記事提供 がんばれ熊さん

学生時代、新聞奨学生として奨学金をもらいながら2年間専門学校に通っていました。

なぜ私が新聞奨学生になろうと思ったのか?それは親に頼らずに学校に行きたかったからです。母子家庭で母親に大きな負担をかけたくなかったからです。

そこで高校時代からアルバイトをしていた新聞配達所で新聞社の奨学金制度を知り、これなら親にお金を出してもらわなくても学校に行けると言うことで決意しました。そして学校に通いながら、配達所に住み込みで働くことになったのです。

人生で初めて親元を離れて生活をする不安。そんな不安を吹き飛ばすほど配達所にいてる人達は温かい人たちばかりでした。とくに店長には大きな思い出があります。

店長は大の競馬好きでした。

出典私のイラスト

競馬好きの店長との思い出

店長は大の競馬好きでした。1993年のエリザベス女王杯という有名な競馬のレースを店長とテレビで観戦していた時のことです。そのレースには、ベガと言う名の絶大な人気を誇る強い馬が出走していました。店長も、「ここはベガが勝つだろう」ということでベガの馬券を買っていたのです。

ちなみに私は、ギャンブルが好きでなかったので、馬券は買ってませんでした。しかし、店長が「ベガが勝つから、勝ったら飯をおごってやる」と言ったので私もテレビの前でベガを応援することにしたのです。そしてレースが始まりました。

わーわーと言う観客席からの凄い声援の声がテレビから聞こえてきました。

それに合わせて、アナウンサーが「ベガ、ベガは今8番手、ベガ8番手」とベガが今、どの位置にいるのかを連呼しました。ベガ、ベガと連呼しているのはベガがそのレースの主役であると周囲が期待したからだと思います。店長も「ベガ、ベガ行けー」とテレビに叫んでいました。

そして最後のカーブをすぎたころ実況は「ベガは苦しい、ベガ苦しい」と「ベガ苦しい」を繰り返したのでした。店長は、相変わらず、「ベガベガ」と叫んでいました。そしてゴール近くになり、「内からホクトベガ、内からホクトベガ」「ホクトベガ、ホクトベガ」とホクトベガをアナウンサーは連呼しました。

「え?ベガ?ホクトベガ?」と私は思いました。名前が似ているからです。さらに「ホクトベガ先頭、ホクトベガ先頭、」とアナウンサーの声。この時店長は「おい、おい、ちょっと、ちょっと・・・・」そしてゴール後にアナウンサーは驚きとともに、競馬史に残る名セリフを叫んだのでした。

「ベガはベガでもホクトベガ」

ベガがホクトベガに負けたのです。店長は「マジか?」と嘆きました。
「ベガはベガでもホクトベガ」この言いまわしはとても面白いと思いました。しかし、私は笑いをこらえるのに必死だったのです。

出典私のイラスト

なぜ笑いをこらえたのか?

それは、店長が怒っていたからです。ベガが負けた悔しさよりも、アナウンサーの実況に怒っていたのでしだ。普通に「ホクトベガが勝ちました」でいいのになぜ「ベガはベガでもという余計な言葉を言う?」と怒っていたのです。

私は笑いをこらえながら、「確かにこの実況はひどいですよね」と、自分も同じ気持ちであるかのような言葉を店長にかけました。「ベガはベガでもホクトベガって、なんか馬鹿にしてますよね」店長は「くっそーこの言葉は一生忘れられんわ」と言いました。

私は店長から一旦遠ざかり、見えないところで体を震わせながら笑いました。あの出来事から、20年以上経ち、ネットで「ベガはベガでもホクトベガ」と検索してみると、いっぱい出てきました。多くの方の記憶に残るインパクトのある実況だったのです。

そんな私は卒業する時、営業所の皆さんに送別会をしてもらいました。

出典私のイラスト

店長も私と同じで、住み込みだったために食事や買い物など、一緒にいる時間が長かったので私が卒業して配達所にいなくなることは「寂しい」と言ってくれました。

2年間一緒に暮らしてきたのです。そんな私に血は繋がっていないけれど家族のような兄弟のような特別な感情をもってくれたそうです。

なので社会にこれから出る私に大きな期待を込めて送る言葉をかけてくださいました。「辛いことがあっても負けるな!お前が負けるということは期待した俺達が負けると言うことだから」

私は感謝の気持ちで心が熱くなりました。そして私も最後のあいさつをしました。「2年間、本当にいろんなことがありました。店長や、皆さんのことは一生忘れません。忘れられない思い出がたくさんありすぎます・・・」その言葉の後に。

私は店長に・・・

出典私のイラスト


「店長覚えてますか?」「え?」「ベガはベガでもホクトベガって?」「あっ?それを今言うか?」「はははは」笑顔で送別会は終わりました。その後で、一人になり心の中で店長の言葉をかみしめました。

「お前が負けると言うことは期待している俺達が負けると言うことだ」

この言葉に対して「言われなくても負けないよ」と言う気持ちで、ぎゅっとこぶしを握りしめました。親元を離れ知らない人との共同生活。つらいことも多かったのですが、家族のように接してくれた店長のおかげでとてもいい思い出が出来ました。

私は、このことを思い出すたびに新聞奨学生を経験してよかったと思うのです。

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