予期せぬ訃報

1月10日、イギリスのアーティスト、デビッド・ボウイさんの公式TwitterとFacebookに彼の突然の訃報が流され、世界中に衝撃が走りました。

「2016年1月10日 - 本日、デビッド・ボウイは18ヶ月に及ぶガンとの果敢な闘いを終え、家族に囲まれて静かに息を引き取りました。亡き人を偲びつつ、ご家族の哀悼を思いやりプライバシーを尊重して頂くようお願いいたします」

1月8日、69歳の誕生日に合わせて新作Blackstarをリリースした時には、Facebookにはこんなに素敵な写真がアップされていたのですが…

各界へ遺産を残したアーティスト/クリエイター

私が住んでいる西海岸時間の夜10時半に発せられた訃報。その後、追悼記事が次々と上梓され、彼の出身地はじめ縁の深い土地には献花が山と捧げられ、あらためてその存在の大きさを感じさせられます。

周知のように彼の活動は多岐に渡り、そのライフスタイルから音楽界のみならず映画界、文学界に多大な影響を及ぼしました。

一般的にそれほど知られていないのは金融界への影響で「ボウイ・ボンド」と呼ばれるものです。

「スペース・オーディティ」などのヒット曲を残した同氏はロイヤルティ収入を証券化した最初のアーティストで、1997年に5500万ドル(約64億8300万円)相当の「ボウイ・ボンド」を発行した。ロイヤルティ収入を裏付けとした証券によって、作品を完全に売却することなく資金が調達でき、実際の収入が発生するのを待つ必要がなくなる。

ボウイ・ボンドは奇抜な資産担保証券の草分けとなった。その後、ロック歌手のロッド・スチュワート氏やヘビーメタルバンドのアイアン・メイデンが同様の証券を発行。また、海運用コンテナや洗濯物など風変わりなものまでが証券化されるようになり、高い利回りを求める投資家から人気を集めて同市場は今では活況を呈している。

トゥエンティフォー・アセット・マネジメントの運用者、ロブ・フォード氏は「ボウイ氏の証券はその音楽と同じくらい画期的だった。大勢のアーティストが追随したばかりでなく、あらゆる資産を証券化するひな形になった」と話した。

出典 http://www.bloomberg.co.jp

「ロック歌手」「グラムロックの創始者」と称されることが多い彼ですが、多方面への影響を思うと「アーティスト/クリエイター」というのが一番しっくりとくる気がします。2003年にアメリカの公共放送(NPR)に応じたインタビューでも「作ることが好き」と自ら答えているほどでした。

そんな彼が次々と発表していった作品は訃報後にネット上に続々と上梓されている「まとめ記事」におまかせするとして、今記事ではそのクリエーター・スピリットを彷彿とさせる昔話を紹介させていただこうと思います。個人的に大好きなエピソードです。

1981年夏、スイス・レマン湖のほとりモントルー

イギリスのロックバンド・クイーンが10作目になるアルバム「ホット・スペース」のためにモントルーのスタジオでの録音で滞在していた時、デビッド・ボウイも映画「キャット・ピープル」の主題歌「クール・キャット」のバックコーラス録音のために同じスタジオを訪れました。

“David came in one night and we were playing other people’s songs for fun, just jamming,” says Queen drummer Roger Taylor. "In the end, David said, ‘This is stupid, why don’t we just write one?'”

出典 http://www.amazon.com

「ある夜デビッドが来て、みんなで他の人達の曲を弾いて面白がっていたんだ。ただのジャムだったんだけど、そのうちにデビッドが『こんなバカやってないで自分達で曲を作らないか?』って言いだしたんだよ」(ロジャー・テイラー/ドラマー)

ワインとコカイン漬けで24時間

それからほぼ曲が完成するまでほぼ24時間、メンバーは寝ないでワインとコカインをあおっていました。そのせいでなのか記憶違いが生まれ、曲がどうやって出来たのかメンバーによって話の食い違いがあるものの、ジョン・ディーコンのベースを基盤にしてデビッド・ボウイとフレディ・マーキュリーが共同で作詞をしたというのが正しいようです。

‘When the backing track was done, David said, “Okay, let’s each of us go in the vocal booth and sing how we think the melody should go–just off the top of our heads–and we’ll compile a vocal out of that.” And that’s what we did.’

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「伴奏が出来上がった時、デビッドは『よし、一人ずつブースに入ってメロディーがどう行くべきかやってみよう、考えすぎないよう自然にね。それから編集するんだ』言われた通りにしたよ」(ブライアン・メイ/ギタリスト)

その時に、フレディが音楽に身を任せて即興で歌ったイントロのスキャット部分も録音され、後で追加されました。またデビッドは自分とフレディが他のメンバーのものと互いの歌部分を聞かないようにして歌詞の行き来をさせよう、そうすれば交代で歌う事で醸し出される「切り貼り感」が薄らぐからと、頑固に言い張ったそうです。

クイーンのメンバーは全部一緒に録音するつもりでいたのかもしれませんが、大変に手間がかかるこだわりを主張され、言い負かされたような感じになったのかもしれませんね。昨日の訃報を受けてネットで静かな人気になっている、その時の様子をイメージさせる伴奏無しのアカペラ版がこちらになります。

出典 YouTube

「もう、大変なんてものじゃなかったよ。僕ら4人がテンパッてるところに4人合わせたよりもっとテンパッてるデビッドがいるんだから。情熱のほとばしりは最高だった。でも僕のやり方が少ししか通らなかったんで難しかった。ただね、デビッドには真に叙情的なビジョンがあったんだ」(ブライアン・メイ/ギタリスト)

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「道ゆく人々」から「アンダー・プレッシャー」へ

歌は初め「道ゆく人々(People on Street)」というタイトルにしようとしていたのを、デビッドの強い希望で「アンダープレッシャー」になりました。

その後、ニューヨークに戻って曲を編集する時になって、デビッドは同席することを強く主張しました。「それは、あまり上手くいかなかったんです」と当時のクイーンのエンジニアは語っています。

「私達は1日中かかって、それでもデビッドは『ああしろ、こうしろ』と指図し、しまいにはフレディーに電話して『助けてくれ』って。それでフレディが仲介役として来てくれたんです」(レインホールド・マック/エンジニア)

出典 http://www.amazon.com

自分の作るものにとことんこだわる性格がよく分かるような気がしますが、あのフレディ・マーキュリーが仲介役に呼び出され慌てて駆けつけるなんて、なんだか微笑ましいですね。

でも2人は激しい口論になり、一時は曲の発表自体やめてしまおうと、デビッドが脅しにかかる場面もあったそうです。でも結局1981年10月26日に曲は発表され、ブリティッシュチャートのトップまで行く名曲になりました。

「『アンダープレッシャー』は僕たちにとって大事な曲です。なぜならデビッドの存在があり、歌詞の内容があるからです。当時は納得しがたいと思ったけれど今は理解出来ます。…でもね、いつか自分のやり方で編集し直してみたいとは思っています」(ブライアン・メイ/ギタリスト)

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出典 YouTube

クイーン、特にフレディ・マーキュリーとデビッド・ボウイとの間にミキシングの際に確執が生まれた…という噂がたつのが納得いくほど、デビッド・ボウイは「アンダー・プレッシャー」に関して表面に出ない年月が続きました。曲作りの時そのまま、じっくり手をかけ完璧を求める主義ならば、デビッド・ボウイは一緒にライブで歌うのでなければ不完全な形で自分のステージで歌うことを良しとは思わなかったに違いありません。

2人の関係について、フレディ・マーキュリーにインタビューしたビデオが残っています。

出典 YouTube

長年の友達であること。デビッド自身がこの曲ではメロディをとらずバックグラウンドのように感じていること。よく話はしていること。ただ世界のあちらとこちらで仕事をしていたりするので、会う事はあまりないこと。

確かに、いい友達だったのでなければわざわざスタジオに遊びに行ったりはしないでしょうね。

フレディの死と追悼コンサートでのパフォーマンス

「アンダー・プレッシャー」から10年、1991年11月24日にフレディ・マーキュリーはエイズによる肺炎で亡くなりました。彼の追悼とエイズ撲滅のためのチャリティーとして行われたコンサートで、デビッド・ボウイは初めてライブでこの曲を歌いました。その時の模様を生前のフレディのライブ映像と組み合わせ、この世では実現しなかった2人のコラボが公開されています。

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また同コンサートでデビッド・ボウイは追悼の意を表し、代表作「ヒーローズ」を捧げています。

出典 YouTube

僕たち人間のひとりひとりが勝者(チャンピオン)だ」と歌い続けた男へ、「僕らはヒーローになれる。1日だけだけど。永遠に」と語りかけるのは、どんな気持ちだったでしょうか…

その後、彼はほぼ毎回ライブに「アンダー・プレッシャー」を入れるようになります。2002年発表のベスト版にも、また2014年にリリースした「ナシング・ハズ・チェンジド」にも、この曲は収録されています。

本当はパフォーマンスは好きじゃなかった

2002年録音されたアメリカの公共放送(NPR)のインタビューの中で、彼は「実はステージに立つのは好きではない」と言ってリポーターを驚かせています。

14歳で手にしたアルトサックスが音楽に親しむきっかけとなって以来、十代のうちに抱いた希望は「いつかミュージカルを書いてみたい」という事だったそうです。正統派のではなくロックミュージカルの新しい形を作り上げたいと思ったそうですから、すごいですね。

それが物語性のある歌詞になり、ジギー・スターダストが生まれてみたら他にやってくれる人がいなかったので自分がやることになったとか。
ただステージはやっていると疲れて飽きてしまう事もあるけれど、作詞作曲などクリエイティブな仕事は寝食を忘れて打ち込む事が出来たそうです。

その後も映画や他のパフォーマンスに関わって来たのも、全てはミュージカルを書くため、だったのかもしれません。

長丁場のミュージカルは各場面に神経をはり巡らさなければなりません。そう考えると「アンダー・プレッシャー」でクイーンの面々をうんざりさせた緻密さも分かるような気がします。

最後のミュージカルと地上への贈り物

12月7日、NYのオフ・ブロードウェイ劇場で「Lazarus」が初演を迎えました。1976年にボウイ自らが主演した「地球に落ちて来た男」をベースに新しい曲を書き下ろした念願のミュージカルです。彼はこの日に劇場へ足を運んでいます。現時点でチケットは売り切れですが、キャスト・アルバムをレコーディング中だそうです。

8日にリリースされたばかりのアルバム「Blackstar」に収録されている同じタイトル「Lazarus」という曲は、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティ氏によれば「お別れの贈り物」なんだそうです。様々に遍歴を重ねてきた彼が、また初めの頃の本来の形に戻って来ているような気がする曲です。

出典 YouTube

思えばフレディ・マーキュリーも最後の曲「These Are The Days Of Our Lives」の末尾部分で「I still love you」と囁くのが、お別れの言葉だと言われています。私達はそれを聞いてただただ悲しむ事が出来ますが、心を残して用意していく人の気持ちはどれほど重かったことでしょうか。しっかりと聞いて、受止めなければと思います。

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