笑顔に隠された悲しみ

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深い悲しみの中にある人は大抵の場合は笑っています。社会生活を営んでいく上で、涙を流し、悲しみを前面に押し出していては支障が生じてしまうからです。しかし、笑っているからと言って、悲しみを乗り越えたというわけではありません。大切な人を失った悲しみは、自分の一部となって、強さや優しさに姿を変えつつ、生涯共存していくものです。

私は、三歳の子供を抱え、30代にして夫と死別しました。今まで全く想像すらした事もなかった苦しみ・悲しみを体験して、新たに学んだ事が色々とあります。その中でも、実際に経験したからこそお伝えできる、意外過ぎる『逆効果な励まし』について書いてみようと思います。

配偶者との死別は、アメリカの社会学者ホームズにより作成された『ストレス尺度表』の中で、最高スコアの100に位置付けられ、最も過酷なライフイベントとされています

この死別を経験した人の多くが、共通して「苦痛に感じる言葉」と言うものがあります。私が読んだグリーフワークに関する多くの著書でも取り上げられていました。それを読んで、「こんなことまで?!」と驚くと同時に、自分の心の痛みの理由を妙に納得出来たので、ちょっと考察を加えながら、「苦痛にならない言葉かけ」と合わせてご紹介させていただきます。

1.「元気にしてる?」

通常なら、相手を思いやる良い意味でしかありえないこの言葉がリストに上がっている事に驚いた人も多いのではないでしょうか?

悲嘆の急性期にある人は、元気という言葉とも、通常の精神状態ともかけはなれたところに存在しています。たとえ表向きは元気にふるまっていて、笑顔で、前向きな事を口にしていたとしても、水面下では苦しみ抜いています。また、今まであった世界が崩れ去り、元気であるわけがない状況下で、「元気ですか?」と聞かれる事は、その人と、自分のいる世界とがかけ離れている事を思い知らされる様で、悲しみが一層色鮮やかに浮かび上がってしまうのかもしれません。

「なんと言ったらいいのかわからないよ。」「いつでも話しを聴くからね」などの言葉かけは、まっすぐ温かく響くのではないでしょうか。

2.「○○は幸せだったよ」

これも、優しい思いやりから出てくる言葉です。でも、なぜか私の場合も、この言葉が心に突き刺さったので、自分なりに、自分の事例を考察してみました。

病気に罹患し、最期の別れに至るまでにはたくさんの喪失を伴います。病気のために人間関係も絶たれ、仕事も失い、出来る事も少しずつなくなっていき、将来を夢見る事も、なにもかも、少しずつ少しずつ奪われていきます患者本人の苦しみや悔しさは壮絶なものです。闘病は、小説や映画に出てくるような美しいものばかりではありません。遺された人間は、愛する人の苦しみや悲しみ、辛さなど、悲痛な思いも全て、別れと同時に背負います。相当なトラウマです。だから、(亡くなった人が若い場合は特に)亡くなった直後に、「いい人生だった」、「なんだかんだ言っても幸せだった」という境地まで達することがとても難しいのではないかと思います。心からそう思えるようになるまで、あるいは、幸せだった部分にフォーカス出来るようになるまでには長い時間がかかるのです。

死別後の悲嘆の急性期にこの言葉をかけると、言われた人は心が引き裂かれるような思いをしてしまうかもしれません。何年かの時を経て、本人の口からそう言えるようになったら、その時に頷いてあげて下さい。

3.「あなたが泣いていると○○が悲しむよ」

これは、多くの人が「突き刺さる言葉」としてあげています「悲しむ事」、「泣く事」は決してダメな事ではありません。励ましの言葉はとても大事です。笑顔は人を幸せにすることも事実です。しかし、泣きたいときに泣き、悲しいときに悲しいと言えなければ、心の内側に向って苦しみが増幅し続けてしまいます。もちろん、四六時中泣き続けて、鬱になって立ち直れないというのとは別の話です。でも、次の一歩を踏み出すために、運命を受け入れて前を向くために、泣くことは必要不可欠なプロセスだと私は思います。

「今は思い切り泣いて、しっかり悲しもう」こう言ってもらえると楽になるんじゃないでしょうか。

4.「気持ちわかるよ」

これを言う人はそんなに多くはないと思います。でも、時々います。この言葉は、本当に同じ経験をして、本当の意味で「わかる」人以外が使うと嘘になってしまいますたとえ、同じように死別を経験していたとしても難しいものです。一つ一つの別れは、その人だけのもので、決して共有は出来ないからです。

一度も喪失を経験したことがない人が言うのはまったく話になりません。また、「似たような」喪失体験をした人が言う場合でも、やっぱり違うと思うのです。たとえば、離婚や別居をされている方が、死別した人間に「同じ様なものだから、気持ちわかるよ」というのは結構聞きますし、私も何度も言われました。でも、死別と離婚、離婚と別居、別居と家庭内別居、全部違う種類の苦しみです。苦しみの軽重を言っているのではありません。死別を経験したからと言って、離婚をした方の悲しみや苦しみがわかるわけではないのと同じ様に、逆もやっぱりわからないものなのです。

「どれほどの悲しみなのか想像することもできないけれど・・・」というと、きっと気持ちが伝わります。

5.「しっかりして。強くなりなさい。」

これはかなり酷な言葉です死別後の悲嘆にある人の心は、言うなれば大手術を受けた直後の患者と同じ状態です。あるいは、傷の縫合さえしてもらっていない血まみれの状態と言えるかもしれません。

手術直後の患者に、手術台から飛び降りて歩き出せという医師や看護師がいるでしょうか?回復過程に於いては、自分の身体を大事にすることだけに集中するように指導するのではないでしょうか?


朝起きて、その日一日を生き、夜眠りにつく、この一連の動作が出来ただけでも万々歳なぐらいの状態です。「十分頑張ってるよ」と言ってくれた友達の一言がとても有難かったです。

6.「天国で幸せになってるよ。」

意外かもしれませんが、この言葉も、多くの人が、死別直後では受け入れ難いと感じています。この言葉を口にする人はもちろん良かれと思って発言しています

こんな「美しい事」を言われたら、一般常識的に「ありがとう」と返すしかありません。間違っても、「なぜわかるの?」とは言い返せません。相手が返答に困ることは明白です。発言した人はもちろん実際には天国があるのかどうか、故人が天国に行ったのかどうか、そもそも亡くなったら人はどうなるのか・・・なんて知る由もありません。愛する人を失った人間にとって、亡くなったあの人はどこに行ったのか、何をしているのか、喉から手が出るほど知りたいものです。どうか天国があってほしいと心から願っています。しかし、確かめるすべもなく、それが、とてつもなく苦しいのです。だから、さらっと「天国で幸せになっているよ」と断言されると、たとえ、それが優しさから出た言葉であっても突き刺さるのではないでしょうか。

断言する変わりに、「本当に天国という場所があって、そこで幸せになっていると願いたい」と言い換えると優しく響くような気がします。

7.「もう苦しんでないんだから、これでよかったのよ。」

実は、私にとってはこれが一番突き刺さる言葉でした。

「もう苦しみは終わって楽になったのよ。これでよかったの。それともあなた、旦那さんに苦しんでほしかったの?」


結構、強烈に心が引きちぎられるような気持ちになりました。

夫は、病気で苦しい思いをしていたけれど、一生懸命に自分の人生を生きていました。苦しくても、しんどくても、毎朝起きて、愛する息子と接し、家族三人で、日々の生活に幸せを見つけて生きていました。この状態が何十年続いても、寝たきりになっても、意思の疎通がはかれなくなって手を握ることしかできなくなっても、それでも愛する家族と共にありたい、生きたいんだと願っていました。障害や病気の症状があっても、人はちゃんと幸せを感じて、人生を生きる事が出来るんだと、夫が身をもって示してくれました。だから、「これでよかった」ということはなかったのです。それに、元気になったら、あれをしたい、これをしたいと一緒に考える時間はとても幸せでした。

8.「若いんだから代わりの人がみつかるよ。」

代わりはいません。もしも、死別後、時間が経って再婚したり、(お子さんが亡くなった場合)次の子供を授かることがあったとしても、亡くなった人の代わりには絶対になれないのです。

人は誰でも唯一無二の存在です。その存在がこの世から消滅するから悲しいのであり、苦しいのです。

9.「何かできる事があったら言ってね」

思いやりから出る言葉ですが、答えの幅が広すぎて、聞かれた相手は何も言えない場合がほとんどです。こう聞かれて、「あれとこれをしてほしい」と答えられる人は、死別直後である場合、まずいません。「ありがとう・・・」と頷くぐらいでしょう。なにかオファーする場合には、具体的な事を提案してあげて下さい。

「晩御飯作って持っていくね。」「何か買い出しにいってくるね」近しい存在であれば、このような声かけも出来るかもしれません。毎日、短時間でも電話をかけて、話を聴いてあげるだけでもいいのです。相手からの返事を待っていたら、結局は何も起こりません。

10.「神様は乗り越えられない試練は与えないって聞いたことがあるよ」

「聞いたことがある」だけで、誰も実際には知らない事です。人によっては、「神様は乗り越えられない程の試練を与えて信仰を試す」と言う人もいます。神様を引き合いに出すのであれば、聖書の中では、神はその人の信仰を試すために、自らの子供を焼き殺して生贄に捧げよと言ったとあります。そして、実際に生贄が捧げられたのをみて、その人の信仰をほめたたえたのです。私からすると、自分の子を焼き殺すなんて、「乗り越えられない試練」です。神様にとっては乗り越えられる試練であっても、一般の人間にとっては耐え難い、乗り越えられない試練だってあるんじゃないでしょうか?その試練を経験している真っ只中の人に向って、「乗り越えられない試練は与えないらしいよ」というのは結構酷な話じゃないでしょうか・・・

「耐えられない程の苦しい事を耐えてきたんだから、いっぱい泣いて、いっぱい悲しんでいいんだよ。」と肯定されることは救いとなります。



以上、悲しみの急性期にある人、つまりは、死別直後から少なくとも数か月~一年の間にいる人には突き刺さるように響く10の言葉をご紹介させて頂きました。

まとめ

死別を経験した人の悲しみの期限は「無期限」と言われています。数か月泣いて立ち直るとか、一年経ったら区切りがついて元気になるという類のものではありません。むしろ、年々悲しみは色をかえ、形を変え増していくとさえ言われています。だから、死別後数か月、数年の人に、「まだ悲しんでるの?まだ泣くことあるの?」はかなり厳しい言葉になります。

私は、夫を亡くすまで、この様な決して癒える事のない悲しみ・苦しみがこの世に存在するとは想像したこともありませんでした。死別後は、お葬式で区切りをつけて、翌日から徐々に立ち直っていくものだとさえ思っていました。だから、安易な励ましも、言葉かけもたくさんしてきてしまいました。もしも、ちょっとでもこういう事実を知っていたら、少しでも悲しむ人の支えになれていたんじゃないかと思います。

もしも、身の回りで、大切な人を亡くし悲しむ人がいたら、少しだけこれらの「言葉」の事を思い出して見て下さい。大切なご家族やご友人が、あなたの一言で救われるかもしれません。

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オーストラリア在住。息子が生まれて一年半後、夫はアスベストが原因の悪性中皮腫という、これといって有効な治療法もない、強烈な癌を発症。そして、二年の闘病を経て他界しました。今は、5歳になった息子と二人、夫の眠る地で、毎日を大切に生きています。中皮腫の闘病記・アスベストの事・死別後の息子との二人三脚の毎日をブログに綴っています。http://ameblo.jp/maria1428

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