学校の授業で習う「通史」ではない「生きた歴史」が面白い!

私事の話になってしまうのですが、私は数年前から放送大学で学んでいます。放送大学は年齢を問わず幅広い世代の人が自分の学びたい科目を1科目から選択して受講できます。もちろん、全科履修生として大学卒業資格やその他の有益な資格を取得することもできます。私は特に卒業を目的とはせず、その時々、興味のある分野を選択しています。今期に選択したの科目の一つに「日本近世史」があります。

この「日本近世史」、色々と興味深いことを学ぶことができました。これは確かに歴史の講義なんですけれども、通常の「通史」ではありません。江戸時代の日本のとある地方に着目して、地域に伝わる史実や資料などから、当時の民の実態をリアルに再現して知るというような内容です。ちょっとわかりにくいというか、下手な説明ですが、「ナマの歴史」といえば良いのでしょうか?

 

例えば、江戸時代に徳川吉宗が目安箱を設置したとかいう、著名な史実ではなく、その時代に○○村では、民がどのように暮らしていたか、ということを歴史的文献からアプローチするものです。

生活に困った旗本の殿様が農民から生活費を出して貰った!

今日は私が「江戸近世史」で知った、江戸時代の興味深い事実をご紹介したいと思います。江戸時代というと、まず連想するのが武家社会、つまり武士の世の中ですよね。士農工商という身分制度がかっちりと決められていて、町人や農民はお侍には頭が上がらない、そういう図式が私はどうしても頭に浮かびます。

 

ところが、いちがいにそうばかりでもなかったようです。とある村ではある旗本の支配を受けていましたが、その旗本のお殿様は暮らし向きが思わしくなく、商人から次々と借金しまくり、そのため、殿様は、とうとう、「これ以上は貸せない」と断られる羽目になりました。

「負担した生活費は年貢から差し引いて下さい」、村人は殿様に交換条件を出した!

そのため、殿様は支配する村の農民に「自分や家族の生活費を出すように」と命じました。村人は「我々も生活が苦しいのですが、どうしてもと言われるなら、生活費はお出しします。しかし、私たちが負担したお殿様の生活費は今後、我々が納めるべき年貢と相殺してください」と、殿様に言いました。つまり、生活費を用立てはするが、その負担した分は後で、年貢米から差し引いてくれ、と、交換条件を出したわけですね。実際のところは、負担はしても、その分、年貢米から差し引くことで、借りは返して貰うということ。殿様はそれを受け容れ、後に年貢米から用立てて貰った分は差し引いたそうです。

私、これだけでも驚きました。江戸時代は、殿様がどんな無理難題をいっても、村人は「へへー」と言って無条件で従っていたとばかり思いこんでいたのですが、現実には、村人は殿様にちゃんと交換条件を提示し、殿様もそれを認めていた、そんなことがあったんですね。現代の感覚でいえば、借りた分はきちんと返すというのは当たり前だけど、封建社会で武士と農民との間にもそういう常識的なルールが通用していたとは!

殿様やその家族の小遣いや生活費は村人が決めていた―その驚くべき現実。

更に、驚くべき事実が判明しました。この後、殿様は何度か村人から生活費を出して貰いましたが、何と村人たちは集まって、殿様やその家族には「殿様のお小遣いは月々、幾ら。生活費は幾ら」と、決めて、それを殿様に守らせたそうです。その金額や使い道を明記した文献資料が今も村の有力者の家に伝わっているそうです。村人は殿様に「もう少し生活費を切り詰めて、借金を減らすようにして下さい」と進言し、事実上、その殿様と家族は村人に私生活まできっちりと管理されている有様でした。

時代劇で見る威張った侍とは、あまりにも違いすぎる姿。

つまり、農民が武士に「贅沢はせず、倹約しなさい」と言ったわけです。まあ、生活費が自分たちで捻出できず、村人からだして貰っている状態では、それも仕方ないかなとは思うのですが、やはり、農民が旗本にそこまで言えた、というのが凄い。江戸時代といえば、どうしてもドラマとかで武士が農民に大いばりしている光景がおなじみですが、今に伝わる資料をひもとくと、そうとばかりも言い切れない。農民もきっちりと言うべきところは言う、そういうリアルな姿が浮かび上がってくるようです。

さて、今回ご紹介したこのエピソードについては、「台方村」(千葉県東金市)に残る資料を元にしています。幕末にこの村を知行していた旗本「河野氏」がそのお殿様です。河野氏が知行していたのは台方村だけではなく、他の三つの村も含めて合計四つの村を領地としていました。エピソードで殿様に「倹約して下さい」とか「用立てた生活費を年貢から差し引いて」と申し出たのは、この四つの村の代表者四人でした。

御殿様御勝手向き不如意のところ、別してこの節差支えあらせられ、御暮らし方御難渋遊ばされ候に付、このたび厳しき御省略仰せ出され候えども、御暮らし方の金子差し出し候者これなく、御差支えに付き御暮らし金月々差し出し候よう仰せ付けられ、一同当惑仕り候えどもよんどころなき次第ゆえ御請け申し上げ、月々御賄い金相違なく差し上げ申すべく候、もっとも右金子御下げ成し下され候段仰せ聞けられ、一同承知かしこみたてまつり候、これにより右御受け書差し上げたてまつり候ところくだんの如し。天保十二年丑年十月

(旗本河野様の家内財政が思わしくなく、とくに最近は厳しい財政運営であるので苦労しているため、節約するように命令が出された。そうなっても生活費用などを貸してくれる商人などはおらず、生活が行き詰まったため、知行所の村々に対して毎月の生活費などを差し出すように命じた。仕方なく村々はこれを引き受け、毎月の費用を用意することにした。村々が差し出した費用は毎年の年貢米を下付してもらうことで相殺するように命じられたので、その件は承知し、この受け書を提出する。)

出典「日本近世史」 杉森哲也編著

興味深いエピソードを物語る当時の資料です。

もちろん、この資料だけで江戸時代にすべての武士が農民には頭が上がらなかったなどということはあり得ないと思います。基本的に、江戸時代は武士の世であり、「切り捨て御免」の言葉に象徴されるように、町人、農民と比べて武士であるというだけで、侍は身分的特権を有していたと思われます。しかしながら、江戸時代も末期となると、武士は借金をしなければ生活が成り立たないほど困窮していました。そうした逼迫した経済的状況の中で次第に裕福な町民に頼らざるを得なくなっていき、自然に町民の発言権が大きくなったというのも事実ではあるようです。

身分制度を物ともせず、逞しく生きようとした庶民の姿は「リアル江戸」の一端。

いずれにせよ、今に残る様々な資料からはドラマなどでは知り得ない「リアル江戸」の実態が浮き彫りにされてきます。この歴史の講義が一般の歴史の勉強とは違うと申し上げたのは、そういう意味です。身分制度を物ともせず、自らの生活を守るため、賢く逞しく生き抜こうとした庶民の生き生きとした姿は何故か、身近に感じられます。単なる史実だけを年代順に並べた机上の歴史ではない「生きた歴史」のようにも思います。月末の単位認定試験の方はともかく、こういった目からウロコ的な当時の庶民のリアルな姿を知ることができて、とても興味深い講義でした。

この記事を書いたユーザー

めぐみ このユーザーの他の記事を見る

フリーライター。ウェブ小説を書いています。2013年、「歴史浪漫文学賞」において最終選考通過。入賞候補作品「雪中花~とりかえばや異聞」書籍化。洋の東西を問わず、歴史が大好き。自称【歴女】です。韓流時代劇に夢中。そのほかにも美容・天然石アクセサリー作りなどに興味があります。
ブログのURL http://ameblo.jp/megumi3777/

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス