――1997年、2月。

ここからどうやって逃げようか。

現実逃避したい私は自分に都合のいい妄想にふけっていた。

ーーひとけの無い雪山を走るバスを突然止める一人の男。急ブレーキで止まったバスの中に男が突然入ってくる。流行の“茶髪でロン毛”、カチューシャをしててもいいかも…。

そんな彼が「沙也香!来いよ!」とか言っちゃって…。

甘い声で私の名前を呼び、手を取る。走り出す二人。小さな山小屋で寄り添い、そして…。

「…やか、沙也香!ちょっと!着いたよ!」

「うわっ!びっくりしたー…」

「またボンヤリして。どうせスキー教室が嫌すぎてお得意の妄想でもしてたんでしょう」

高校を出発して一時間半。バスはいつの間にか、目的地であるスキー場に到着していた。今日は、年に一度のスキー教室。「東北出身者たるもの、スキーくらいできたほうがいい」という学校の教えの元、毎年行われている。本当に迷惑な行事だ。

私の妄想をズバリ当てたこの子の名前は幸。小学校からの親友だ。美人で頭も運動神経もいい。スタイルも抜群だから、ミニスカにルーズソックスが本当に似合ってる。学校内でもひそかに人気があるらしく、幸のプリクラを欲しがる男子は結構多い。

クラスでいうと2軍女子な私、沙也香。

それに比べて私は…顔も頭も中の下だし、スタイルもよくない。幸と同じルーズを履いてるのに、なぜか象足になっちゃうし。流行りに乗って細くしたマユゲも、バランスが悪い。

考えてみれば、私って昔からそうなんだ。プリクラでは半目だし、ベルもいっつも文字化け。保護ったはずのメッセージも間違えて消してるし…。何やっても、うまくはいかない。それが私、松本沙也香。17歳の高校2年生。これからの人生もきっとこんな感じなんだろうなって思ってる。

「じゃ、またお昼休みにね」

と言って、幸は、さっそうとスキーで滑って行ってしまった。さすが上級クラス。

私だって、滑ろうと思えば滑れないわけじゃない…と思う。ただ、どうせやっても幸みたいに上手くはできないし、最初からやらないだけ。そりゃ本当は、幸と楽しく上級クラスで滑りたいけど…どうせ一人だけヘタクソでまわりにバカにされるだけだし。

ああ、やっぱり風邪ひいたってズル休みすればよかった。

ふと、私の視界に、ある人が映った。

リフト乗り場に並んでいる、流行りのスキーウェアを着た、一人の男性。ゴーグルで顔が隠れてよくわからないけど…20代くらいかな。背が高くて、スタイルも良くて、大勢人がいるスキー場内でも凄く目立ってる。

「…かっこいい」

その時、私の頭の中で何かがパンとはじけた。これ…運命かも!

たたずまいとか、顔と体のバランスとか、ゴーグルの下に見えるアゴのラインとか。帽子からちょっと出てるロン毛なんか、まさに“好み”って感じ♡

キョドる私。すると彼は、リフトに乗ってしまった。「ちょ…ちょ待っ」私は思わず、彼の後を追いかけリフトに飛び乗った。後悔はあっという間に襲ってきた。

初めてリフトに乗ったけど…これ、めっちゃ高いじゃん!!落ちたら即死するやつだよ!これって俗にいう“チョベリバ(※1)”っていうやつか…。私は、寒さで紫色になった唇でボソリと呟く。でも、私の3つ前にはあの彼がいる。ここで落ちて、死ぬわけにはいかない。私は必死の思いで彼を追いかけ…

…たかったけど、それも無理な話だった。リフトを降りた私の前にひろがったのは、嘘みたいに急な斜面。ここはどうやら上級者コース用のリフトだったらしい。

顔面蒼白で動けなくなる私。そんな私に、突然声をかけてくる人がいた。

「…大丈夫?」

顔を上げたその瞬間、口から心臓が飛び出るかと思った。だってその声の主はあの彼だった!ゴーグル越しでもわかるくらい、明らかにイケメン!やば〜い♡

「君、スキー教室で来てた高校の子でしょ?何で一人でこんなとこ来てるの」

なんでそれを…!と言おうとして、ハタと気が付いた。スキー教室の生徒達は、みなスキー場から配られたゼッケンをつけていたから。そりゃ一目でわかるはずだわ。どうしよう!まさか、追いかけてきたなんて言えない。

「てゆうか、君どうやって下まで降りるの? あんまり上手くないんでしょ。スキー」

まさか、“僕もリフトに乗る前から君のこと気になってたんだよ”的な!?そんな妄想にひたっていたら…。

「なあ、初級クラスちゃん?」

(…一瞬でも勘違いした自分が恥ずかしい。ゼッケンのばか。)

「うう…。ス、スキー板を脱いで…歩いて降りるしかないかな…」

私が半泣きで言うと、彼が笑って言った。

「…そうだ!賭けしようぜ」

「麓までスキーで辿りつけたら、スキー教室をサボってたことは秘密にしてあげる。でも、もし途中であきらめたら、学校の先生にチクる」

「ええ!?そんな…!」

「大丈夫。人間、必死になれば意外とできるもんだから」

「無理!絶対無理です!」

「やってみなきゃわかんないって。はい、スタート!」

彼はいたずらっぽい笑みを残し、滑り出してしまった。慌てて追いかける私。何なのアイツ!ちょっとカッコイイからって!でも、なんか負けたくない!

私は、去年のスキー教室で教わったボーゲンで、なんとか前進してみた。ちょっと気を抜くと、ググッとスピードが増す。こ、怖い!

「右足に力を入れて!」

少し下で彼がアドバイスを飛ばす。

「そうそう!うまいよ!」

右、左、右、左。私は無心で、滑り続けた。上がる息。ふと自分の足元に視線を落とす。スキー板が、キラキラとパウダースノーを舞い上げている。あんなに冷たくなっていた体が、いつのまにか汗ばみ始めている。

もう少しだけ、スピードをあげてみよう。少し怖い。でも…なんでだろう。とても気持ちがいい。

気が付くと私は、無我夢中で滑っていた。ふわふわなパウダースノーの上を、なめらかに滑走する。まるで、風になった気分だ。知らなかった。スキーって、こんなに楽しかったんだ。

「はい、おつかれさん」

やっと麓に到着したころには、彼はとっくに休憩中だった。渡された一本のアクエリアス缶を、急いで開けて飲む私。冬なのに、ウェアの中は汗びっしょり!冷たい風に吹かれた頰は真っ赤だ。足はガクガク。

「ぷはー!!」

喉の乾きにも気付かないくらい夢中で滑ってきた。今滑ってきたスキーのように、アクエリアスがなめらかに私の身体に入っていく。運動のあとのスポーツドリンクが美味しいと感じるほど運動するのは、いつぶりだろう。

「楽しかった?」
「楽しかった!」

かぶせ気味に答えたことにビックリしてしまった。

「やっぱり。俺の言った通りだったでしょ。やってみなきゃわかんないんだって」

そう言って、彼は自分のアクエリアスをゴクゴクと飲み干した。私は上下する喉仏を見ながら、今日彼と出会えたことは、やっぱり運命だったんじゃないかと、ぼんやりと思っていた。

帰りのバスの中。私は彼の言葉をずっと反芻していた。

「『やってみなきゃ、わかんない』か…」

私は今まで、間違ってたのかもしれない。何をやってもうまくいかないんじゃなくて、やる前から諦めてしまっていたのかもしれない。私だって、やればできるのかもしれない。今日のスキーみたいに。

彼からもらったからっぽのアクエリアス缶を私は大事にリュックサックにしまった。ニヤける私を幸がからかってきたけどシカト。楽しかった思い出は独り占め…なんて思っていたら、眠気におそわれて…久しぶりに一生懸命動いたからか次に気がついたときにはもう地元にいた。

「ああ、疲れた…」 気付くと俺は、帰りの新幹線の中で一人呟いていた。

一人になりたくて東北のスキー場まで来たのに、まさか女子高生にスキーを教えることになるとは。あの女子高生、ちゃんとスキー教室に戻れたかな。まあ、そんなの俺が心配することでもないけど。意外に楽しかったな…なんて思い出してニヤケていたらPHSがブルブルと鳴った。

液晶を見る。
 
「…またか」

これから起こるであろう出来事を想い、俺は小さくため息をついた。明日からまた、いつもの俺の日常が始まる……。

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(※1)チョベリバ…「超ベリーバッド(very bad)」の意味。当時の10代20代を中心に使われた流行り言葉。元々は、当時の“月9”ドラマで使われたのが始まり。対義語は「チョベリグ」。
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