前回:ー1997年、4月。代理店営業“とおる”をつき動かした上司の一言とは…

東北に生まれ、大学進学と同時に上京した松本沙也香、28歳。行動する前に考えるタイプの彼女が、高校生のある日雪山で言われた言葉に背中をおされ上京したのが、もう10年も前。大学を卒業して入った小さな出版社では、雑誌や本を作る日々に忙殺され気がつけば、もう5年もたっていた。結婚の予定もないまま、今日も仕事で朝帰り…。


――2008年、10月。

窓の外が明るくなり、チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。ああ、また会社で徹夜してしまった。これでもう3日目。

「28歳独身…我ながら終わってるな…」

今日の夕方には今月分の締め切りが全部終わる。あともう一息。私は、眠い目をこすりながら再びパソコンに向かった。

大学進学と同時に東京に出てきたのが、18歳。キャンパスライフはそこそこ満喫したけど、就活は思いっきり氷河期だった。マスコミ志望で、テレビ局や代理店、大手出版社とか手当たり次第受けたけれど、当然のごとく全滅。

今は、学生時代にバイトしてたコネで入れてもらったこの小さな出版社で、編集者をしている。血液型分析の本からブランドムック本まで、流行とあらば何でもやる会社だから、それはもう毎日が戦争のような忙しさだ。

3日ぶりに帰った我が家は、いつも通り狭く…いつも通り散らかっていた。

「ただいまー」

大学の時付き合っていた彼氏とは、社会人一年目に別れてしまった。原因はありきたりな「すれ違い」。以来、もう4年近く恋人募集中が続いている。今の仕事は、結構自分に合ってると思うし、楽しいし、そこそこ評価もされてる。

でも、本当にやりたいことなのかはわからない。じゃあ何がしたいのかと言われると、はっきりとは言えないんだけど…ただ、なんとなく。そんなんだから、きっとずっと今の仕事を続けるんだろうな…。

昔、スキー教室のときにもらったアクエリアスの空き缶も何となく机の上に置きっぱなし…捨ててもいいんだけど、ビン・缶のゴミの日なんて覚えてられないや。

「えっ!は?フットサル、ですか?」

ーー翌日。

疲れの抜けない体を引きずり出社した私を待ち受けていたのは、社長の無茶ブリだった。

「そう。フットサル。今流行ってるらしいから、沙也香ちゃんハウツー本作ってよ」

最近発売されたスマートフォン(※1)をいじりながら、社長は言った。

「え、でも、私フットサルとかやったことないし……」
「大丈夫。知り合いのフットサルクラブに入れてもらう手筈は整えてあるから」

忘れてた。うちの社長、こういう時だけ仕事が早いんだった…。

私はこうして、フットサルクラブに入ることになってしまった。

それからはもう、想像通りのボロボロ具合。2日後、指定されたフットサルコートに行くと、ルールもわからないのに試合出場を命じられた。絶対無理だとは思いつつ「やってみなきゃわからない」と気持ちを奮い立たせて挑戦。しかし、当然のごとく結果は…灰になった、そんな気分だった。

気が付くと私は、コートの隅で真っ白に、本当に灰のように燃え尽きていた。

「大丈夫ですか?」

突然声をかけられ見上げると、そこには1人の男性がいた。今日の対戦チームだった人だ。30代中盤くらいだろうか。長身でイケメンだったから覚えてる。

「あ、はい…ちょっと疲れちゃって。すみません」

「いえ。今日初めてだったんですか?突然試合なんてすごいですね」

「ちょっと仕事で、やらなきゃいけなくて…」

「仕事?」

「あ、私、編集やってるんです。」

と、自分の務める小さい出版社名を告げると…。

「ああ!俺、昔イベントの取材してもらったことありますよ。広告代理店なんですけど」

イケメンで広告代理店か…一番苦手な人種だ。

「私、フットサルなんか全然知らないのに、フットサルのハウツー本作ることになっちゃって…」

「じゃあ、僕が教えますよー!こう見えて、フットサル歴11年目なんで」

戸惑っているうちに話が進んでいる。な、なんて強引な…!これだからイケメンは苦手なんだよーーー!!

こうして、試合が終わり誰もいなくなったフットサル場での練習が突如始まった。しつこく練習をするうちに、とりあえずボールは蹴れるようになった。

次は、ドリブルの練習だ。まずはまっすぐのドリブル。それが出来たら、少しジグザグに。パス、ドリブル、パス。単調だけれど、集中力のいる作業。上がる息。もう10月だというのに、いつのまにかTシャツがびしょ濡れになってしまっていた。

「じゃあ最後に、シュートの打ち方やりましょう」

おそらく、その時点で2時間は経過していたと思う。練習はいよいよ、佳境を迎えていた。彼がディフェンスで、私がオフェンス。彼をかわしゴールできたら、私の勝ちだ。

「いいですよ、やりましょう!」

最初こそボールを蹴るだけで精一杯だった私も、気が付けばノリノリになっていた。

「よし、じゃあ…スタート!」

彼の合図で、試合は始まった。ゴールをめざし、ドリブルをする私。もちろん、彼が手を抜いてくれているのはわかっている。それでも私は、なんとかしてゴールをきめたかった。社長の無茶ブリで、しぶしぶ始めたはずのフットサル。まさかここまで熱くなれるなんて、夢にも思っていなかった。

教わったテクニックを最大限に駆使し、必死にゴールを狙う私。でも、ゴール前まではいけるものの、なかなかシュートを打たせてもらえない。彼の手のひらで転がされている気分だ。

「よし、じゃあ次が最後のチャンスね」

彼も、少し息が上がっている。私は無言でうなずき、ラストチャンスに賭けた。ボールを蹴る。立ちはだかる彼をかわす。抜けた!私はその隙をついて、ゴール目掛けて思い切りシュートした。

「入った…入ったーー!」

最後に決めたシュートは本当に爽快で、私は思わず、彼に抱きついてしまった。

「うわっ!すすすすみません!ち、ち、ちょっと飲み物買ってきますね!!」

私は慌てて、その場を走り去るしかできなかった。

近くの自販機で買って来たアクエリアスを渡すと、私も彼も無言でゴクゴク飲んだ。一生懸命フットサルして、汗かいて…。体中の水分が抜けたみたいだったところに、グングンと水分がしみわたっていく。これなら、もう1ゲームできるかもなんて思いながら一気飲み。

「ぷはーーーー!」

勢いよく飲み干すと、彼が、大笑いしながら言った。

「君さ、すっごい似てるんだよね(笑)。もう10年以上前なんだけど、スキー場である女子高生と賭けをしたことがあってさ…」

スキー場、賭け。そのキーワードは、私の記憶をくすぐるに十分すぎるものだった。


「その子になぜかスキーを教えたことがあってね。それが凄く楽しくてね。そんときもアクエリアス飲んだんだけど、そのころはまだペットボトルとかなくてさー、缶だったんだよね。知ってる?そういう時代あったの?」

「知ってるか」といいながら笑う彼の横で私は、パニックになっていた。え、だって…まさか。多分、いや、絶対。間違いない。

「…アクエリアスの、缶…」

私は、必死の思いで、言葉を振り絞った。キョトンとした彼に、私は勢いのままに言った。

「私、ずっと持ってます。あの日の、アクエリアスの缶!」

私の言葉を理解するのに、彼も数秒かかったようだった。

「…うそだろ。君、あん時の!?」

11年の時を超えた再会。

この出会いが新たなる人生の幕開けになるなんて、この時は全然思っていなかった…。

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最近発売されたスマートフォン(※1)…当時は、買ったは良いものの、なかなか使いこなせず、ガラケーと呼ばれる俗に言う“ケータイ”と2台持ちをするのが主流だった。
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