NBAのスーパースターといえば一昔前はマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、スコッティ・ピッペン、シャキール・オニールといった名前が浮かんできますが彼らにも負けないスーパースターが今年コートから去ります。その名はコービー・ブライアント。

彼がNBAに残した記録やプレイは歴史に残るレジェンドといっていいでしょう。コービーに敬意を表し、その偉大といえる足跡をご紹介したいと思います。

名前のコービーの由来は日本のあの都市

1978年フィラデルフィアでに生まれたコービーはお父さんが元NBA選手のジョー・ブライアントで、母親は元NBA選手ジョン・コックスの妹であるパミラ・コックスというバスケット一家。名前の”Kobe”はご存じの方も多いでしょうが日本の神戸市が由来でお父さんがお気に入りだったアメリカにある鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と行った際、”Kobe”(神戸)の名前の由来を店主に聞いた事をきっかけに両親が名前を気に入って付けられたものです。神戸の名前の由来は

神戸が「こうべ」と呼ばれるようになったのは、江戸時代頃からといわれています。その頃、神戸(かんべ)郷の地域は上部(こうべ)村と呼ばれ、後に神戸(こうべ)村になり、町から区、そして市になりました。歴史をさかのぼってみると、神戸が「神の戸」と表されるようになったのは、生田神社の神戸(かんべ)に由来しているとされています。神戸(かんべ)というのは、古代から神社には封戸(ふこ)と呼ばれる神の戸なるものがあり、生田神社には四十四戸の封戸が与えられていました。この封戸とは、税を納めて神社を支える民家のことをいいます。

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コービー本人も1998年に初来日した際に、生まれて初めて自身の名前の由来となった神戸を訪れて2001年12月13日には神戸大使に委嘱されました。

高校卒業後にNBA入り

高校時代は3年生の時に31.1得点10.3リバウンド5.2アシストの成績を残して州の最優秀選手に選ばれる。またNBA伝説の巨人ウィルト・チェンバレンが長年保持していたペンシルベニア州の高校得点記録を更新するなど一躍注目選手となり、4年生のシーズンには母校を42年ぶりの州チャンピオンシップに導きました。
当時はアメリカのバスケット選手は殆どは大学進学をしてNBAを目指す選手が多かったのでコービーも大学進学を考えてましたがコービーが高校卒業する1年前のNBAドラフトでケビン・ガーネットが高校を卒業したばかりの選手としては実に20年ぶりの指名を受けて、高卒選手にもNBAへの道が開けたことで高校卒業後にNBA入りを表明してNBAドラフトで全体13位でシャーロット・ホーネッツからの指名を受けますが、
レイカーズの入団を望んだコービーは「レイカーズに入団できなかったら、デューク大学に進学する」と云い、レイカーズはトレードをしてコービーはレイカーズに入団することになりました。

コービーが高卒でNBAに入りたかった理由の一つに当時引退を目前に控えててたマイケル・ジョーダンと対戦をしたいという希望があったからです。

プロ二年目にオールスター出場

ルーキーの年は控え選手ではありましたが才能の片鱗を既に見せて出場時間も15分と多くありませんでしたが故障者が続出したこともあり、1997年1月28日のダラス・マーベリックス戦で初先発。この時18歳と158日で当時のNBA先発出場最年少記録を塗り替えました。
二年目もベンチスタートでしたが試合途中に交代で出場すると大きな歓声が起こり、多くのファンがいることを伺えました。それを象徴する出来事としてこの年のNBAオールスターゲームだった。コービーはレイカーズでは控えにもかかわらずファン投票によりNBA史上最年少でオールスターに選出。しかも先発出場という異例の出来事となった。所属チームで控えの選手がオールスターの先発に名を連ねるのは過去にも先にもNBA史上コービーだけです。

三連覇達成!

コービーのNBAのキャリアで欠かせないのがレイカーズ3連覇の出来事です。
当時チームの大黒柱だったシャキール・オニールとの確執もあってレギュラーシーズンでは結果を残してもプレイオフでは中々結果が出ませんでした。
そこでレイカーズはシカゴ・ブルズで二度の3連覇を達成したフィル・ジャクソンをヘッドコーチとして招き、コート上でシャキール・オニールとの共存ができるようになり、レイカーズは快進撃を開始。史上でも屈指の勝率となる67勝15敗の成績だった。コービー自身も初のアベレージ20得点越えとなる22.5得点6.3リバウンド4.9アシストを記録しました。

翌年の2000-01シーズンも快進撃をしてコービーも平均28.5得点をあげるなど絶好調。チームは56勝26敗と前年ほどではなかっったですが、プレーオフに入れば1回戦からカンファレンス決勝までの全シリーズを全勝で勝ち抜くという圧倒的な強さでファイナルに進出。
ファイナルではコービーとは同期であるアレン・アイバーソンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対決し、4勝1敗で降して連覇を達成。

更に翌年の2001-02シーズンは25.2得点5.5アシストと高水準を維持。初めて地元であるフィラデルフィアでオールスターゲームに出場しましたが、前年にNBAファイナルでフィラデルフィア・セブンティシクサーズを破ったせいでブーイングを浴びてしまい傷心のオールスターゲームとなりました。
シーズンはプレイオフに進出し3年連続でファイナルにへと進み、ジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツと対決。4戦全勝という最高の形でシリーズを制し、ついに三連覇を達成した。当時23歳だったコービーは、3回の優勝を経験した史上最も若い選手になりました。

シャキール・オニールとの確執

レイカーズは3連覇を達成しましたが、大黒柱であるシャキール・オニールとは確執が生まれ修復不可能なところまでいってしまいました。
理由はいくつかありますが一つはコービーがルーキーの年にこうした出来事があったそうです。

NBAでは一年目の新人は遠征中、荷物持ちや先輩の買い出しにはじまり、チームによっては一年間小学生用のアニメプリントリュックを持たされるなどシャレの効いた“いじり”があります。どの新人も一度は経験する洗礼みたいなものですが、当時のシャックはウィットに富んだ新人イジリを展開。黙ってなんでも受け入れて先輩達に溶け込んだのがデレック・フィッシャー。ド真面目で全くシャレが通じなかったのがコービーだったのです。

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他にもシャックは軍人が父親だったこともあり、チームをファミリーとして考えチームメイトと仲良く過ごそうという考えで、コービーはストイックでバスケットボールだけに打ち込みコート上でさえ結果を出せば周りと必要以上に仲良くせずとも認めてもらえ居場所ができるという考えで互いに相容れない考えでした。

これには互いに育った環境の違いもあるようでして、

大きく考えが違う2人には育った環境の差も影響しています。元NBA選手を父に持つコービーは、父が海外でプレーした時イタリアに住んでいたこともあり、プロの世界で生き抜く厳しさを肌で感じて育ちました。

 一方シャックは、育ての親フィリップ・ハリソンさんが軍人だったため、仲間を大切にするよう厳格な教育を受けました。またシャックは子供の頃から体格がずば抜けて大きく、周りから目立って孤立してしまいがちだったため、友達を作るには面白い人気者になるしかなかったのです。シャックのお決まりのブレイクダンスも、鈍臭いデカイ奴というレッテルを払拭するため必死に覚えたものだと、自身の伝記でも述べています。

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こうした育ちや考えの違いが抜き差しならないところまでいってしまい、シャキール・オニールとコービーの両方が契約更新が重なった2004年のオフシーズンにコービーはレイカーズに対して”の先もシャックをチームの中心に据えるなら、そしてジャクソンの下でプレーしなければいけないのならば自分は移籍する”という意志をちらつかせレイカーズはコービーを選び、フィル・ジャクソンとシャキール・オニールはレイカーズを去りました。

しかし後年、シャキール・オニールとコービーは和解をしました。和解のきっかけは

ドワイト・ハワード

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ドワイト・ハワードが2012年にレイカーズに入団してからでした。ドワイト・ハワードは身長211cm、体重125kgの恵まれた体格に加え、規格外のジャンプ力でダンク王そして最優秀守備選手に3度も輝いている球界屈指のセンター。彼の加入でレイカーズは一気に優勝候補筆頭に躍り出ました。
コービーもドワイド・ハワードに大きな期待をし、

ハワード加入で将来的にハワード中心のチームになる可能性も踏まえ、先輩として帝王学を注入するのも厭わない、とやる気満々でした。しかし開幕してみるとチームは全く噛み合わず、現代っ子気質のハワードは超ストイックなコービーにドン引きし、結局ロケッツに移籍してしまいました。

 しかしこのハワードと過ごした時期が、コービーにシャックの偉大さを気付かせるキッカケとなったのです。

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ハワードがロケッツに移籍後コービーは

あるホームゲームでシャックが会場にいると知ったコービーは、試合後知人を通してシャックに控え室まで来てもらい2人きりで会話をしました。そこで、当時どれだけシャックが偉大だったかを、ハワードと組んでみて初めて本当に理解したと告白したのです。シャックもハワードのことを認めてなかった部分もあり、お互い共通の理解に達し、長きにわたるわだかまりに終止符を打つことになったのです。

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レイカーズのエースとして

ヘッドコーチのフィル・ジャクソンと大黒柱のシャキール・オニールがレイカーズを去ってから文字通りチームのエースとなったコービーですが苦闘が続きます。
一度ゼロから仕切り直したチームが勝てるはずもなく2004-2005シーズンは34勝48敗と負け越し、11年ぶりにプレーオフ出場を逃すという屈辱を味わいました。
新エースとして意気込んで新シーズンに臨んだコービーも27.6得点6.0アシストの成績を残しましたがフィールドゴール成功率は43.3%の低水準に沈み評価を上げるどころかシャックやジャクソンを追い出した挙句にプレーオフにすら導けなかったとして、NBAファンや関係者からはコービーに対する激しい”バッシング”を受けました。

レイカーズは1年前に退任したフィル・ジャクソンを再びヘッドコーチとして招聘し新シーズンを迎えることとなりました。
翌2005-06シーズンはコービーの類稀な得点力が遺憾なく発揮されたシーズンで開幕から4試合連続で30得点以上を記録すると、8試合目で42得点をあげたのを皮切りに、このシーズンは27試合で40得点以上を記録。極めつけは1月26日のトロント・ラプターズ戦で達成した”81得点”とウィルト・チェンバレンが記録した100得点に次ぐ”歴代2位”の記録。
コービーのこのシーズンの成績は35.4得点5.4リバウンドとなり初の得点王に輝く。アベレージ35得点越えはジョーダンが1986-87シーズンに記録して以来の極めて高い数字でした。
プレイオフは1回戦で敗れましたがコービー個人は評価を高めた年となりました。

2006-07シーズンに入ってもコービーの勢いは止まらず、チェンバレン以来となる1シーズンで50得点以上を10回記録。(3月には4試合連続で50得点以上を挙げた。)31.6得点5.7リバウンド5.4アシストの成績で2年連続で得点王に輝き、オールスターでは2度目のMVPを獲得するなどNBA屈指のスコアラーとして名声を高めてゆきますがチームは中々NBA制覇をできず、コービー自身は苦悩をしていました。

ターニング・ポイント

2007-08シーズンのオフに初めてアメリカ代表としてオリンピックに出場し、金メダルを獲得。代表チームでは得点に対する欲を捨て、主にディフェンスでの献身的な姿勢が高く評価され、その姿勢はシーズンに入ってからも変わらず開幕から快進撃を続け、65勝17敗で2年連続カンファレンストップに立ちプレイオフ出場。プレイオフも勝ち進み、ファイナル進出。
王座奪還に燃えるコービーは対戦相手のオーランド・マジックに対し、第1戦で40得点を記録して先制パンチを浴びせると、その後もコービーは高得点をあげ続けマジックに付け入る隙を与えず4勝1敗でファイナルを制し、コービーにとっては7年ぶりの”優勝”となり、”シャックが居なくても優勝できる”ことを証明しました。
コービー自身も念願だった”ファイナルMVP”を獲得し自身最高のシーズンを過ごしました。

翌年はシャック&コービーのコンビのレイカーズ以来達成されていない連覇を挑み、最初の11試合で4度の40得点オーバーを記録するなど過去2年ほどレギュラーシーズンでは抑えていた得点能力を存分に発揮しましたが、シーズン途中で試合中に相手選手との接触で右手人差し指を剥離骨折してしまい、欠場こそを免れましたが指を庇うあまり新たに足首、膝、背中を痛めてしまうなど試合毎に怪我が蓄積しており、31歳のコービーの体は”満身創痍”の状態ながらもNBAファイナルに進出。
レイカーズは2年前のファイナルで敗れたボストン・セルティックスと対戦。2年前のリベンジを果たし”連覇”を達成した。満身創痍でシーズンを戦い抜いたコービーは自身5度目の優勝、そしてシリーズ平均28.6得点8.0リバウンドを記録し2年連続となる”ファイナルMVP”を受賞と文字通りNBAナンバーワンのプレイヤーとなったのです。

そして、引退へ

その後もNBA歴代最多タイ”となる4度目のMVPやオールスター通算得点記録保持者となったり、マイケル・ジョーダンのレギュラーシーズンキャリア通算得点(32,292得点)を上回り、”通算得点歴代3位”を記録しましたがレイカーズはチームとして結果は出せず、コービー自身もケガとの戦いの連続でした。
しかし、2012年のロンドンオリンピックにはチーム唯一の30代となる33歳で選出され、全試合に先発出場。未だNBAトップクラスの実力を維持していながらも、最年長として北京五輪時よりも、より黒子に徹したプレーで下の世代の選手たちをサポートし、チームを二大会連続の金メダルを獲得しました。

そして、2015年11月29日「親愛なるバスケットボールへ」と題したメッセージを発表し、今シーズン限りでの現役引退を正式に表明。そのメッセージは

僕たちが初めて出会ったとき、僕はまだ子供だった。
僕を受け入れてくれた人もいれば、そうではなかった人もいたと思う。
でも、皆さんのおかげで、皆さんの前に今立っている選手、そして人間になることができた。
ファンの皆が、怒りを有効に使う自信を僕に与えてくれた。
ファンの皆が疑いの目を持ってくれたからこそ、僕はそれが間違いであると証明しようと決心できた。
僕が恐怖心を力に変えたところを、ファンの皆にも見てもらえた。
拒否反応を示されたおかげで、苦しみに耐える精神力とは何かを教わった。
皆さんの英雄であっても、もしくは悪者であったとしても、全ての感情、情熱、そして僕自身の力をレイカーになるために注いだことを理解してもらいたい。
皆さんが僕にしてくれたことは、僕が皆さんにしたことを遥かに超えている。
僕は、これまでに出場した全試合でパープル&ゴールドを身に纏った。
今日の試合、そして今シーズンの残り試合でも身に纏えることを、光栄に思う。
この街、チーム、ファンの皆さんへの愛情は、生涯消えることはない。
この素晴らしい旅路に感謝している。

コービー・ブライアント

出典 http://www.nba.co.jp

コービー・ブライアントのプレイ

コービー・ブライアントのプレイを動画でいくつかご紹介しますのでご覧ください。

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こうしたスーパープレイの数々をして残した記録が

NBA記録
同一チーム最長在籍年数(2015-16シーズンでレイカーズ在籍20年目)
レギュラーシーズン通算30,000得点+6,000アシスト達成
最多オールNBA1stチーム選出:11(カール・マローンと並ぶタイ記録)
最多オールNBAディフェンシブ1stチーム選出:9(他3名と並ぶタイ記録)
1試合最多3Pシュート成功:12(ドニエル・マーシャルと並ぶタイ記録)
ハーフ最多3Pシュート成功:8(他5名と並ぶタイ記録)
1クォーター最多フリースロー成功:14(他5名と並ぶタイ記録)
プレーオフで年間600得点以上記録した連続シーズン数:3
最多クリスマスゲーム出場:15
クリスマスゲーム通算最多得点:383
34歳以上で40得点10アシスト以上を記録した連続試合数:2
34歳以上で30得点以上を記録した連続試合数:10
36歳以上で1試合30得点10アシスト10リバウンド以上を記録
オールスター連続選出回数:17
最多オールスターMVP受賞:4(ボブ・ペティットと並ぶタイ記録)
オールスター通算最多得点:280
オールスター通算最多フィールドゴール成功:115
オールスター1試合最多オフェンスリバウンド獲得:10
オールスター通算最多スティール数:37(マイケル・ジョーダンと並ぶタイ記録)
自軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:66.4%(122得点中81得点)
両軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:35.8%(226得点中81得点)
※ショットクロック導入後NBA史上最年少記録
史上最年少スラムダンクコンテスト優勝:18歳と175日
史上最年少オールスター先発出場:19歳と175日
史上最年少オールNBAディフェンシブチーム選出:21歳と251日
史上最年少通算得点到達23,000:30歳と171日24,000:31歳と75日25,000:31歳と151日26,000:32歳と80日27,000:32歳と160日28,000:33歳と131日29,000:33歳と199日30,000:34歳と104日31,000:34歳と185日32,000:36歳と87日史上最年少通算1,000試合出場到達:31歳と184日

出典 https://ja.wikipedia.org

こうした偉大な記録を残し、記憶に残るプレイをし続けてきたコービー・ブライアントがコートを去ります。
偉大なプレイヤーの最後の雄姿を見られる方は是非目を凝らして見てください。

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政治・経済、思想・哲学、文学を学びつつ地元を中心にラーメンを食べ歩くフリーの物書きおじさんです。
spotlight公式/プラチナライターでもあります。仕事は随時受け付けしてますのでブログなどを参考に依頼待ってます。
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