「貰えぬなら渡してしまえチョコレート」

いつかの戦国武将も言ったかも知れない名言を胸に刻み、いざ実行に移し終えた冴えないしがない三十路独身男性の私は、俯き加減でとぼとぼ夜の街を傘を広げ歩いていました。あれから三日が経過していました。既読が付いたメッセージに返信は未だに無いのです。傘を叩く音の間隔が狭まり、雨脚が段々強まります。路面に無数の飛沫が弾けます。生温く湿った風が頬を撫で、黒く染まったアスファルトに、明滅する信号機の光が鮮やかなグラデーションを描いていました。唐突に重苦しい夜空に閃光が走り、雷鳴が轟きます。その轟音は、まるでこれからの不吉な未来を暗示しているような、地獄のファンファーレみたいに聴こえ、私はぶるっと震えてしまったのです。

店内で声を掛け、二度ほどデートに漕ぎつけた、うら若きカフェ店員に私はバレンタイン直前、満を持してチョコレートを手渡しました。実はここ一ヶ月ほど音信不通状態に陥っていたのですが、起死回生の秘策、逆バレンタインと称し、彼女が働く店に出掛けたのです。近所で有名な人気店で購入したチョコレートを携えて…。

「…もう。本当にいいのに。はーあ。うわっ、高そう。とりあえず、ありがとうございます。うん。わかりました。今度いつ店に来ます?その時にお返し用意しときます」

一応、受け取っては呉れたものの、彼女はいかにも事務的な態度で、冷淡な対応で私をあしらいました。夜の蝶が言いそうな台詞吐いてんじゃねえ、と毒づきたくもなったものの、お返しとかいらないからさ、また二人で飯でも行こうぜ、細かいことは気にしない、洗練された都会的なクール・ガイを装い、ライトでポップな口調で私は彼女に言い放ちました。

「あー、はい。ゴハンですか。いいですよ」

あっさり了承を取り付けた私は、コイツ単純に断れない性格なのかしらん、と訝りつつも、まあ、起死回生だ、よかったよかった、素直に喜び、翌日メールを送信したのです。チョコ美味しかった?、どこに行こうか…、そして再び既読スルーされました。

何故でしょうか。理由ははっきりしています。生き霊のせいなのです。そいつは悉く私の幸福を邪魔しやがるのです。余程、私を恨んでいるのでしょう。

その霊が憑りついたのは今から三年前でした…。

お姉ちゃん、へんなんです

その女子は小学校のマドンナ的存在でした。六年間を通して好きな女子ランキングで、ぶっちぎりの一位を獲得し続ける美少女でした。私も友人も勿論、その女子に常日頃から羨望の眼差しを注いでおり、なんとか気を惹きたいと躍起になっていました。我々は或る日、廊下でその女子の弟を捕まえると、インタビューを試みました。お前の姉ちゃん、家では一体どんな感じなんだよ?と。

「うーん。ぼくのおねえちゃん。ちょっと、へん。いっしょにお風呂はいっとったら、急に、みてみて、って言いながら、お尻に“せっけん“をはさんでる…」

友人と私は顔を見合わせ、爆笑しました。あの美貌で家ではコミカルなことをしているんだと思うと、可笑しくて仕方ありません。格好の話のネタを手に入れた我々は早速、その女子に尋ねました。「ケツに石鹸挟んでんの?」と単刀直入に。その女子は一瞬フリーズして、声を荒げました。

「…はあ。それ、誰から聞いた?わたし、そんなことしてないし!」

言葉とは裏腹に顔を真っ赤に染めた女子は、我々を憤怒の形相で睨みつけるや否や、全力で追いかけまわしました。逃げ惑いながら、しかし、我々はその女子に相手にされて、非常に楽しく幸福な気持ちに浸っていたのでした。

再会、バレンタイン

あれから、およそ二十年の歳月が過ぎ去り、私は当時モテモテだった、その女子と少数で集まったプチ同窓会で再会します。彼女は既に結婚しており、子供も二人いて幸せに暮らしているそうでした。ただ「そういや、小学生の時に風呂で…」と言い掛けると頬を紅潮させ「お、お前っ!それ以上言うなーっ!」と当時と同じ表情で激昂し高級ブランド品らしきハンドバッグをぶんぶん振り回して追い駆け回され、逃げ回りながら思わず私はニヤリと笑ったのです。バレンタインデー直前の時期でした。そして、この時私は一つの悪戯を思い付いていたのです。

「実は当時、好きやったけど、君は高嶺の花で男子全員の憧れの的やったし、何も気持ち伝えきれんかった。当然女子から全くモテなかった俺の事とか、目に入ってなかったやろうし、バレンタインチョコも貰える筈も無かった。だけん、これ受け取って下さい」

私はリボン付きの包装された小さな箱を差し出しました。彼女は大きな目を輝かせ心底嬉しそうに言いました。

「えーっ。チョコレート!ありがとう!家帰って食べるね。あんた、今なら絶対モテるよ!」

上手く行き過ぎたリアクションに私は、内心、これから彼女に起こるであろう惨劇に少しばかりの同情と憐れみ、そして罪悪感を抱いていました。

チョコの中身

出典著者撮影

箱の中身は“石鹸”でした。デパ地下で購入したチョコレートの包装を細心の注意で丁寧に剥がし、中身のチョコレートを取り出し、自分で全部平らげると、そこに牛乳石鹸の中身を詰めて、贖罪の気持ちでおまけにベルマークも添付し、元通りに綺麗に包装し直しました。

見た目は完璧でした。完全犯罪成立です。

「チョコ開けたら、牛乳石鹸とベルマークが入っとった…」

私は彼女の携帯番号を知らず、友人の携帯に怒りのメールが入り、それから友人は夜中に、彼女からの無言電話に苦しめられる羽目に陥ったのです。俺関係ないのに、と友人は嘆き、恨みを買ってしまいました。番号知らなくて良かった、と安心していると、facebookから「テメエ、やってくれたな!コノヤロー!」と彼女から糾弾のメッセージが暫くして届けられました。インターネット社会、SNS恐るべし。

きっと、彼女の荒ぶる魂、怒れるエネルギーが生き霊と化し、現在の私を苦しめているに違いありません。そして「あなたはお兄ちゃん的存在であって、恋愛対象に非ず」というカフェ店員のメールを、たった今、受信したんです。くそう、生き霊

今日は、バレンタインデーです。

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久留米の爪切り このユーザーの他の記事を見る

男は久留米という砂漠の中の一粒の砂であり、クルマ、金、女に縁がないライター志望の孤独で吝嗇な三十路だった…http://ameblo.jp/kt660cc http://tabelog.com/rvwr/002224433/

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