「母の愛」はよく「無条件の愛」の代表のように言われ、キリスト教でも「無条件の神の愛に最も近く、似ている愛」として言われることがあります。

たしかに「母親」は、日頃、自分の時間を犠牲にしたり、自分よりも家族や子どもを優先する生活を送ることが多く、犠牲的、献身的な姿をイメージさせます。

貧乏でも、忙しくても、あらゆる境遇にあっても「母親」は自分の子どもを守ろうとし、自分が食べなくても子どもに与え、自分が寝ないで子どもを看病することもあるでしょう。

でも私は思うのです。「本当に母の愛は無条件の愛だろうか?」

「母の愛は無条件で常に素晴らしいものだ」という考えは、至らない母親にとっては「私はダメな母親だ」と感じさせる要因になってしまいます。

私自身、母親となり、もう少し良い母親になれるかと思いきや、逆に自分の愛のなさを思わされることの方が多く、そもそも人間には神と同等の愛など持っているはずはないので、「無条件の神の愛」と比較するようなものではないのではないかと思っています。

母と私の会話から

母と私は性格も違い、私は父親似であることもあり、何かと関係がしっくりこないことがありました。

お互いに思いやっているし、好きなんだろうけれど、いまいちかみ合わないことが多かったように思います。

父と息子、母と娘は同性であるために反発する部分があるようです。

母と激しく言い合ったりする中で、ある時、母にこんなことを言われました。

「あなたのお母さんへの愛が大きすぎて、お母さんがそれに応えきれなくてゴメンね。」

「本当に無条件なのは母の愛ではなく、「お母さんだから」というただそれだけの理由で愛してくれる子の愛の方かもしれないね。」

そう言われた時、ずっと胸の中につかえていたものがなくなり、「分かってもらえた」という満足感を得た気がしました。

自分が母になって

自分が3人の子どもの母になって、いろんな理想や「自分はこうは育てまい」と思うようなことが色々あったように思いますが、現実はうまくいかないことも多かったです。

何より、私は子育てを「楽しむ」ことが苦手でした。

上の子どもの年の差が近かったこともあり、子どもが一人から二人になった時が一番大変でした。

変に「きちんとしなくちゃ」と思ったり、寝られない、食べられない、自分の時間が無いことによるストレスで疲労感はMAX、笑顔は消えました。

「子どもを危険から守らなくちゃ。」「ちゃんと育てなくちゃ。」と、常に緊張状態で過ごしていたんだと後になって気付きました。

他のお母さんたちは子育てを楽しんでいるように見え、自分だけがすごく「イケてない母親」のように思えて、外に出かけていく元気もなく、毎日うつうつとしていました。

会話のない乳幼児期、会話にならない幼児期が特に精神的にも身体的にも辛かったです。

本当に「うつ」のような時期があったので、病院へ行く一歩手前で、私は少しずつ快方に向かったため、病院へは行きませんでしたが・・・。

今でも「テキトーな母」である私自身はあまり変わってないように思いますが、下の子が小学生になり、時間的にも精神的にも少しゆとりが出来て、子育て中の生活の中で笑ったり、「楽しい」と思えることが少しずつ増えてきました。

子育てをしていてよかったこと

子育てには辛い事、苦しいこともありますが、楽しいことや嬉しいこともあります。

「子育てをしていて良かったこと」は、自分にとって何かと考えてみた時、私にとっては2つありました。

ひとつは「子どもと一緒に、自分の子供時代に戻ったかのような楽しい経験が出来ること」。

自分一人では行かないような場所へ家族で行ったり、思いがけない子どもの言動に思わず笑ってしまうことなどがあります。

私自身は、自分の内から何か楽しく愉快な気持ちになることは少なく、夫と二人だけだったらもっと静かだったとは思いますが、子どもの面白い言動に思わず吹き出したり、「かわいいなあ」と思う幸せ感のようなものはなかっただろうなあと思います。

自分の子供時代は、笑うことが少なく、暗い子どもだったのですが、今、自分の子育て生活の中で、面倒なこともありますが、子どもと過ごすことで子供時代にできなかった、しなかった経験をし、一緒に笑う中で心が癒やされていると感じることがあるのです。

子供時代に埋められていなかった心の部分を、今になって埋められ、満たされ、満足している自分に気付く時、貴重で幸いな経験をさせていただいてるんだな、と感じることがあります。

もう一つは、「ボクのママだ!」「私のママだ!」と姉弟で言い合っているのを見た時です。

「こんなママを奪い合ってくれるのか!?」と、驚きとうれしさの気持ちでした。

どんなに欠けだらけの母親であっても、子どもにとってはかけがえのない「ボクのママ」「私のママ」なんだな、と思います。

「ボクの、私のママである」、ただそれだけで、子どもは母親のことが大好きなんだなって、しみじみ思わされます。

無条件の「子の愛」に応える

もう少し成長すれば、ただ自分の母親であるという理由だけで「ママが好き」という時代は過ぎるのかもしれませんが、時々、私は「子の愛」に教えられ、自分も無条件で愛していけたら・・・と思う時があります。

「親の愛」はどうしても「条件付き」になってしまいがちです。

「もっとこうだったら・・・」「もう少し○○だったら・・・」という期待や不満、条件に満ちています。

親には「しつけ」や「教育」の役割があり、「もう少しここを直さないと・・・。」と考える場面は少なからずあるわけですが、子どもは「ママが好き。ママも私のことが好き。」、母親の方でも「この子は私のことが好き。」と相互で思えたら、お互いにおおらかな関係でいられるような気がします。

独身の頃、児童伝道のセミナーで「子どもに不満を持って見る罪」について話を聞きました。

大人はとにかく子どもに不満を持って見ることが多く、本当に純粋で無条件の愛を持っているのはやっぱり子どもの方だと感じざるを得ません。

子どもはお母さんが大好きです。たとえどんなお母さんであっても、子どもは絶対的な愛をお母さんに向けて持っている。そう思います。

いつも育児がうまくいくわけではありませんが、「子の愛」を信じ、感謝して私自身も「子の愛に応える」母でいられたらいいなあ・・・と願っています。

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