第二次大戦下、ナチス政権によるユダヤ人迫害をみなさんはご存知でしょうか。当時の日本にとってドイツは重要な友好国。ユダヤ人を助けることは、様々な問題を引き起こすことも考えられました。そのような状況下に、危険を顧みず多くのユダヤ人を助けた日本人たちがいたのです。今回はその記録をご紹介します。

ユダヤ人を救った日本人たちの物語

杉原千畝が発行した「命のビザ」

当時の日本人外交官・杉原千畝(すぎはらちうね)が、約6000名のユダヤ人の命を救うために発行し続けたビザの記録が残っています。昭和15(1940)年、杉原千畝は副領事として赴任していたリトアニアで、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に、政府の方針に背き日本通過のビザを発給し続け、彼らの命を救いました。

このことは戦後、世界中に知られ、「杉原リスト(八百津町所蔵)」は人類に残すべき人道支援の記録として、ユネスコの世界記憶遺産の国内候補に選定されました。

しかし、“命のバトン”をつないだもうひとつの物語があったことは、あまり知られていないのではないでしょうか?

ビザを手にしたユダヤ人の多くは、シベリア大陸を横断し、海を渡り、日本から世界各地へ脱出し命をつなぎました。この、大陸から日本へ渡る船の輸送斡旋任務を担ったのはジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTB)だったのです。

「ユダヤ人たちを無事アメリカまで送り届けてほしい」

その依頼は昭和15(1940)年春、ジャパン・ツーリスト・ビューローのニューヨーク事務所に入りました。

ヨーロッパからシベリア鉄道で終点のウラジオストクに到着するユダヤ人たち。そこから日本へ渡る唯一の脱出手段は船でした。船舶で日本海を縦断し、福井県の敦賀(つるが)港から日本に入国。神戸や横浜へ移動した後、アメリカ・サンフランシスコを目指します。ジャパン・ツーリスト・ビューローはこのユダヤ人たちの斡旋を依頼されたのでした。

時局をかんがみると、ジャパン・ツーリスト・ビューローの本社でも依頼を受けるべきかさまざまな議論が交わされたといいます。しかし最終的には緊急性、また人道的見地から依頼を引き受けることを決断しました。

昭和15(1940)年9月10日、最初の船が敦賀港を出航。港に集まるユダヤ人乗客を迎えるためウラジオストクへ向かいました。極東の港湾都市ウラジオストクまでは片道2泊3日の道のり、敦賀との往復は約1週間の航海です。このユダヤ人輸送斡旋任務は、この後独ソ戦の開始により、ヨーロッパからシベリア経由での避難経路が断たれるまで、約10か月間に渡り遂行されました。

当時の記録では、4名のビューロー職員が交代で乗船、休むことなく任務にあたったとされています。

荒れ狂う冬の日本海。航海は過酷なものに…

日本海を縦断する敦賀までの航海は困難を極めました。季節は秋から春にかけての主に冬場。冬の日本海は時化(しけ)が多く、船は大きく揺れます。乗船した職員やユダヤ人たちにとっても、荒れ狂う冬の日本海は過酷なもので常に船酔い状態。また大陸近くの海では機雷により、沈没していく船もあったといいます。乗員にとっても、乗客にとっても、まさに命がけの航海だったのです。

任務にあたった職員のうちのひとり、大迫辰雄が回想録を残しています。

その中には、船内がとても寒く乗客は下痢に苦しめられたこと、揺れが激しく睡眠不足に苦しめられたこと、また「用意した皿、調味料台などがテーブルの上を前後左右にすっ飛び、万事休す。」と、食事もままならなかったことなどが記されており、その航海の過酷さを物語っています。

この航海の斡旋以外に、ジャパン・ツーリスト・ビューローにはもう1つ重要な任務がありました。それは、アメリカ在住の親戚や友人から、ユダヤ人協会へ託された保証金を預かり、名簿と照らし合わせて乗客へ手渡すこと。

2泊3日という限られた時間の中で職員たちは、約400名にのぼる乗客の氏名と送金額のリストを照合、ひとりひとりへの送金の手配や授受の有無を確認していく必要があったのです。

また、ヨーロッパ各国から逃れてきたユダヤ人たちは多種多様な言語を話し、英語も通じず苦労したといいます。

ですが、英語を話せるユダヤ人に通訳をお願いし、お互い助け合いながら業務を全うしたそうです。

ビューローがつないだ“命のバトン”

過酷な航海を終えた職員とユダヤ人の乗客たち。この旅路の中、日本人とユダヤ人の間ではことばを超えた交流が生まれたようです。

その様子を伺える資料が残っています。そこには笑顔を浮かべたユダヤ人と甲板で撮影されたスナップ写真や裏にユダヤ人たちからの感謝のメッセージが書かれたポートレイト写真が7枚、収められていました。

乗客の心に寄り添い、どんな状況下でも職務を全うする

回想録の中で大迫は、「私たちビューローマンのこうした斡旋努力とサービスが、ユダヤ民族の数千の難民に通じたかどうかは分からないが、私たちは民間外交の担い手として、誇りをもって一生懸命に任務を全うしたことは確かである。」と結んでいます。

業務を遂行するだけではなく、困難な旅路であっても常に乗客の心に寄り添うことを目指す。大迫をはじめとした職員たちのこの努力と姿勢がことばを超え、ユダヤ人たちの心に届いたのではないでしょうか。

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