ホワイトハウスの前で平和・反核を訴えてきた女性

コンセプシオン・ピチオットさん(80)

スペイン出身の彼女は1960年にアメリカに移住し、活動家との出会いがきっかけでホワイトハウスの前で平和・反核を訴え続けてきた。

彼女はなんと35年も活動を続けていた

彼女は1981年、第40代レーガン大統領の政権下であった時から35年間ホワイトハウスの道路を一つ挟んだ場所にテントを張って平和と反核を訴え続けていた


世界一有名な場所の前で、こんな人がいたなんて、知らなかった人も多いのでは?

彼女はなぜ平和・反核と反核を訴え続けたのか?

1960年にスペインからアメリカに移り住んできた彼女は66年に結婚し73年に養子(娘)を受け入れ念願だった母親になったがその後、離婚。親権争いの結果、彼女は娘を失った。

失意の中彼女は活動家トーマスさんに出会う。

平和運動家ウィリアム・トーマスと出会う。レーガン政権下で、核軍拡の動きが激しくなった時代。全面核戦争による地球破滅の不安は今よりずっと痛切だった。

トーマスから核の脅威を聞くうち、離ればなれの娘を待ち受ける将来を案じた。「母親として何もできないなら、娘を含めたすべての子どもが平和に暮らせる世界を目指そう」。そんな思いで、座り込みを始めていたトーマスに合流した。

 二人三脚の運動は、いつしか「全米最長の座り込み」と注目され、コニーはホワイトハウス前の“反核おばさん”として平和運動のシンボル的存在に。同志のトーマスは2009年1月他界したが、コニーは残り続けていた。

出典 http://www.47news.jp

娘さんを失った彼女を狩りたてたのが平和活動だった。

いつしかそれは信念に変わり、35年という普通では考えられない「全米最長の座り込み」と言われるような活動を行ってきたのだ。

辛辣な言葉を浴びせさせられるのは日常茶飯事だった

毎日ホワイトハウス前に通ってテントを張り、平和や反核を訴える彼女。

その生活はホームレス同然で、生活費は寄付や募金、支援団体などの支援によってまかなわれてきた。

酔った通行人に罵声を浴びさせられたり、暴力を受けたりは日常茶飯事で、タクシーに轢かれてしまったり、観光客と政治の事について議論になったりもした。

それでも彼女はホワイトハウスの前に通い続けた。

そんな彼女の35年の活動が幕を閉じた

1月26日、コンセプシオン・ピチオットさんが属していたグループ「ピース・ハウス」が彼女の死を明らかにした。

享年80歳だった。

彼女が残した言葉

「ここで生活して危険ではないですか?」。そう尋ねるとピシオットさんはこう言った。「核兵器や原発のあるこの世界は、どこだって危険。安全な場所はどこにもない」。そして目の前のホワイトハウスを指差す。「世界で一番危険なのは、あそこだから」。ホワイトハウスの屋根に警備官の姿が見えた。核を持つ軍事大国ゆえに、テロの恐怖に直面するアメリカの矛盾が垣間見えた。

出典 http://bigissue-online.jp

出典 YouTube

35年も行われたたった一人の活動。

彼女の活動に賛同する市民やジャーナリストも数多くいたという。

彼女の訴える内容は勿論、35年という長い年月を困難に遭いながら貫き通した行動力に心をうたれた人も多かった事であろう。


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