと気持ちよさそうに寝ています。反対側には、痩せた男性が座っていました。

私は、0.5人分空いた空間を見ながら…どちらかに詰めてあげれば、もう一人座れるのに…と、この腕を組んだサラリーマンの男性を見て思いましたが。立っている人の誰も「詰めてください」とは言いませんでした。

そして、次の駅で、杖をつき、足を引きずるようにして、痩せたおじいさん(70代後半くらいでしょうか…)が入ってきました。

このおじいさん、電車の中に入ってきたときから何かに怒ったような、イライラとした不機嫌オーラを醸しだし。大変失礼なのですが、痩せた鬼瓦のような怖い顔で、ドンドン前の人を押しのけて入ってきたのです。

そして、私の前の座席で、足を大きく広げて座るサラリーマンの男性の前に立ちました。

〝おっ!このおじいさん。お行儀悪いサラリーマンに一喝!言うてくれるのかー!!〟と、思ったら。このおじいさん…。なんと、横に座る。気持ちよさそうに眠る若い女性の足元を、自分の杖でパン!と叩いたんです。

〝えっーー、そっちですか?なんで…〟と、私は一瞬思ってしまいました。

足元を叩かれた女性も、気持ちよく眠っていたので、驚いてハッ!と目を覚まし。びっくりした顔で前を見ました。なぜ、自分の足を叩かれたのか、この女性にしてみれば、事情がよく飲み込めていなかったのだと思います。

すると、この痩せた鬼瓦のようなおじいさん、杖で床を力一杯ダン!と叩いたんです。
ここで、多分、女性は、このおじいさんの杖で、自分の足を叩かれた理由が、「空いている空間を詰めろ。足の不自由な私を座らせろ」と、言うことだろうとは飲み込めたようですが、女性にしてみれば、座席を詰める空間はありません。

…そりゃそうだ…。

一人分の空間を左右余分に占領しているのは、隣の身体の大きなサラリーマンの男性なんですから。その男性が、左右どちらかに詰めなければ、一人分の座席の空間は空きません。

女性が空いている空間を詰めても、中途半端に0.5人分の空間が、右から左に移動するだけです。が、このおじいさんは、女性に対し杖でバンバンいわせてから、「詰めろ!」と不機嫌オーラ全開で女性に怒鳴ったんです。


「理不尽な要求…」

このおじいさんの、どう見ても筋の通らない理不尽な要求に、自分より強い男性にはなにも言えず、自分より弱いと見た若い女性に八つ当たりですか?弱い者いじめですかと私は思いました。

が、この女性は偉かった。怒りたかったでしょうに、何も言わずにお尻をあげて詰めるふりをしたんです。そこでやっと、偉そうに座っていたサラリーマンの男性が、女性の反対側に移動して座りました。つまりは、1人分の座席の空きが出来たのです。

そして、このおじいさん、女性に「ありがとう」を言うどころか、(中途半端な空間を空けて、偉そうに座っていたサラリーマンにするならまだしも)女性を睨みつけながら座り。座った後も、わざわざ横を向いて彼女を睨みつけていました。
ありえへん、と思う。気ぃ悪いおじいさんの態度です。

そして終点につき、電車の扉が開きます。乗客は一斉に立ち上がり、外に出ようとします。が、杖をつき、おぼつかない足取りのおじいさんのことを、庇う人は誰もいませんでした。

まず、ちょっとふくよかな中年の女性は、ひょこひょこ歩くおじいさんの前で、バッと席から立ち上がり、その勢いでおじいさんがよろけます。でも、女性は知らん顔で前に進んでいきます。

そして、横によろけたおじいさんは、真横にいた大学生風の男性の肩に当たって、今度は後ろによろけます。でも、大学生風の男性は、よろけたおじいさんのことなど完全無視で、すたすたと出口に向かい歩いて行きます。

と、後ろによろけたおじいさん。今度は後ろから来たサラリーマンの男性に、グイグイ押されるようにして前のめりになりながら…、こけるということはありませんでしたが。
こうしておじいさんは、移動する人の壁にもてあそばれながら、フラフラと車外へと出て行きます。

人の壁に溺れるようにして、頭が浮かんだり消えたりしているように見える、おじいさんの姿を見ながら、きっと、私以外にも、このおじいさんの理不尽な態度と言葉に、気を悪くしている人が大勢いたのだろうと思ってしまいました。

普段の私なら、自分の母親も足が不自由で杖をついていますので、同じような人を見かけると、自分が出来る範囲でのお手伝いや、少しでも庇ってあげようと思いますが…。
申し訳ないことなのですが、このおじいさんに関しては心が動きませんでした。

本当は、それではいけないのだと思いますが…、「大丈夫ですか」の言葉さえ口をついては出てきませんでした。

だから、この日は、一日中なんだか嫌な気分で過ごすことになりました


「オーラのある老紳士」

それから2日後のことです。1番込む通勤時間帯を少しずれてはいましたが、それでも電車の中は、隙間がないくらいに人でいっぱいです。
この日は、二日前の電車内の人口密度を遥かに超えていました。

乗り換え駅に着いて、電車のドアが開くと、中からはダァーと人が一気にはき出されていきます。ですから自分の意志で前に進むというよりは、人の流れにのって歩いているという状態でした。

その状態のまま、乗り換えホームに向かうエスカレーターへと、人の流れは進んでいきます。エスカレーターを挟んで、左右から人が合流する地点に近づいてくると、おもしろい現象が、エスカレーター向こうの、私とは反対側の人の流れの中に見えてきました。

私の視線の先には、杖をつき、少し足を引きずるようにして歩く老紳士が、ゆっくりとエスカレーターに近づいてくるのが見えます。

年の頃なら70代後半(2日前に出会った鬼瓦のような顔の老人と同じ年くらいでしょうか…)。老紳士が着ているスーツはパリッとしていて品があり。一目見て仕立ての良いものだと分かりました。

それに、なんとなく…、まとう空気が品の良い、優しげな顔をされています。

この老紳士。足がご不自由なのは分かりますので、周りの人たちも、この老紳士を円で囲むように少し空間を空けながら、足早に歩いています。
そして不思議なことに、この老紳士の前には、まるで見えない赤い絨毯が引かれているかのように、エスカレーターまで一直線に空間が空いていたのです。

ですが、このまま人の流れに乗って反対側から歩いている私と、老紳士の歩く速さとを考えますと、『これは、エスカレーター前で、丁度、私と鉢合わせしそうですね。そのときは、一旦私が立ち止まって、先に行って貰いましょう』と、心の中で決めました。

案の定。私があと半歩、老紳士があと一歩前に出れば、カッンと鉢合わせしてしまうので、私はその場に立ち止まりました。すると、なぜか老紳士ご自身も立ち止まりました。


『えっ?』と思って、私が老紳士を見ますと、にっこりと優しげな笑顔をつくり。立ち止まった私に向かい笑いかけてくれています。

そして、杖を持ち直し。背筋をピンと伸ばしてから、空いた手でエスカレーターを指し示して、言葉はありませんでしたが『お先にどうぞ』というように、優しく笑った目が私に言ってくれているのです。

それは、完璧なるレディーファーストです。
(このとき私は、心の中で、老紳士から私に対する丁寧な扱いに対し、すごく感激したのを覚えています。)


私は、そのご厚意に甘えて「ありがとうございます」と言って、老紳士よりも先にエスカレーターに乗らせてもらいました。

この間、ほんの数秒だとは思いますが、周りの人が無理矢理間に入って来ることも、「はやくしろ!」と怒鳴られることもありませんでした。

私と老紳士の後ろに立っていた人たちは、この数秒間、静かに待っていてくれたのです。ですから、この日、この老紳士の笑顔と男性として、とてもスマートな対応に、私は朝からその日一日を、とても気持ちの良い思いで過ごさせてもらいました



「笑顔の時間は、結果を生むのだ・・」

人は、誰でも年をとります。年をとれば、身体のあちこちに不自由もでてきます。
若い頃には、なんの苦もなくやれていたことも、いつの間にか出来なくて、イライラすることも有ると思います。それは、誰の身にも起こることだと思います。

ですが、例え自分の足が不自由でも、人として弱き立場の者を庇うことが出来る(老紳士自身が、男性として、幾つになっても女性に優しく出来る)。
相手を思いやることが出来るように、年齢を重ねていけたなら。

たとえ年齢を重ねたことで、多少人に迷惑をかけることがあったとしても、人から丁寧に扱われるのではないでしょうか。


反対に、痩せた鬼瓦のような顔をしたおじいさん…、老人は、何にも悪くない女性の足元を杖で叩きました。本当に叩かれる相手は、彼女ではなく、一人分の席を多く占領して座っていた男性なのに…、です。

それは、この老人が、相手を、何も悪くない彼女をぞんざいに扱ったということだと思います。

その結果。この老人は、足が不自由にもかかわらず、誰にも庇ってもらえないどころか、ぶつかられ、よろけながら、人の波に飲まれるようにして電車を降りていきました。



この二つの出来事は、1日24時間の内の、ほんのささいな瞬間に起こった出来事です。が、その瞬間の時間の積み重ねが、年を経て、極端な話ではありますが、鬼瓦のような老人になってしまうのか、品の良い老紳士になるのか…、の両極端な結果を見せてもらったような気がしたのです。

そして、この品の良い老紳士のことを思い出しては、相手を思いやる行動や仕草を、笑顔で何気なく出来るということは、人の心の中にいつまでも「優しい思い出」として、残されていくものだということに気がつきました。

そして、それは日々の小さな積み重ねが大切だということを、忘れてはいけないと改めて思うのでした。


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知らないことが知りたくて、メンタル、カルマ、礼法に漢方スクール…etc.とお勉強。で、ですね、人を動かしているのは無意識、でも、この無意識を味方につけるとスゴいんだ~と気づいたら…、なぜか、「えっ?!そうくるかぁ~」と、色んな場面に遭遇しれしまう…という面白いことが起こりだすのでした。

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