家族で叶えた二つの夢

2012年6月、夫は悪性胸膜中皮腫の告知をうけました。告知後、治療に入るために仕事に行けなくなりました。3リットルの胸水で右肺が完全に潰れた状態が長らく続き、胸水を抜いたあとも中々咳が止まりませんでした。体重は激減していて、身も心も打ちのめされていました。治療が効かなければ半年、効いても二年と言われる未来を変えるために、奇跡を信じて頑張る覚悟を決めました。

その結果、半年間の抗がん剤治療を終えた夫の腫瘍は大幅に縮小してくれました。中皮腫が完全寛解に入ると言うのは、ほとんど前例がない話です。もちろん、おっとの腫瘍も完全になくなることはありませんでした。薬の効果は続いても一年。近い将来必ず再発する。それは逃れ様のない現実。

私たちは、この一度目、最初で最後となった寛解を迎えて二つの小さな夢をかなえました。

1.写真屋さんで家族写真を撮る事
2.家族旅行に行く事

唯一、三人で揃ってちゃんと撮ってもらった写真、きれいに出来上がりましたが、夫は、抗がん剤で顔が腫れていて、脱毛もあって、写っているいる自分の顔が嫌だなといいました。でも、素敵な写真です。毎年一度は撮りたいねと言い合いましたが、これが最後になりました。

そして、最初で最後の家族旅行に行きました。旅行中、夫は一着のスーツをオーダーメイドで作りました。

人生最初で最期のオーダーメイド

夫は、旅行から帰ったら、仕事に復帰する事を決めていました。新しい仕事になって一年もしないうちに発病し、志半ばで中断を余儀なくされていたので、仕事に戻って、また認められるように頑張りたいと意欲をみせていました。でも、病気で体系も変わっていたので、身体に合うスーツが一着もありませんでした。せっかくだから体にぴったりあったスーツで仕事に復帰してほしいと、オーダーメイドを提案すると、最初は渋っていた夫も、乗り気になって、体にぴったり合うスーツと、Yシャツを仕立ててもらいました

仕事を失う

旅行から帰り、仕事に復帰して、僅か三カ月ほどで病気の進行がわかりました。二度目の抗がん剤治療は見事にはずれ、腫瘍は大きくなりはじめました。三度目はないと言われました。そして、医師から「末期癌。仕事に戻れる見込みなし」の報告を受けて、仕事も失いました。その時の様子をブログに次のように綴っていました。

そして、今日直接の上司から正式なレターを送ると電話がかかって来ました。3分ぐらい心が痛みました。夫の仕事がなくなるという事は、私達の人生でも大きな大きな出来事ですから、それを受け止めるのに3分ぐらいは当然だと思って、気持ちが落ち着くのをまちました。

夫は、この上なく優しい、穏やかな、でもちょっと悲しそうな顔で微笑みました。夫も気持ちの整理をしているのがわかりました。

そして、2人同時にいいました。

「Feels better!」(せいせいしたね。)そして、一緒に笑いました。 悲しい気持ちもあったけど、口に出さずに、前向きな言葉にかえて出してみたら、心がぐんと軽くなりました。どんなことでも、考え様です。少し見方を変えれば、全く違う結果が生まれます。

出典 http://ameblo.jp

「スーツを捨てないでほしい」

仕事を失い、治療も出来ないと言われ、シドニーにいる理由がなくなりました。新しい治験が受けられるかもしれないという情報をみつけ、夫の家族もいるメルボルンに引っ越すことに決めました。

引っ越しの準備をしながら、もうサイズが合わなくなったスーツは全部処分しました。私が、旅行先で作ったスーツに手を伸ばしたとき、夫は言いました。

「そのスーツ捨てないでほしい。」

もう、仕事に戻れる可能性は限りなくゼロでした。身体も、旅行した時より痩せてしまっていました。持っていると悲しいだけかもしれないスーツでしたが、夫は言いました。

「初めての家族旅行の思い出がつまってるんだ。それに、スーツを着る日がくるかもしれない。甥っ子の結婚式にも着ていく服がいるしさ。」

だから大事に持って引っ越ししました。

スーツを着た日

抗がん剤治療の後に、病院のセラピー用の楽器を借りて、音楽が好きな息子に寄り添う夫です。

新しい治療の治験に参加することは出来ましたが、結局功を奏する事なく、夫の病状はどんどんと悪化していきました。心臓の周囲を腫瘍が取り囲み、心拍がいつ止まってもおかしくない様な不整脈が出るようになりました。それでも、一度目に効いた抗がん剤治療、もう一度やってみたいと、夫は希望しました。医師達も、一刻も早く始めたいと、早々に治療の予約を決めて下さいました。

しかし、ある日の朝、夫の心臓は止まってしまいました。もう、手の施しようがなく、私の腕の中でどんどんと冷たくなっていく夫に別れを告げるしかありませんでした。泣いても、叫んでも、夫が再び目を開ける事はありませんでした。

死の前日まで、「どうしても生きていたい。他には何も望まない」と願っていました。心が引き裂かれるような、悲しい響きでした。


棺に入る夫に着せる服、一着しかありませんでした
腹水や足の浮腫があったことや、身体が完全に痩せ細ってしまって、身体にあう服がなかったので、夫が残したのは、ジャージのパンツと、Tシャツぐらい。唯一、私の目の前にあったのは、最初で最後の家族旅行で作ったオーダーメイドのスーツだけ。まさか、棺に入るための装束になるなんて、末期癌の夫とはいえ、露ほども思っていませんでした。

消えてしまった夢と未来

夫が、再びスーツに腕を通したのは、仕事への復帰でも、甥っ子の結婚式でも、五回目の結婚記念日でもなく、棺に入るその日でした。亡くなる二週間前には、二人で将来の夢を語り合っていました。「僕は絶対に生きられるって信じてる。だからちゃんと夢を持っていたい。」そう言って夢を語り、私の夢も聞いてくれました。必ず叶うから一緒に信じようと言う夫に促され、絶対に実現不可能に思える夢を語り合い、きっと叶えようと誓いあいました。その夢も、未来も、シャボン玉の様にはじけて消えてしまいました。

一張羅のスーツを着て、静かに棺の中に横たわる夫は、最高にハンサムで、きれいな顔をして眠っていました。あまりにきれいで、たまらなくて、夫の顔の上に涙をぽろぽろとこぼしながら、そっと手で頬に触れてみると氷の様に冷たくて、その場で泣き崩れてしまいました。

本当に、信じられないぐらい最高に似合っていたんです。夫の願いがつまったスーツが似合い過ぎていて、悲しくて、心が押しつぶされました。

棺の蓋をしめたら、もう二度と姿を見る事が出来ないと思うと、悲しくて怖くて身体が震えました。優しい顔で静かに横たわる夫の姿を、ずっとずっと見ていたかったです。

家のクローゼットには、夫が残したもう一枚の思い出のYシャツがかかっています。夫の願いが込められた最後の一着、数少ない大事な形見です。

この記事を書いたユーザー

Maria このユーザーの他の記事を見る

オーストラリア在住。息子が生まれて一年半後、夫はアスベストが原因の悪性中皮腫という、これといって有効な治療法もない、強烈な癌を発症。そして、二年の闘病を経て他界しました。今は、5歳になった息子と二人、夫の眠る地で、毎日を大切に生きています。中皮腫の闘病記・アスベストの事・死別後の息子との二人三脚の毎日をブログに綴っています。http://ameblo.jp/maria1428

得意ジャンル
  • 話題
  • 社会問題
  • 育児
  • 感動

権利侵害申告はこちら

Spotlightのライターなら1記事最大3000円もらえる!日本最大級メディアでライターデビューのチャンス