突然の介護のはじまり

父の具合が悪くなったのは、ほんの1ヶ月ほど前のことでした。

その数日前には自分で車を運転して、親戚の家までの百五十キロ近い道のりを往復してきたというのに、風邪気味だというので病院に行き、念の為に入院することになったと聞いていたのに、たった三週間の間に自分で立ち上がることにさえ不自由するようになってしまいました。

消えた笑顔

退院して数日後から、母は介護保険の申請をはじめました。なかなか前に進まない手続きに「どうしてこんなに面倒なのかねえ」とぼやきます。

市も病院もそれぞれちゃんと任務はしているのだと思うのですが、その「つなぎ」には誰も責任を持ってくれません。

「保険料だけずっと払ってきたのに、こういう時に使えないんじゃ、ホントに意味がないよ」と、突然動けなくなった父の介助をしながら、こうした些細なことへの不満や、これから先の生活の不安に母の苛立ちは日に日に募っていきました。

自分の生活でいっぱいいっぱいの僕には、話を聞く位のこと以外、何も出来ませんでした。

やがて僕たち家族から「笑顔」が消えていきました。

車いすのグリップ

そんなある日、僕は父の病院に付き添い、病院にあった車椅子に父を乗せました。
父にとっては生まれてはじめての車椅子だと言います。乗り降りすらままならないので、とても自由になんて動かせません。

口には出しませんが、この先への不安はきっと父自身が一番感じていただろうと思います。


落ち着かない心のまま、僕は父の車椅子のグリップを握り、ゆっくり押しはじめました。

その瞬間でした。

「車椅子に乗っている人は、意外なほどスピードを感じるもなんだ。だからゆっくり押してあげようね」

という心の声が聞こえました。
それはあの日、娘の車椅子を押してくれた子供に話した、僕自身の声でした。

障害を持って生まれた娘の車椅子を押してもう十年になります。
今では僕が車椅子を押すことが、ごく普通のことになっていました。
砂利道もぬかるんだ道も、段差もカーブも上手にすり抜けられるようになりました。

僕に出来ること

親孝行なんて、何にもして来ませんでした。この歳になるまで、心配を掛けるばかりが当たり前でした。

でも、車椅子なら上手に押せます。

そうか。僕も父の支えになれるかも知れない。
回復する日までの間、このグリップは僕が握ろう、と心に決めると、ずっと粟だっていた僕の心が落ち着いていくのを感じました。

「オヤジ、安心して乗っていていいよ」
と、言葉に出来ない思いをグリップに込めました。

その時、父が振り向きました。
ずっと困ったような顔をしていた父が笑っているように見えたのは、僕の目の錯覚かもしれません。でもその顔は、遠い昔に見たあの顔だったように思います。

僕がどんなに心配を掛けても、「大丈夫だ」と、言ってくれたあの日の優しい笑顔でした。

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花咲 未来 このユーザーの他の記事を見る

心にいつも熱い想いが詰まっている「夢多きアラフィフ」です。子育ても給料を運ぶ以外はほぼお役ご免になりましたので、これからの自分はどう生きるかを模索しながら、第二の青春を生きています。『アオハルはいつも間違える』ので、記事には誤字脱字のなりように気をつけます(^^;;

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