『江戸版100円ショップ、すべて均一お値段の…十九文屋(じゅうくもんや)、あるいは十九文店(じゅうくもんみせ)』

江戸中期後半、人通りの多い場所で筵(むしろ)を敷いた露店で十九文均一で売る店を始めた人がいました。

筵(むしろ)を敷いた露店には、日用雑貨、玩具、その他小道具類(もともとは、女性用の小間物…、木製の櫛などを中心に始まったそうです。)を均一価格で売っていたところ評判になり、同じような店(露店)が次々にできたそうです。

そして、後にありとあらゆる物(はさみや小刀などの刃物、墨や筆、三味線の道具、玩具、日用雑貨、その他の道具類…)を差別なく仕入れて売るようになっていったようです。

それだけ品物が揃うと、便利で買うのも楽しみですが、見るだけでも楽しいですよね。これも現在の100円ショップに通じるところがあります。

因みに、蕎麦一杯が十六文だったそうなので…、ちょっと高いかなと思ったら、十九文より安い十三文均一の店や、少し上物(じょうもの)を並べた三十八文均一の店もあらわれたそうです。

これも、今の100円ショップで、200円とか300円、500円などの様に少しものが良かったり、大きかったりして値段が高くなっているのと同じですね。

そして、地方から江戸に物見遊山にきた人たちが、お土産にと列をなして十九文屋で買い物している姿を、「十九文見世(みせ)にいなかが五六人」という川柳に詠まれています。

これは…、さながら、今、外国から日本に旅行に来られた方が100円ショップでお買い物をしている姿と同じですね。
飛行機を使って海を越えてくるという交通手段においては…、ちょっとスケールは違いますが、昔も今もお買い得&楽しいお買い物には、国境はないということでしょう。

その後、十九文屋はすたれますが、江戸末期前半によみがえり、また流行だします。
このときは三十八文と価格が二倍になっています。これは、物価が上昇して十九文では採算が合わなかったんでしょうか…ね。



『もひとつあった…100円ショップ四文屋(しもんや)と団子の数』

突然ですが、今、串団子の一串の串に刺さっている団子の数は、だいたい…、4個ですが。
江戸時代中期ごろまでは一串に刺さっている団子の数はだいたい5個だったそうです。

では、なぜ?今は4個なのか?

それは、明和五年(1768年)から流通するようになった四文銭に関係しているようです。
だいたい一串に団子が五個で五文、ですが四文銭が発行されたことで小さなお金の勘定の基準となっていき、五文だと一文おつりを出さなくてはいけなくなります。

そこで…、(いちいち串一本に対して一文おつりを渡すのは面倒だとなり)きりの良いところの一串に四個で四文にして売られるようになったそうです。

(江戸っ子は気が短いといいますから…。買う方はお腹が空いているのだから、さっさと支払いを済ませて、とっとと食べて次のことをしたいし。売る方は、面倒くさいおつりの勘定をするより、さっと代金を貰って次の人に行きたいからかなぁ…、などと勝手な想像をしてみました。)

そして、江戸後期には、鯡(にしん)・するめ・焼き豆腐・蒟蒻(こんにゃく)・慈姑(くわい)・蓮根(れんこん)・牛蒡(ごぼう)などを醤油の煮染めにして、四文均一の食べものを売る「四文屋」という屋台の店が誕生しています。

川柳ではその繁盛ぶりを詠われ、お芝居では「四文屋にしてはうまいね」と台詞になるほど流行っていたようです。

きっと、今の100円ショップのように「100円とはおもえないよね」と同じ感覚なのでしょうね。

などと考えますと…。
いつの時代でも、人の心を引きつけるものにそう大差はないのかもしれません。

それにある意味、均一商売の誕生や、流行る背景には通貨(江戸時代の四文銭。現在の100円玉のように日常生活でよく使う通貨=広く流通している通貨)の影響が大きいのではないでしょうか。

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知らないことが知りたくて、メンタル、カルマ、礼法に漢方スクール…etc.とお勉強。で、ですね、人を動かしているのは無意識、でも、この無意識を味方につけるとスゴいんだ~と気づいたら…、なぜか、「えっ?!そうくるかぁ~」と、色んな場面に遭遇しれしまう…という面白いことが起こりだすのでした。

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